玖島城跡は、大村駅の南西2kmほどの大村湾に突き出した半島の先端に築城されていた平山城の跡です。 かつて城は、本丸、二の丸、三の丸から構成されていて、本丸は比高15m程度、面積9,458平方mのほぼ四角形で、石垣で囲まれており、西に虎口門、南に台所門、北に搦手門の3つの虎口を持つが、天守は建造されませんでした。 初代藩主の大村喜前が文禄・慶長の役から帰った後、慶長3~4年(1598~1599年)築城してから12代藩主純熈の代(幕末)まで、270余年間大村氏の居城でした。 築城当時、国内では秀吉が死去し、再び争いが起こる気配となっていました。大村では、それまでの居城三城城では鉄砲や大砲を使った新しい戦に対応できず、新しい城造りが急がれていました。そこで、喜前が朝鮮出兵のとき立てこもった順天城が海に面しており、大軍に囲まれても守りやすかった体験を生かして、三方を海に囲まれた要害の地玖島を選んで本城を築き、三城城よりここに移りました。...
Read more三城[さんじょう]城から玖島[くしま]城へ来た。祝日であるが隣のボートレース場が休みだったので周辺は空いていて、車で10分位だった。城巡りは大手門から入ることを“良し”としているので、車は敢えて城内の便利な大村神社駐車場でなく、新蔵波止跡の前にある公共駐車場(無料)に停めた。 ここから、板敷櫓・高石垣を左手に眺めて大手門、大手虎口・穴門へ、二の丸跡を通って板敷櫓へ、戻って虎口門跡から本丸跡(大村神社・大村喜前[よしあき]遺徳碑・雁木・搦手門・玖島稲荷神社など)へ、稲荷神社脇道から本丸を降りて行って「いろは段跡」下へ、「いろは段」を登り切って右手に向かい三の丸跡へ、更にお船蔵跡へ、そして右手に大村湾を眺めながら新蔵波止跡(駐車場)へ戻ってきた。急いで所要70分程度、天気は曇り、気温は30度弱だったので何とか頑張れた。中々お奨めのコースである。
さて、玖島城は大村家19代(大村藩2万7千石の初代藩主)喜前[よしあき]が慶長四(1599)年に築城し、父純忠[すみただ](有馬晴純の二男)が築城した三城城から居城を移した。理由は秀吉死後の天下が乱れるのを恐れてと云われているが、南蛮貿易に有利な港を掌握する城が欲しかったからでもある。その後、慶長十九(1614)年20代純頼[すみより]の時に城の大改修を行った。この大改修では加藤清正の意見を求めて、大手門を北側(現在の搦手門)から南側(現在の大手門)へ移したり、大手門から板敷櫓台までの高石垣を築造したりした。
私は、「中世城郭」としての三城城から「近世城郭」としての玖島城へ巡り来たが、両城から受ける感慨は大きく異なる。三城城は未整備で分かり辛いところはあったが、三つの大きな曲輪を持つ土の城で、戦国時代のロマンを感じた。一方、玖島城は本丸周辺の虎口や石垣、板敷櫓周辺の高石垣などの美しさ、力強さ、城全体から当時の安寧秩序を感じた。どちらも本当に印象に残った好い城である。《...
Read moreThe castle was built in the late Muromachi period (1336-1573).
It served as a defensive fortification and a residence for local lords.
The castle ruins include remains of stone walls and moats.
The site is open to visitors and offers a glimpse into Japan's...
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