パナマ運河と同じ閘門式のドックは日本で三池港だけ。 港湾整備の手始めとして團琢磨は1902年(明治35年)から築港の堤防工事に着手し、2年をかけて完成。 その後1905年(明治38年)にパナマ運河と同じ方式の閘門(こうもん)工事を開始し、3年の月日と、延べ262万人をかけて閘門式ドックを完成させていきます。 観音開きの扉は長さ12.17m、高さ8.84m、厚さ1.20m、重さ91.3トン。 100年以上経た今も現役で稼動しています。 ※閘門とは:水位の異なる河川や運河、水路の前後を閘門で仕切り、水量を調節して船を上下移動させるための装置
ほぼ同時進行で炭鉱、港湾、鉄道を整備していった。 有明海は遠浅で日本一の干満差(5m以上もある)があるため、大型船の入港ができませんでした。 そのため、三池炭鉱で採炭された石炭の搬出は、大牟田川の河口から小舟で一旦、島原半島南端の口之津港や熊本県の三角西港までピストン輸送で運び、そこで大型船に積み替えて各地へ送られていました。 團琢磨は、採炭量が急激に増えていくことを予測していたため、地底から採炭した石炭を運搬する環境整備を1902年から進めて行き、やがて1万トンクラスの大型船が接岸ができるような大きな港に築港、その後の発展に大きく貢献していきました。 三池港は現在でも海外貿易港として活躍しています。 ※三角西港は港湾岸壁が残っていることで「明治日本の産業革命遺産」に登録されています。
上海、香港、シンガポールへの輸出港に成長していった。 三池炭鉱で採炭される石炭は良質であることから、始めから海外への輸出を考えていた三井にとって採炭現場から船積みまでワンストップでの仕組みが必要でした。 これらの事業取組みの背景には、インフラ整備の必要性に気づいていた團琢磨の矢継ぎ早の対策に、旧三井物産社長の増田孝が信頼を置き、経済的に支援したことで一気に進んでいく...
Read more展望所という名前からそれなりに高い所からの眺望を期待しますが、実際は数メートルの高さの盛土で出来た高台です。 確かに、三池港にある施設を一望出来ます。三池港の平面形状をハミングバード(ハチドリ)に例えられますが、その尾っぽの方からくちばしの方に向けて、丁度中心線上にこの展望台が設けられています。 ガイドの方が常駐されているようで(曜日に関係なく)、その詳しい説明を聞くと黎明期の日本に思いを馳せることが出来ます。また、11月と2月にここを訪れると、先述したハチドリのくちばしの延長線上に夕日が沈む絶好の写真が撮れるのだそうです。ガイドさんの話を聞いてこその情報でしょうか。 利用は無料です。無料駐車場(大型バスも対応)、仮設型のトイレあります。展望所までは緩い坂道を登ることになりますが、たぶん車椅子で...
Read more三池港インターから降りてナビ通りに行きましたが、「ここかな?」と思いつつ一度通り過ぎてしまいましたw 到着すると年配のガイドの方がご案内してくださり、「15分くらいのお話しですが、途中でも時間がなかったら気兼ねなく言って下さい」と言って、三池港建設の立役者である團琢磨氏の生涯を中心に三池港の歴史を教えて頂きました。
正直言うとこういうのは退屈なことが多いのですが、ガイドさんの手持ちの資料を使った説明には本当に聞き入ってしまいました。團琢磨カッコいい! ガイドさんはストーリーの組み立ても素晴らしく感動しました。
夕陽のインスタ映えが話題のようですが、歴史もとても興味深くいい時を過ごすことができました。ガイドさん...
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