12世紀以降に造られた。 大日如来像をはじめとする5体の仏像が石窟の中に彫られている。 深沙大将像(じんじゃたいしょうぞう)が特に珍しい(類例が少ない)。 国指定史跡となっている。
大分川の支流七瀬川右岸の丘陵に、高さ1.8m、幅4.5m、奥行1.5m程の石窟を彫り込み、その奥壁に、東を向いて彫られています。 向かって右から馬頭観音坐像(ばとうかんのんざぞう)、如意輪観音坐像(にょいりんかんのんざぞう)、胎蔵界大日如来坐像(たいぞうかいだいにちにょらいざぞう)、大威徳明王坐像(だいいとくみょうおうざぞう)、深沙大将立像(じんしゃたいしょうりゅうぞう)の5体の石仏です。
高瀬石仏は大日を中心として諸悪煩悩を取り除き、さらに如意輪には富貴財宝取得、大威徳には怨敵降伏、深沙大将には仏法保護などの、祈願修法の対象といて作られたもので、その時期は、平安時代末期の12世紀中ごろ以降の作とみられます。
高瀬石仏 高瀬石仏は霊山の北麓、高瀬の西寄りに位置する伽藍迫と呼ばれる場所にあります。ここには丘陵を形成する凝灰岩層に、洞窟があり、その奥壁に5体の石仏が彫られています。洞窟のサイズは高さ1.81メートル、幅4.41メートル、奥行き1.50メートルで、石仏は東を向いています。
石仏は、向かって右から順に以下の通りです:
馬頭観音坐像(像高95センチメートル) 如意輪観音坐像(像高102センチメートル) 胎蔵界大日如来坐像(像高123センチメートル) 大威徳明王坐像(像高132センチメートル) 深沙大将立像(像高139センチメートル)
中でも深沙大将像は特に特徴的で、赤く彩色された炎髪が逆立ち、丸い顔、額に觸髏(くろう)、胸に環珞(首飾り)を付け、腹部には氓女の顔を描いています。左手には蛇の頭を握り、両脚にも蛇を巻きつけています。この姿は、中国唐の僧である玄奘(三蔵法師)がインドへ赴く途中に砂漠で守護した神として伝えられています。腹部の童女の顔は慈悲の象徴とされ、この奇異な姿が深い意味を持っているとされています。
高瀬石仏は、平安時代末期の12世紀中頃に造られたと考えられています。これらの仏像は、大日如来を中心に諸悪を取り除くとともに、如意輪観音には富貴財宝、大威徳明王には怨敵降伏、深沙大将には仏法保護を祈願する対象として造立されました。また、石仏の外、向かって右の崖には小さな籠の中に蓮華座に載せられた阿弥陀三尊像が浮き彫りになっています。
この場所は、当時の植田氏によって開発された植田荘にあたる地域で、石仏の造立は植田氏によるものとされています。 (国指定史跡)
交通アクセス 大分市中心街(大分駅)から車で25分、光吉から車で8分。 大分バス下...
Read more大分市内に残る平安末期の磨崖仏。 奥行き1.5mの石窟の中に5体の磨崖仏彫り出され、鮮やかな朱色と相まって保存状態の良さをうかがわせる。 中でも向かって一番左、身体に蛇を巻き付けどくろの首飾りをした『深沙大将立像』の異様ともいえる造形が目を引く。こちらは三蔵法師が天竺に赴いた際に現れた守護神で、お腹に描かれた少女の顔は内面の優しい気持ちを表しているらしい。 またすぐ右の壁面には、一本の蓮の茎から3つに枝分かれした蓮花の上に阿弥陀三尊像が彫り出された『一根三茎仏』が残る。こちらは石窟の中ではないので風化が激しく、何らかの手当てを望みたい。 規模は大きくないものの、他にあまりみない造形や保存状態の良さ、何よりこんなところにこんな素晴らしい摩崖仏が、という違和感・驚きで...
Read more凝灰岩層に、高さ1.8m、幅4.4m、奥行1.5mの洞窟があります。その奥壁に馬頭観音坐像、如意輪観音坐像、胎蔵界大日如来坐像、大威徳明王坐像、深沙大将立像の5体石仏が東を向いて彫られています。高瀬石仏は、大日を中心として諸悪煩悩を取り除き、さらに如意輪には富貴財宝取得、大威徳には怨敵降伏、深沙大将には仏法保護などの祈願修法の対象として作られたもので、平安時代末期の12世紀中ごろの作と考えられています。七瀬川流域一帯を開発した稙田氏によりつくられたと考えられます。また石窟の外、向かって右の崖の小さな龕には一根三茎の蓮華座の上に阿弥陀三尊像を浮き彫りにしたものが残っています。国指定...
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