【琵琶塚古墳】…かつて、手付かずの、その佇(たたずまい)は素晴らしいものでした…あの辺りの風景·自然との一体感がまた良かったですね…
墳丘は多くの杉の木に守られてずっと昔からの形容を保っていました。(飯塚あたりの街道からは森の中に前方後円墳のシルエットが、美しく見えましたね…)
合掌してから木段を一歩一歩、上ったものでした…
前方部から続く、馬の背の小径を辿れば、左右に幹の間から季節ごとに癒しの景色、そして、小さな石祠のある後円部、最高地点に立ちました。 再び合掌、お賽銭を置きます…
あるときは、雷さまの爪痕が、近くの木を割って、真っ黒に焦がしていましたっけ… 「くわばら·くわばら (桑原·桑原)…」と、心のなかで唱えます。 これ、カミナリよけの真剣なおまじない。
周濠(しゅうこう)を巡ればオハグロトンボが優雅にホバリング(空中静止浮揚)しつつ、案内してくれました…「コチラへ ·オススミ ·ナサレ…」と…
もはや、それも 夢、幻となりました…
墳丘上、全ての杉が、伐採された姿をみて驚き、悲しくさえ思っていたのです… 殺風景、和みがなくなったと感じられた方もいたようです。ある友人は心の風景が壊れてゆくと伝えてきました。
これは、 古来守られてきたアジ―ル(歴史的な聖域)を傷つけることに対する自然な感情だと思いますが…
そういえば…このことから、
県北、大田原(合併前は湯津上村)にある古墳… かの徳川光圀公が発掘に関わられた史実をもち、崩落防止の保護林、松林に今も守られ続けている… 【下侍塚古墳(しもさむらいづかこふん)】の事を思い出すのです。 それは、特殊な前方後方墳として広く知られていますが… 彼の地と同じように、小山...
Read more「あ、髪切った?似合うー」
栃木県でNo.2の墳丘長125メートルを持つ、国指定史跡の前方後円墳です。 以前訪問した際は、墳丘に木立がありましたが、最近訪問した方の写真を見ると、すっきりとスキンヘッドになっているようで、きれいに整備されていることがわかります。
ここの古墳の主は下毛野國を治めていた地元豪族か、もしくはヤマト王権から信任を得て派遣された國造か、ロマンは尽きないですね。 2013年から発掘調査が実施され、多数の円筒埴輪が出土しました。出土品は隣りにある「国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」に展示されています。
ところでこの資料館の名称のなんですが、なんで摩利支天塚古墳の名前が作で琵琶塚古墳が後なんだろう、って疑問でした。 だって、各スペックは下記載の通り、琵琶塚古墳の方が高いのに。 摩利支天塚古墳: 推定築造5世紀末、墳丘長117m(県内3位)、国史跡指定1978年 琵琶塚古墳: 推定築造6世紀初頭、墳丘長128m(県内2位)、国史跡指定1926年
と、ここまで書いて突如理解できました!
築造時期が摩利支天塚古墳の方が早かったんですねー。 そりゃ、お兄ちゃんを先にしますよね。ああ、納得デス。 出来の良い弟(貴乃花)だったとしても、セットで呼ぶときはお兄ちゃん(若乃花)が先になって「若貴兄弟」でしたもんね。 その点から比定するならば、こ...
Read moreGreat ruin of a large keyhole-shaped tomb mound, originally built around 1300 years ago. You can...
Read more