千栗(ちりく)八幡宮と読みます。この変わった読み方には次の様な由来があります。創始者の壬生春成が山に来て猟をしていた所、何処からともなく白い鳩が飛んできて春成の弓の先に止まった。春成はこれは八幡宮の神使であると喜び、この地に八幡宮を祀るべきか否か神慮を伺うため物忌みして一夜を明かした。その夜一人の翁が現れお盆に盛った千個の栗の実を授けられる夢を見た。翌朝再び山に来てみると逆さに植えられた千本の栗の樹が生えていた。逆さに植えられた栗なので「くり」を逆さに読み「ちりく八幡宮」を称する様になったという。創建は先の春成の故事があった神亀元年(724年)とし、主祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三柱、配神に難波皇子、宇治皇子、住吉明神、武内宿禰の四柱を祀っています。旧社格は国幣小社、現在は別表神社に列せられています。古来より宇佐神宮の別宮として、また平安時代には式外五所八幡別宮(大分宮(または筥崎宮・福岡県)、千栗八幡宮、藤崎八幡宮(熊本県)、新田神社、鹿児島神宮(共に鹿児島県))として朝廷から尊崇されました。また全国に一宮制が確立されると慶長14年(1609年)には後陽成天皇より肥前国宗廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩の勅頼を賜ったとされ、当宮も肥前一宮と称されました(近年になり與止日女神社と一宮の名称で紛争あり)。社殿は幾度も戦乱で焼失するも、天正11年(1583年)に龍造寺政家が再興、後年鍋島藩からは明治維新に至るまで尊崇されて来ました。小高い丘の上、146段のきつい石段を登り詰めると境内があります。この石段は柔道オリンピックの金メダリスト、古賀稔彦選手が足腰の鍛練で使っていたそうです。此方が表参道で、裏参道は車で境内直近迄行く事が出来ますので、足腰に自信が無い方も御安心を。住宅街の中に小さくて解りづらいですが「車裏参道」の木の看板が何枚か設置されています。駐車場は数十台分はあります。...
Read more佐賀県三養基郡(みやきぐん)みやき町にある千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)に参拝。丘の上の大きな神社。裏参道に入ってしまった。車が交差できない細い山道を登り何とか駐車した。境内を横切り表参道の正面まで下りた。黒くなった石の第1鳥居。右に社号標、由緒版。左に祭神板。手前に獅子狛犬が1対居た。素朴で彫りの浅いスラリとした体型。阿吽像の配置は正常。奉納年は天正11年(1583年)。鳥居をくぐる。栄光への石段案内碑。バルセロナとアトランタオリンピックで金と銀メダルに輝いた柔道選手「古賀稔彦」がこの石段を毎日駆け上ったそうだ。石段を上がり白い石の第2鳥居。その前に獅子狛犬が1対居た。新しい岡崎型だ。阿吽像の配置は正常。奉納年は平成18年1月(2006年)。鳥居をくぐる。石板参道。右に御札授与所。左に手水舎、古札納め箱。正面に青黒色屋根の社殿。社殿左に社務所、千栗八幡宮奉賛会本部。ツツジ咲く。眺めよし。麦畑が黄色になっている。社殿右に素朴な神馬像。お粥堂。トイレ、芳名碑。摂社:武雄神社。獅子狛犬が1対居た。吽像はお尻を上げてアザラシのような胴長体型。阿吽像の配置は正常。奉納年は年号(元号)が読めず年号不明12年5月(?年)。佐賀の名木:クスノキ。摂社:鳩森稲荷神社。親子楠。 ☆祭神 〇主祭神 ・応神天皇(おうじんてんのう) ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) ・神功皇后(じんぐうこうごう) 〇配神 ・難波皇子(なにわのみこ) ・宇治皇子(うじのみこ) ・住吉明神(すみよしみょうじん) ・武内宿...
Read more八幡大神の神託により創建された1200年以上の歴史のある肥前国の一宮です。 また長野県の諏訪大社と同様にお粥により吉凶を占う粥神事が3月にあります。 2005年の福岡県西方沖地震を直前の神事で当てて宮司が警告をしていたことで有名になりました。その後もノロウイルスの大流行や台風の当たり年なども当てています。 福岡市方面から公共交通機関で行かれる方は西鉄福岡駅(電車)→西鉄久留米駅で下車→久留米駅一階のバスセンターの長門石方面バス乗り場で、 西鉄バス長門石(経由)目達原行きか長門石(経由)佐賀駅バスセンター行きに乗って千栗八幡宮前バス停で下車徒歩1分です。 必ず長門石経由のバスを利用して下さい。他を経由するバスでは行けません。 なお、JRで行く場合はJR久留米駅で下車。駅前のバス乗り場から長門石経由の目達原行きか佐賀駅バスセンター行きで行けます。 車で行かれる場合は鳥居前の空き地が駐車場です。また、鳥居前から神社裏手側に回るように進むと車で神社まで登れます。 しかし、自動車参道は急勾配の上に道が狭く地元の中学生等が部活でランニングをしていることがあるのでくれぐれも最徐行運転でお願いします。 (2019年12月追記) この神社は未だに神様の力が強く、お祓いを受ける方が沢山います。私もお祓いを受けていますが、事故にあった時事故の酷さの割には怪我が非常に軽く済みました。その時まるで身代わりになったかのようにここの御守りが直していた...
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