徳川家康の先祖、松平3代信光...
Read more案内板には ここ、岩津城址は信光明寺の裏手の丘にあり、松平三代信光が、この地方の勢力を伸ばす本拠地としたといわれる岩津城の跡です。 築城は、叔父の松平二代の奉親とともに1421年に加茂郡松平から岩津に進出を果たしたことに始まるとされています。 この山城は、戦国時代の様相を示す優れた縄張構成を持つ城郭で、中世のほぼすべての要素が揃っている重要な遺跡です。 と書かれています。 そして松平信光は、その後西へ勢力を伸ばし、やがて安祥城を攻略して居を移します。 しかし、その後も岩津城は松平氏の重要な支城となり、色々ありますが松平一族らが城主となります。 そして今川氏に属していたころに廃城となったと言われています。 ちなみに信光明寺は岩津城主の松平3代信光が1451年に祖父親氏・父泰親の菩堤のため、岩津に創建したお寺で「松平親氏、松平泰親、松平信...
Read more加茂郡松平郷より岩津に進出した松平三代・信光公が応永28年(1421)に岩津を拠点としていた中根(岩津)大膳を滅ぼし岩津城を築城、後に長男の親長公に譲り松平惣領家の岩津松平家が勃興。しかし、永正の三河大乱で今川氏親公とその叔父・伊勢宗瑞公が率いる今川勢に攻められ岩津松平家は滅亡し、惣領家が安城松平家に移る。
岩津天満宮に続く東名高速道路の高架手前に案内板があり、岩津城に続く細道があるが私有地のため立ち入ることはできず、城の西側より入る(中華料理...
Read more