大島有隣(うりん)の墓所です。本堂裏手の墓地、入って右手奥の方にあります。
以下、有隣について。
心学者として名を残した大島有隣(義展)は、宝暦5年に大島村(現在の杉戸町大島地区)に生まれました。大島家は旗本三宅氏の名主であり、三宅氏の用人も勤めました。 心学とは、江戸時代の中期に京都の石田梅岩が起こした新しい学問で、石門心学ともいわれます。心学は、神道・仏教・儒教の教えを日常生活に合わせて説いた新しい日本の倫理のようなもので、武士階層や商人だけでなく、一般庶民を対象として広まっていきました。関東地方では、中沢道二によって普及されています。 有隣は、安永8年に江戸の伊勢屋孫兵衛が大島村を訪れて心学を説くと、その影響を受けて中沢道二と会い、江戸の参前舎で心学の修行に励みました。 (...
Read more門前から開けた印象だった。簡素で整然としている。本堂を立て替えたようで、境内の隅に取り壊された鬼瓦が展示してあった。 二本の木が短く切られている。幹の太さから数百年?新芽が健気にポツンポツンと芽吹いている。
裏の墓地から道路を渡ると因幡池がある。どじょう施餓鬼というお祭りにも似た施餓鬼会が8月に行われていた(いる?)穴の中に施餓鬼が並んで立て掛けてある。木々が生い茂っている。ここに水を入れてどじょうを入れたのか?面白い。
門前にあるはずの「西行法師見返りの松」がなくなっていた。宅地化により、裏の天満宮に移されたとのこと。ところが、その松は枯れてしまい、石に刻ま...
Read more◆毎年8月22日と23日は他の寺の住職も加わっての施餓鬼会だが平日となることが多いため参詣者、露店の出店も減少。近くの池にどじょうを放してやる催事は子供には生き物を慈しむという良い経験。普段はお堂に居る閻魔さまも扉をを開いて迎えてくれます。 ◆ すぎと七福神の一つの「寿老人」が奉られている。寺域は広く、境内には寿老人の像は勿論、地蔵堂、鐘楼堂、子供たちが恐れる焔魔様のお堂等幾つかの建物がーー。 また、寺の巨大な鬼瓦の展示ウインドウもある(説明文が読みにくいのが難)。 七福神巡りで...
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