祇園城は 思川に臨む台地上に築かれ 思川を外堀とした要害堅固な城です。 三つの郭が連なる、連郭式 城郭で 深い空堀や、土塁が残り 現在は、城山公園になっています。 1148年、平安末期に ▶️藤原秀郷を祖とする 小山政光(小山氏祖)が築城したのがはじまりで 小山氏二代・朝政は 源頼朝の挙兵に加わり 鎌倉幕府創業の功臣となります。 … 後、1333年 七代・定朝 八代・秀朝は 北条政権打倒の合戦に加わり 討死。 九代・朝氏 十代・氏政は 足利尊氏に従い活躍。 十一代・義政は 城内にまつられている祇園神社から名をとり 城の名を【祇園城】としました…。
義政は、宇都宮氏との領地争いに干渉する足利氏満に 反旗を翻して 三度にわたる降状と、挙兵を 繰り返し自刃。
小山隆政の子も、鎌倉の海に しずめられ💧 小山氏の正統は途絶えます… … 後、1400年 足利氏満は、名族小山氏断絶を惜しんで 同族の、結城基光・次男 ★泰朝に 小山氏名跡を継がせ 以後 室町時代~戦国時代にかけて 古河公方→後、小田原北条氏 の支配下に入り 城の堀や土塁を堅固にするなど 戦国時代に適応する城郭にしました… 1590年 豊臣秀吉の小田原攻めにより 北条氏が滅びると 二十一代・小山政種も城を 追われ 平安末期~続いた小山氏の 歴史に幕が閉じ 祇園城も廃城となります…。 … 徳川家康の天下となった 1680年 家康側近の 本多正純が城主となり 正純が宇都宮に転封になると 再び廃城となりました。
徳川家康が関ケ原合戦前夜に 石田三成に隙をみせておき
その間に 福島正則や、豊臣恩顧の 大名を味方につけて 関ケ原へと軍を引き返した 【小山評定】の場所は 祇園城から近い 小山市役所の地と伝わるそうです。 敷地内に、小山評定の石碑があります。
頼朝に従った 小山政光の次男 【宗政】は 下野国芳賀郡長沼(真岡市)に 領地を得て、長沼氏の祖になり…
宗政の兄 【朝政】は 結城郡に住んで、結城氏の祖になり…
朝光五男 【朝良】は 下総国長沼(成田市長沼)に住み 下総長沼氏の祖になり…
小山氏家相 政光の弟【行義】は 下河辺氏の祖となり 源頼政の郎党に。 下河辺氏は 八条院領・下河辺荘を管理していました。 →行義の子【行平】は ...
Read more国指定史跡祇園城跡 小山城(おやまじょう)とも呼ばれますが、城跡は祇園城跡の名称で中久喜城跡、鷲城跡とともに小山氏城跡として国の史跡に指定されています。 現在城跡には建造物はありませんが城山公園として保存整備され、中世の城館らしくいくつもの曲輪、土塁、空堀、馬出しなどの遺構が残っています。 また城山公園の南側には小山御殿跡があり平成27年に再整備され小山御殿広場となっています。 【歴史】 小山城(祇園城)は中久喜城、鷲城とならび、鎌倉時代に下野国守護を務めた小山氏の居城で南北朝時代になって小山氏の本城となった。 天正4年(1576年)小山秀綱が北条氏に降伏し開城すると、北条氏の手によって改修され北関東の拠点となる。 天正18年(1590年)小田原征伐で北条氏が滅亡すると慶長12年(1602年)本多正純が相模国玉縄より入封したが正純は元和5年(1619年)宇都宮へ移封すると小山城は廃城となった。 【アクセス】 城山公園の駐車場があります。
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Read more下野国守護...
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