御朱印をいただきました
『高岡關野神社』は、關野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)、加久彌神社(神明社)、の三社が起源であります。
關野神社は、天暦二年(九四八)に射水群熊野村蜜蔵寺(現在の水戸田)に祀る熊野大権現を、關野の尾坂(堀上町)へ遷座し、『熊野社』と称したのが起源であります。慶長十四年(一六〇九)に、前田利長公が高岡城築城に際し、上関村(現在の神主町)へ遷座し、享保十一年八月(一七二六)に社名を正一位關野神社と改称し、その後文化三年二月(一八〇六)に現在地(高岡市末広町九番四三号)へ遷座しました。
高岡神社は慶長十五年(一六一〇)に、前田利長公が 高岡城鎮護のために建立された『稲荷社』が起源であります。慶長十九年(一六一四)に、利長公沒後、利常は前田利長公を神霊として祀り、上関村熊野社へ遷座し、その後、文化三年二月に現在地へ遷座し、明治十一年九月(一八七八)に高岡神社と改称しました。
加久彌神社は、上関、下関、鴨島一帯を神領とする奈良時代創建の古社で、「延喜式」神名帳登載の射水郡十三座の一つである「神明宮」であったとされています。発祥の地は、現在の上関地内神主町であり、五社等之由来帳(石川県立図書館蔵)によれば、天平時代には、大伴宿弥家持卿が宝鏡を奉納したと伝えられています。その後文化三年二月に現在地へ遷座し、明治維新後は、關野神社に合祀せられ、『神明社』と改称しました。
大正八年(一九一九)に、県社高岡神社と郷社關野神社が合祀して、県社高岡關野神社と改称しました。 『高岡關野神社』は、文化三年二月に現在地に遷座されて以後、俗に高ノ宮と呼ばれ、高岡の開祖前田利長公を奉祀する唯一のお宮として多くの人に親しまれ...
Read more新幹線の駅が北陸線の高岡駅と市街地に掠らず、城端線で南へ一駅分のところへ出来たもんだから、なんとなくうら寂しい雰囲気になってしまった北口駅前通りですが、難なく歩いて行ける距離にあります。どうしても電車で行きたい方は、万葉線がクルン高岡(SC)の下から出ていますから、乗って次の末広町で降りてください。参道正面から入りたい方は、駅方向からだと坂を下りながら廻り込む形になります。末広町廻っていきますと、降りてスグに高ノ宮通りを左折していくと、境内左脇から入れます。クルマの方も同じで、L字の道角に突き当たったところに神社の駐車場があります。南北に長い境内地で、参道正面から入って、本殿は南を背に北を向いて建っています。授与所は本殿向かって左側にあることはあるんですけど、これは繁忙期用の頓所で、何でもない普段の日は、社殿の中に授与品いろいろ並べてあって、奥から神職さんや巫女さん(昔の巫女さん)出てきまして、好きなモノを言えば売ってくれます。御朱印も同様です。いないときは、左奥の社務所か、ピンポンありますから押せば出て来てくれます。(これは書き方がいけない。回れ右して左奥なのか、図も出しておくとよい。ウロウロしてる方をたまに見かけます)。キャラ守りも通年少々置いているのですが、縁結びのお守りが人気のようで、よく出ています。あと、最近アマビエのお守りを扱うようになりました。※アマビエはその効験は別として、ほんらいは妖怪ですから、神さまではありません(詳しくは水木しげるの妖怪事典などをご覧ください)。だからアマビエは祀っていませんけど、ここの、随身像がなかなか立派で見ごたえがあります...
Read moreNot the most exciting shrine to visit. It has a slightly interesting gate, and one or two funny omamori. Otherwise they are greatly overpriced. 3 stars because it was a mediocre experience. Nothing out of the ordinary...
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