HTML SitemapExplore
logo
Find Things to DoFind The Best Restaurants

Toro Archaeological Site — Attraction in Shizuoka

Name
Toro Archaeological Site
Description
Toro is an archaeological site in Suruga Ward in Shizuoka City, 130 kilometres southwest of Tokyo, Japan. The site contains the ruins of a settlement which dates to the 1st century CE, in the late Yayoi period.
Nearby attractions
Toro Park
5 Chome-10 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
Shizuoka City Serizawa Keisuke Art Museum
5 Chome-10-5 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
Shizuoka City Toro Museum
5 Chome-10-5 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
Sumpu Museum
3 Chome-1-1 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
Takamatsu Sakka Park
1 Chome-23-23 Shikiji, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8036, Japan
Nearby restaurants
やまだいち 登呂もちの家
5 Chome-15-13 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
Ajiyoshi
6 Chome-1-9 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
La Avenir
5 Chome-19-38 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
Steak Asakuma Miyatake-ten
1 Chome-1-1 Miyatake, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8035, Japan
麺処 汐のや
1 Chome-10-22 Shikiji, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8036, Japan
Firenze
4 Chome-28-7 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
Tembooo
Japan, 〒422-8033 Shizuoka, Suruga Ward, Toro, 3 Chome−1−1 静岡新聞放送会館 17階
ガンガ ザムナ インド ネパール ファミリー 飲食店& バー
Japan, 〒422-8036 Shizuoka, Suruga Ward, Shikiji, 1 Chome−10−22 Child
沼津魚がし鮨 流れ鮨 静岡石田店
Japan, 〒422-8074 Shizuoka, Suruga Ward, Minamiyahatacho, 8−22 UNY coure クオーレ静岡1F
Pasutaya Itchome Sentorarusukueaten
Japan, 〒422-8074 Shizuoka, Suruga Ward, Minamiyahatacho, 8−22 アピタ静岡 クオーレ館1F
Nearby hotels
旅館 登呂
4 Chome-17-23 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
Related posts
Keywords
Toro Archaeological Site tourism.Toro Archaeological Site hotels.Toro Archaeological Site bed and breakfast. flights to Toro Archaeological Site.Toro Archaeological Site attractions.Toro Archaeological Site restaurants.Toro Archaeological Site travel.Toro Archaeological Site travel guide.Toro Archaeological Site travel blog.Toro Archaeological Site pictures.Toro Archaeological Site photos.Toro Archaeological Site travel tips.Toro Archaeological Site maps.Toro Archaeological Site things to do.
Toro Archaeological Site things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Toro Archaeological Site
JapanShizuoka PrefectureShizuokaToro Archaeological Site

Basic Info

Toro Archaeological Site

5 Chome-10-5 Toro, Suruga Ward, Shizuoka, 422-8033, Japan
3.9(969)
Closed
Save
spot

Ratings & Description

Info

Toro is an archaeological site in Suruga Ward in Shizuoka City, 130 kilometres southwest of Tokyo, Japan. The site contains the ruins of a settlement which dates to the 1st century CE, in the late Yayoi period.

Cultural
Outdoor
Family friendly
attractions: Toro Park, Shizuoka City Serizawa Keisuke Art Museum, Shizuoka City Toro Museum, Sumpu Museum, Takamatsu Sakka Park, restaurants: やまだいち 登呂もちの家, Ajiyoshi, La Avenir, Steak Asakuma Miyatake-ten, 麺処 汐のや, Firenze, Tembooo, ガンガ ザムナ インド ネパール ファミリー 飲食店& バー, 沼津魚がし鮨 流れ鮨 静岡石田店, Pasutaya Itchome Sentorarusukueaten
logoLearn more insights from Wanderboat AI.
Phone
+81 54-285-0476
Website
shizuoka-toromuseum.jp
Open hoursSee all hours
Tue9 AM - 4:30 PMClosed

Plan your stay

hotel
Pet-friendly Hotels in Shizuoka
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Affordable Hotels in Shizuoka
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Trending Stays Worth the Hype in Shizuoka
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Reviews

Nearby attractions of Toro Archaeological Site

Toro Park

Shizuoka City Serizawa Keisuke Art Museum

Shizuoka City Toro Museum

Sumpu Museum

Takamatsu Sakka Park

Toro Park

Toro Park

3.8

(232)

Open until 12:00 AM
Click for details
Shizuoka City Serizawa Keisuke Art Museum

Shizuoka City Serizawa Keisuke Art Museum

4.5

(192)

Open 24 hours
Click for details
Shizuoka City Toro Museum

Shizuoka City Toro Museum

4.0

(176)

Open 24 hours
Click for details
Sumpu Museum

Sumpu Museum

3.8

(86)

Open 24 hours
Click for details

Nearby restaurants of Toro Archaeological Site

やまだいち 登呂もちの家

Ajiyoshi

La Avenir

Steak Asakuma Miyatake-ten

麺処 汐のや

Firenze

Tembooo

ガンガ ザムナ インド ネパール ファミリー 飲食店& バー

沼津魚がし鮨 流れ鮨 静岡石田店

Pasutaya Itchome Sentorarusukueaten

やまだいち 登呂もちの家

やまだいち 登呂もちの家

4.2

(158)

Click for details
Ajiyoshi

Ajiyoshi

3.9

(236)

Click for details
La Avenir

La Avenir

4.7

(16)

Click for details
Steak Asakuma Miyatake-ten

Steak Asakuma Miyatake-ten

3.6

(237)

Click for details
Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
Wanderboat LogoWanderboat

Your everyday Al companion for getaway ideas

CompanyAbout Us
InformationAI Trip PlannerSitemap
SocialXInstagramTiktokLinkedin
LegalTerms of ServicePrivacy Policy

Get the app

© 2025 Wanderboat. All rights reserved.
logo

Reviews of Toro Archaeological Site

3.9
(969)
avatar
5.0
1y

This is a great place to visit. It's a short bus ride from Shizuoka station and although small, has lots of to see. It's free to walk around the recreations of the houses/rice paddies and 1st floor of the museum, where you get to be "hands on" with the exhibits. You can use stone tools and create a small fire in the demonstration outside. It's a lot of fun! You get a really good view of Mount Fuji from the 3rd floor. You pay for the 2nd floor but it's super cheap and has some great exhibits. They also provide a free audio guide. It was very quiet when we visited and should get more visitors than it does! Great value for money and...

   Read more
avatar
5.0
2y

1943年(昭和18年)、住友金属工業プロペラ製作所静岡工場建設時に発見された史跡。同年1月から造成工事が行われ内容としては建設用地は北側となり、水田側から採土して土盛りをするといった工場であったらしい。 6月頃から土器や木製の品々、杭が見つかり、鹿島組の現場請負の方が中田国民学校に預け、考古学に興味のあった鹿島組の大阪支店市長も興味を持った。また、在野の考古学者安本博氏はこれが大発見であることに気付き毎日新聞記者森豊氏に伝える。 記事発表後は東京にいる考古学者、宮内庁、神社庁の方などが駆けつけた。 カメラで撮っていたら憲兵に殴られたという逸話も残っている。 また、この際、復興局が測量を行っている。

さてさて、戦時中であったが、重要性を説いた方がいたおかげで第一次発掘(1943年)が開始された。 採集されたものは葵文庫や駿府城内の県立図書館、および工場敷地に集められ、模造品も作られた。 住友家の当主、住友吉左衛門からの資金の寄付もあった。

余談であるが、当時の住友金属工業は海軍向けの金属プロペラを多く作っていたらしい。近隣(北東)には三菱重工業静岡発動機製作所もあった。

発掘調査は現代の発掘調査のようなものではなく、地表に出てしまった遺物の採集を行う方法であった模様。また森林跡に関しても調査されている。

しかしながら戦時中であり、戦争の激化によって発掘調査は中断された。 安本氏は中国へ。森豊氏も九州へ。 その後、静岡も空襲があり、上記の2工場は壊滅。工場長も戦死している。 遺物は大部分焼失した。 最も多くの収蔵品があった県立図書館では加藤図書館長により水槽に入れて守られた土器もあった。

戦後、登呂遺跡はB-29の爆弾によって出来た水たまりや、森林跡がある状態であった。森林跡に関しては切り株が多数あったがよく燃えた為、燃料にされてしまった。この為、森林跡に関しては戦前の写真から推し量るしかない状態である。(もう少し広範囲に発掘したらまた出てくる可能性はある) 登呂遺跡の西側には旧第一、第二森林跡など「跡」と記載されているのに「旧」がついてるのはこの為であろう(なお、以前はコンクリート製の切り株が置かれていた)

敗戦翌年初夏、森豊氏が先に帰ってきた事あり、登呂遺跡の再発掘の呼びかけを開始。なお、安本氏が帰ってきたのは敗戦翌年秋であった。 戦後の困窮期の中であるのに、資金をかき集め目標金額未達であったが、第二次調査を開始。

この際、遺跡の名称を決める為、「登呂遺跡」か、「駿河富士見が原原始農耕集落遺跡」かで投票が行われ、「登呂遺跡」となる。

1947年7月には再発掘(二次)を開始。なお、毎日新聞に資金難の記事を載せたりした事もあり、メディアの注目を浴びる。ただし保存費の不足で埋没で戻したりしている。 10月には上野の森国立博物館で登呂遺跡展を行う。益々注目を浴びる。

1948年7月には第三次調査が開始。なお、この際の本部は元三菱重工業静岡工場となっている。GHQもブルドーザーを用意しようとしたが福井地震(1948年6月)があり流れた。東京国立博物館で展示が行われた。なお、単一の遺跡に関する展示はここが初。

1949年7月には第四次調査が行われ、ここで弥生式の水田が初めて世に出た。

1950年8月には第五次調査。この年で資金面により一旦取りやめされ、しばらくは発掘は行われない。

その後、復元整備が行われるようになる。 1951年には一号復元住居、1952年には一号復元倉庫(この年に国特別史跡に指定)1955年には静岡考古館が開館、1957年には復元建築を増設と続く。 静岡考古館は1971年に閉館。現在の登呂博物館(103,140...

   Read more
avatar
1.0
3y

歴史的な出土品が沢山出て弥生時代研究の確立、貢献した登呂遺跡。 同じ学区で中学生だった時に 体育館改築時に遺跡が出てしまい工期がだいぶおくれた。いつまでも体育館が出来ないなあ、というのを思い出します。とにかくここら辺は掘ればなんか出てくる。こっそり掘って土器発見。こっそり持って帰った。しばらく宝物だったがゴミに見えたようで父に捨てられていた。ちなみに化石も石ころに見えたようですべて捨てられた😅

ところで静岡市民として疑問。 街中でもないこんな立地で駐車場代を取るの...

   Read more
Page 1 of 7
Previous
Next

Posts

りゃふらふりゃふらふ
1943年(昭和18年)、住友金属工業プロペラ製作所静岡工場建設時に発見された史跡。同年1月から造成工事が行われ内容としては建設用地は北側となり、水田側から採土して土盛りをするといった工場であったらしい。 6月頃から土器や木製の品々、杭が見つかり、鹿島組の現場請負の方が中田国民学校に預け、考古学に興味のあった鹿島組の大阪支店市長も興味を持った。また、在野の考古学者安本博氏はこれが大発見であることに気付き毎日新聞記者森豊氏に伝える。 記事発表後は東京にいる考古学者、宮内庁、神社庁の方などが駆けつけた。 カメラで撮っていたら憲兵に殴られたという逸話も残っている。 また、この際、復興局が測量を行っている。 さてさて、戦時中であったが、重要性を説いた方がいたおかげで第一次発掘(1943年)が開始された。 採集されたものは葵文庫や駿府城内の県立図書館、および工場敷地に集められ、模造品も作られた。 住友家の当主、住友吉左衛門からの資金の寄付もあった。 余談であるが、当時の住友金属工業は海軍向けの金属プロペラを多く作っていたらしい。近隣(北東)には三菱重工業静岡発動機製作所もあった。 発掘調査は現代の発掘調査のようなものではなく、地表に出てしまった遺物の採集を行う方法であった模様。また森林跡に関しても調査されている。 しかしながら戦時中であり、戦争の激化によって発掘調査は中断された。 安本氏は中国へ。森豊氏も九州へ。 その後、静岡も空襲があり、上記の2工場は壊滅。工場長も戦死している。 遺物は大部分焼失した。 最も多くの収蔵品があった県立図書館では加藤図書館長により水槽に入れて守られた土器もあった。 戦後、登呂遺跡はB-29の爆弾によって出来た水たまりや、森林跡がある状態であった。森林跡に関しては切り株が多数あったがよく燃えた為、燃料にされてしまった。この為、森林跡に関しては戦前の写真から推し量るしかない状態である。(もう少し広範囲に発掘したらまた出てくる可能性はある) 登呂遺跡の西側には旧第一、第二森林跡など「跡」と記載されているのに「旧」がついてるのはこの為であろう(なお、以前はコンクリート製の切り株が置かれていた) 敗戦翌年初夏、森豊氏が先に帰ってきた事あり、登呂遺跡の再発掘の呼びかけを開始。なお、安本氏が帰ってきたのは敗戦翌年秋であった。 戦後の困窮期の中であるのに、資金をかき集め目標金額未達であったが、第二次調査を開始。 この際、遺跡の名称を決める為、「登呂遺跡」か、「駿河富士見が原原始農耕集落遺跡」かで投票が行われ、「登呂遺跡」となる。 1947年7月には再発掘(二次)を開始。なお、毎日新聞に資金難の記事を載せたりした事もあり、メディアの注目を浴びる。ただし保存費の不足で埋没で戻したりしている。 10月には上野の森国立博物館で登呂遺跡展を行う。益々注目を浴びる。 1948年7月には第三次調査が開始。なお、この際の本部は元三菱重工業静岡工場となっている。GHQもブルドーザーを用意しようとしたが福井地震(1948年6月)があり流れた。東京国立博物館で展示が行われた。なお、単一の遺跡に関する展示はここが初。 1949年7月には第四次調査が行われ、ここで弥生式の水田が初めて世に出た。 1950年8月には第五次調査。この年で資金面により一旦取りやめされ、しばらくは発掘は行われない。 その後、復元整備が行われるようになる。 1951年には一号復元住居、1952年には一号復元倉庫(この年に国特別史跡に指定)1955年には静岡考古館が開館、1957年には復元建築を増設と続く。 静岡考古館は1971年に閉館。現在の登呂博物館(103,140 m²)は1972年オープン。 余談であるが、復元建築が出来上がってから、イタズラや落書きが多く問題となった。 その中でも1970年2月と、1975年9月に復元建築に放火され焼失する事件があった。 犯人は1976年に捕まった。憂さ晴らしだっらしい。 復元建築による放火はこれまでに4回あり、この為かどうかは不明であるが、第一種住宅専用地域である事から、再整備では登呂博物館では復元建築が建物内に作られたり、体験で利用される茅葺き屋根の竪穴式住居が鉄骨造GRC(ガラス繊維強化セメント)で作られたりなどしている。なお、入られない建築物は屋外展示物の扱いとなっています。 なお、静岡市立芹沢銈介美術館の前に初期の復元建築の中で焼失しなかった建物が「旧復元建築」として移築されている
姫川玲子姫川玲子
歴史的な出土品が沢山出て弥生時代研究の確立、貢献した登呂遺跡。 同じ学区で中学生だった時に 体育館改築時に遺跡が出てしまい工期がだいぶおくれた。いつまでも体育館が出来ないなあ、というのを思い出します。とにかくここら辺は掘ればなんか出てくる。こっそり掘って土器発見。こっそり持って帰った。しばらく宝物だったがゴミに見えたようで父に捨てられていた。ちなみに化石も石ころに見えたようですべて捨てられた😅 ところで静岡市民として疑問。 街中でもないこんな立地で駐車場代を取るの !? 縄文の資料館とか博物館で山梨/長野に行くけど駐車場代とるとこなんてないですよ。。 無料にしたら新規はわからないけどリピートはあります。門戸は広く開けておくべきですよ。多分県外さんも🅿代とるの!?って思ってるはず! R7/2/08 近いのでひまつぶしに。 南側の大型🅿️で問い合わせたらバイクは250なら無料との事。2台目からは料金取りますというよくわからないシステム。 北側のバスロータリー横の建物奥に無料駐輪場(トイレ前)があってオッケーですよ☝️ 屋外の竪穴式住居のいくつかの玄関に木製ドア?があった。そういうドア的な発見もないし、あった説もない。立ち入り禁止(雨で浸水がなんとかってカンバンあり)だったので本来は無い光景なのだが、ある意味完成形では!? 風雨も防げるし人的獣的被害も防げる。 これならワタクシ住めちゃうかも🙌 特筆は水田跡。広大に保存されていてこれだけでも見る価値アリ! 野鳥がいたり懐かしい泥の匂いもして意味なく落ち着く。外で遊ぶのが日常だった昭和世代には懐かしい香りのする空間だと思います! 当時の空間が残されているリアリティが感じられてオススメ。 千年前を空想するって素敵だと思います😺 面白かったのは平成の調査時に見つかった昭和の調査時(調査員)の忘れ物の展示。そんなモノ展示はいいアイデアですね! むしろ「掘ったらこんなモノ出てきた展/2025」とかやって欲しい。学術的価値が全く無い方がきっと面白い! 駐車場はやっぱり無料にするべき。 いろんな人に見てもらう知ってもらう機会を作るためにも🙇 周辺に観光する所も食事処すら全くない。周辺インフラ整備されてれば他観光もあわせて🅿️利用もいいのだが。これで1日/400円は高いかな。。 館内のミュージアムショップも閉まってたり。職員さんも少ない。なんかすべてが悪循環でした。人が来なきゃこうなる。色々と経費かかるのは理解するけど取れるとこから取る税金みたいなお役所的思考はカンベンして欲しい。 こういった状況では県民として地元のも他県にもオススメ出来ないかな。 2025/07 やっぱりこの空間は好き。 当時の生活ということで田んぼもあります。小さな水引用の小川を覗くと可愛いメダカがいっぱいでした! 当時メダカがいたか分かりませんが、今よりもきっといろんな生き物がいたことでしょう✨ あめんぼもいっぱい。タニシもいましたが外来種のジャンボタニシっぽかったです。 バス待ちでタクシー乗り継いできた県外さんが感動した!とおっしゃってました。ホントにそれは何よりです🙇
លី ឧត្តមលី ឧត្តម
Toro site in Shizuoka is a must to visit if you want to understand deep into Japanese culture. The parking is very convenient, very few people visit even it was weekend. Don't forget to go to the Serizawa Keisuke Art Museum next door and his house, he was a very well known artist and part of the minimalism trend as well. Very interesting!
See more posts
See more posts
hotel
Find your stay

Pet-friendly Hotels in Shizuoka

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

1943年(昭和18年)、住友金属工業プロペラ製作所静岡工場建設時に発見された史跡。同年1月から造成工事が行われ内容としては建設用地は北側となり、水田側から採土して土盛りをするといった工場であったらしい。 6月頃から土器や木製の品々、杭が見つかり、鹿島組の現場請負の方が中田国民学校に預け、考古学に興味のあった鹿島組の大阪支店市長も興味を持った。また、在野の考古学者安本博氏はこれが大発見であることに気付き毎日新聞記者森豊氏に伝える。 記事発表後は東京にいる考古学者、宮内庁、神社庁の方などが駆けつけた。 カメラで撮っていたら憲兵に殴られたという逸話も残っている。 また、この際、復興局が測量を行っている。 さてさて、戦時中であったが、重要性を説いた方がいたおかげで第一次発掘(1943年)が開始された。 採集されたものは葵文庫や駿府城内の県立図書館、および工場敷地に集められ、模造品も作られた。 住友家の当主、住友吉左衛門からの資金の寄付もあった。 余談であるが、当時の住友金属工業は海軍向けの金属プロペラを多く作っていたらしい。近隣(北東)には三菱重工業静岡発動機製作所もあった。 発掘調査は現代の発掘調査のようなものではなく、地表に出てしまった遺物の採集を行う方法であった模様。また森林跡に関しても調査されている。 しかしながら戦時中であり、戦争の激化によって発掘調査は中断された。 安本氏は中国へ。森豊氏も九州へ。 その後、静岡も空襲があり、上記の2工場は壊滅。工場長も戦死している。 遺物は大部分焼失した。 最も多くの収蔵品があった県立図書館では加藤図書館長により水槽に入れて守られた土器もあった。 戦後、登呂遺跡はB-29の爆弾によって出来た水たまりや、森林跡がある状態であった。森林跡に関しては切り株が多数あったがよく燃えた為、燃料にされてしまった。この為、森林跡に関しては戦前の写真から推し量るしかない状態である。(もう少し広範囲に発掘したらまた出てくる可能性はある) 登呂遺跡の西側には旧第一、第二森林跡など「跡」と記載されているのに「旧」がついてるのはこの為であろう(なお、以前はコンクリート製の切り株が置かれていた) 敗戦翌年初夏、森豊氏が先に帰ってきた事あり、登呂遺跡の再発掘の呼びかけを開始。なお、安本氏が帰ってきたのは敗戦翌年秋であった。 戦後の困窮期の中であるのに、資金をかき集め目標金額未達であったが、第二次調査を開始。 この際、遺跡の名称を決める為、「登呂遺跡」か、「駿河富士見が原原始農耕集落遺跡」かで投票が行われ、「登呂遺跡」となる。 1947年7月には再発掘(二次)を開始。なお、毎日新聞に資金難の記事を載せたりした事もあり、メディアの注目を浴びる。ただし保存費の不足で埋没で戻したりしている。 10月には上野の森国立博物館で登呂遺跡展を行う。益々注目を浴びる。 1948年7月には第三次調査が開始。なお、この際の本部は元三菱重工業静岡工場となっている。GHQもブルドーザーを用意しようとしたが福井地震(1948年6月)があり流れた。東京国立博物館で展示が行われた。なお、単一の遺跡に関する展示はここが初。 1949年7月には第四次調査が行われ、ここで弥生式の水田が初めて世に出た。 1950年8月には第五次調査。この年で資金面により一旦取りやめされ、しばらくは発掘は行われない。 その後、復元整備が行われるようになる。 1951年には一号復元住居、1952年には一号復元倉庫(この年に国特別史跡に指定)1955年には静岡考古館が開館、1957年には復元建築を増設と続く。 静岡考古館は1971年に閉館。現在の登呂博物館(103,140 m²)は1972年オープン。 余談であるが、復元建築が出来上がってから、イタズラや落書きが多く問題となった。 その中でも1970年2月と、1975年9月に復元建築に放火され焼失する事件があった。 犯人は1976年に捕まった。憂さ晴らしだっらしい。 復元建築による放火はこれまでに4回あり、この為かどうかは不明であるが、第一種住宅専用地域である事から、再整備では登呂博物館では復元建築が建物内に作られたり、体験で利用される茅葺き屋根の竪穴式住居が鉄骨造GRC(ガラス繊維強化セメント)で作られたりなどしている。なお、入られない建築物は屋外展示物の扱いとなっています。 なお、静岡市立芹沢銈介美術館の前に初期の復元建築の中で焼失しなかった建物が「旧復元建築」として移築されている
りゃふらふ

りゃふらふ

hotel
Find your stay

Affordable Hotels in Shizuoka

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
歴史的な出土品が沢山出て弥生時代研究の確立、貢献した登呂遺跡。 同じ学区で中学生だった時に 体育館改築時に遺跡が出てしまい工期がだいぶおくれた。いつまでも体育館が出来ないなあ、というのを思い出します。とにかくここら辺は掘ればなんか出てくる。こっそり掘って土器発見。こっそり持って帰った。しばらく宝物だったがゴミに見えたようで父に捨てられていた。ちなみに化石も石ころに見えたようですべて捨てられた😅 ところで静岡市民として疑問。 街中でもないこんな立地で駐車場代を取るの !? 縄文の資料館とか博物館で山梨/長野に行くけど駐車場代とるとこなんてないですよ。。 無料にしたら新規はわからないけどリピートはあります。門戸は広く開けておくべきですよ。多分県外さんも🅿代とるの!?って思ってるはず! R7/2/08 近いのでひまつぶしに。 南側の大型🅿️で問い合わせたらバイクは250なら無料との事。2台目からは料金取りますというよくわからないシステム。 北側のバスロータリー横の建物奥に無料駐輪場(トイレ前)があってオッケーですよ☝️ 屋外の竪穴式住居のいくつかの玄関に木製ドア?があった。そういうドア的な発見もないし、あった説もない。立ち入り禁止(雨で浸水がなんとかってカンバンあり)だったので本来は無い光景なのだが、ある意味完成形では!? 風雨も防げるし人的獣的被害も防げる。 これならワタクシ住めちゃうかも🙌 特筆は水田跡。広大に保存されていてこれだけでも見る価値アリ! 野鳥がいたり懐かしい泥の匂いもして意味なく落ち着く。外で遊ぶのが日常だった昭和世代には懐かしい香りのする空間だと思います! 当時の空間が残されているリアリティが感じられてオススメ。 千年前を空想するって素敵だと思います😺 面白かったのは平成の調査時に見つかった昭和の調査時(調査員)の忘れ物の展示。そんなモノ展示はいいアイデアですね! むしろ「掘ったらこんなモノ出てきた展/2025」とかやって欲しい。学術的価値が全く無い方がきっと面白い! 駐車場はやっぱり無料にするべき。 いろんな人に見てもらう知ってもらう機会を作るためにも🙇 周辺に観光する所も食事処すら全くない。周辺インフラ整備されてれば他観光もあわせて🅿️利用もいいのだが。これで1日/400円は高いかな。。 館内のミュージアムショップも閉まってたり。職員さんも少ない。なんかすべてが悪循環でした。人が来なきゃこうなる。色々と経費かかるのは理解するけど取れるとこから取る税金みたいなお役所的思考はカンベンして欲しい。 こういった状況では県民として地元のも他県にもオススメ出来ないかな。 2025/07 やっぱりこの空間は好き。 当時の生活ということで田んぼもあります。小さな水引用の小川を覗くと可愛いメダカがいっぱいでした! 当時メダカがいたか分かりませんが、今よりもきっといろんな生き物がいたことでしょう✨ あめんぼもいっぱい。タニシもいましたが外来種のジャンボタニシっぽかったです。 バス待ちでタクシー乗り継いできた県外さんが感動した!とおっしゃってました。ホントにそれは何よりです🙇
姫川玲子

姫川玲子

hotel
Find your stay

The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

hotel
Find your stay

Trending Stays Worth the Hype in Shizuoka

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Toro site in Shizuoka is a must to visit if you want to understand deep into Japanese culture. The parking is very convenient, very few people visit even it was weekend. Don't forget to go to the Serizawa Keisuke Art Museum next door and his house, he was a very well known artist and part of the minimalism trend as well. Very interesting!
លី ឧត្តម

លី ឧត្តម

See more posts
See more posts