吉備津神社の裏山の中山のてっぺんに位置し、吉備津彦命の御陵である前方後円墳。長さ108mと大きい。吉備津神社方面の入り口はわかりにくく見落としやすい。元祖桃太郎伝説の吉備津彦命は第7代孝霊天皇皇子である。第10代崇神天皇の命により、各地の平定に遣わされた四道将軍の1人。犬飼健(いぬかいたける:1932年の5/15事件で暗殺された犬養毅首相のご先祖様)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来(犬・サル・キジのモデル)とともに、温羅(うら)という鬼を討ったという伝承が岡山県を中心として知られる。諸説あるが温羅は百済王族で製鉄技術を有し吉備一帯を...
Read more第七代孝霊天皇皇子大吉備津彦命(彦五十狭芹彦命)の墓。命は崇神天皇の御代四道将軍のひとりとして西道(山陽道)に遣わされ吉備を平定した後吉備の中山の麓の茅葺宮で吉備を治め齢281歳で薨去、茶臼山に葬られた。後に命は三備一宮吉備津神社に祀られ吉備津彦神は天慶3年には神位一品の極位に昇った。(一品は臣下の正一位に相当し神社では他に宇佐神宮と伊弉諾神宮にしか例がない。ちなみに同年、厳島神社は正四位下に昇叙)墓は明治7年大吉備津彦命の墓に治定、考古学上は中山茶臼山古墳と呼ぶ墳丘長105mの大型前方後円墳である。なお図面は宮内庁書陵...
Read more墓守をされている男性とお話しする機会がありました。1)古墳正面より森の切れ目から見える空の青さが何とも言えずよいとのこと。2)古墳の右側、短い石柱が2本、地面から出ている部分が備前国と備中国の国境となっており、またぐように立つと、心が洗われる感じがするとのこと。3)毎年、春分の日に、吉備津神社の神職が、中山茶臼山古墳にて、墓前祭を執り行っているとのこと。記憶をたどると、「春分の日」とおっしゃっていたように思いますが、もしかしたら「秋...
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