最後の首長墓: 7世紀中頃~後半の古宮古墳。同時期の畿内の中級貴族の墓と同じくりぬき式の「石棺式石室」を持つ。『日本書紀』に壬申の乱で活躍した「大分君恵尺」の墓と推定。
大分君 恵尺(おおいたのきみ えさか)【生没年不詳】 🔹時代背景:飛鳥時代(7世紀) 🔹主な活躍: 『古事記』『日本書紀』に登場する古代の豪族。
壬申の乱(672年)で、大海人皇子(のちの天武天皇)の側近・舎人として活躍。
秘密任務を受け、近江にいた大津皇子・高市皇子を大和に導いた。
🔹関連地: 大分市三芳の古宮古墳(国指定史跡)=彼の墓とされる。
📝 ポイント解説: 壬申の乱という日本史上の大事件で重要な役割を担った、大分の地から中央政局に関わった豪族。古墳も残ることから地域の歴史的誇りとされる。
散歩がてらに行ける歴史遺産。 結構眺めのいい場所にあります。
古墳時代の終わりに当たる7世紀中頃から後半に造られたと考えられる方墳です。 墳丘は土砂の流出などによって石室が露出している部分がありますが往時の姿 を良く残しています。 石室は、巨大な直方体の凝灰岩をくりぬいて造られた 石室部と羨道を持つ石棺式石室と呼ばれ、九州では他に例を見ない7世紀 中頃前後に畿内の中級貴族の間で流行した古墳です。 埋葬された人物は、石 室の特徴や年代から日本書紀に記される壬申の乱(672)で活强、その功績に...
Read more駐車場があるのは良いが近くの者が自分の駐車場として使っている。マナーなんかないな。まあここに車を置いて小さな山を登り、登ったと思ったら向うに降りて行かねばならない。なんでこげなとこに造らせるとや。古宮古墳は珍しく方墳で、更に珍しいのは巨石を刳り貫いて横口構造の石棺式石室を用いていると言うことだ。この形式は九州では見られず畿内で流行ったと言うことで、大和政権と深くかかわりのある大分君恵尺(大海人皇子と行動を共にする。大分君稚臣も一緒である。ご存じの様に大海人皇子は壬申の乱で勝利し即位して天武天皇となる。その勝利に貢献している二人である。)の墓ではないかと考えられている。{説明文から抜粋}おっと、七世紀中頃に築造された...
Read more専用駐車場から坂道と階段で一山越えたところにあるので、ちょっと体力使います(笑)
専用駐車場はポールで入れないようになっていますが、鍵はついていないので、ポールを下ろせば停められます。 石室は鉄格子の扉があるので中には入れませんが、扉越しに十分に見えます。中は暗いので、ライトがあるといいかも。 保存状態はいいですね。 被葬者は大分君恵尺という説があります。 方墳となっていますが、丘の斜面に作られており、方墳ぽくはないですね。...
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