「あの奇怪な建物は炭鉱施設だった。」 一時期ゾンビの塔などと物騒な名前を付けられていた福岡県志免町にある石炭抗、旧志免鉱業所竪坑櫓(しめこうぎょうしょたてこうやぐら)(写真) 志免鉱業所竪坑櫓は遠くからでもよく見える、福岡県志免町のランドマーク的存在の遺構です。高さ53mにもなるこの縦坑櫓は鉄筋コンクリート構造のワインディング・タワー型と呼ばれるもので、国内でこのタイプの縦坑櫓が現存するのは唯一ここだけです。この櫓の下には地下430mの縦坑があり、櫓上部に直接据え置かれた1000馬力の巻き上げ機で昇降を行っていました。
この志免鉱業所は明治22年に海軍が軍艦の燃料である石炭を確保するために開設したもので、現在残っているこの竪坑櫓も、昭和18年に日本海軍により建造されました。終戦後は国鉄所有の鉱業所になりましたが、他の炭鉱と同じくエネルギー革命により昭和39年に閉山。最初から最後まで“国営”という珍しい炭鉱でした。その後NEDO(新エネルギー産業技術総合開発機構)の所有になり解体の話も出たりしましたが、住民の保存運動が実り現在「見守り保存」という形になっています。土木学会から「近代土木遺産評価Aランク」、産業考古学会からは「推薦産業遺産」に認定。現在はNEDOから無償譲渡され志免町の所有。(九州ヘリテージより引用) 一時期には行政も町議会も町民も櫓の取り壊しに賛成だったと聞きました。 保存運動に参加さ...
Read more私がここをはじめて訪れたのは、2005年8月でした、当時はまだ文化財の指定がされておらず、直ぐ近くまで寄っていける、所謂見守り保存状態でしたね。 現在は周囲が綺麗に公園として整備されていますが、2005年当時は雑草が生い茂るまさに廃墟のようでした。当時から価値ある近代産業遺産がこのまま打ち捨てられてしまうのは本当に惜しい事だと思っていたので、文化財として指定された事は誠に喜ばしき限りです。 旧日本海軍が関わった建造物としては長崎の針尾送信所も有名ですね、あちらは更に大正まで遡りますのでそろそろ100年くらいになりますが、風化や劣化がほとんど無くしっかりと立っています、当時から旧日本海軍は良質なコンクリートと鉄骨を惜しげも無く投入していたからこそ今の時代まで残ったのだと思います。 ※2005年8月に撮影した画像をアップします。 ・2007年(平成19年)7月31日に国の登録有形文化財に登録 ・2009年(平成21年)12月8日、国の重要文化財に指定 竪坑櫓とそのすぐ近くに残されている斜坑口(第八坑連卸坑口)、国鉄勝田線跡地(志免駅跡である志免鉄道記念公園ほか)などが「志免鉱業所関連遺産」として経済産業省の近代化産...
Read more竪坑をぐるり一周ウォーキングできます。
志免鉱業所は、かつて九州を代表する炭鉱の一つとして栄えました。明治時代後期に操業を開始し、第二次世界大戦中には海軍の燃料供給基地として重要な役割を果たしました。最盛期には6,000人もの従業員が働き、年間50万トンもの石炭を生産していました。しかし、石油への転換が進み、1964年に閉山。活気に満ちていた炭鉱町は、その姿を大きく変えることとなりました。
跡地に残る竪坑櫓は、その巨大な姿が印象的です。地上にある櫓の部分は1941年に着工され、1943年に完成。当時の最先端技術が駆使されたこの構造物は、近代建設技術史上、非常に高い価値を持つものとして評価されています。ケージと呼ばれるかごによって採炭夫の昇降や、石炭の搬出が行われていたこの施設は、炭鉱の心臓部ともいうべき存在でした。
竪坑櫓は、2009年に国の重要文化財に指定されました。第二次世界大戦終戦前に建設された同型のもので現存しているのは世界でも数少ない貴重な存在であり、日本の近代化を支えた産業遺産として、その価値は非...
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