高槻市を南北に流れる芥川。郡家・真上境付近で大きく流れをかえる川を背にして阿久刀神社が鎮座しています。この地は清福寺町にあたり、古代山陽道、母なる河淀川に面した最奥にあります。
阿久刀神社は平安時代に編纂された『延喜式』(927年成立)に記載されている律令時代の式内社です。これまでの発掘調査では、縄文時代から奈良・平安時代、そして中近世へと続く人々の生活跡が発見されています。
なかでも、奈良時代の郡役所・嶋上郡衙(ぐんが)跡などがみつかり、一帯が古代の三島の政治・経済の中心地だったことが明らかになっています。当時の三島を支配していたのは、大王家とのつながりの深い「三島県主(みしまのあがたぬし)」一族。この地は県主一族の本拠地であり、ここに鎮座する阿久刀神社は、本来はその守り神(氏神、うじがみ)だったにちがいありません。
祭神については、いくつもの伝承があります。9世紀の系図集『新撰姓氏録』に登場する、養蚕機織にたずさわった調連(つきのむらじ)一族の「阿久太」という人物や、『古事記』が安寧天皇の妃とする「阿久斗比売(あくとひめ)」、物部氏に連なる豪族「阿刀連」をまつったとするもののほか、諏訪明神(すわみょうじん)や久度神(くなどしん)など、さまざまです。いずれにしても、もともと氏神だったものが、やがて地域の人びとがこぞってお参りする村の守り神へと変化していったのでしょう。
ところで芥川の名前の由来ですが、川が阿久刀神社のそばを流れていることから、阿久刀川(あくとがわ)と呼ばれていたようです。きっと音が変化して芥川(あくたがわ)といわれるようになったのでしょう。
神社境内の東北隅には、神霊が宿ると言い伝えられている「御神木」があります。年代を経たムクノキの大樹で、平成元年(1990)に市の保護...
Read more高槻駅からは徒歩だとちょっとしんどいところ、芥川の堤防下に鎮座する瀟洒な神社で、駐車場は鳥居前庭の境内、R171号の今城町交差点を右折して、芥川堤防に至ったら右折、神社北方から回り込んで入る形をとります。モロに静かな住宅街の中。いつでも朱色の幟旗がパタパタしてますから、それが目印。大きなクルマでなければ、境内北方から入れます。社殿も小ぢんまりとして階段も無く、参拝しやすい境内なんですが、授与所が正面向かって右手、社務所から棟続きで、通常何もない平日は閉まっております。けれども、大きな声で「お守りくださ~い」と吼えるか、ピンポンすることで、中から出て来てくれます。(大きなカッチン時計が架かっていて、何気に重宝します。) 境内地そのものは小さくて目立たないんですけど、延喜式内社で由緒あるお社。川畔にあるため、分かりやすい住吉さまを祀ってます。静かで小ぢんまりとした境内ですが、氏子さんたちによってガッチリ崇敬され、ほかならないキャラクターのお守りのラインナップが尋常じゃない数量で扱われており、今では神宮大麻捌きに追い立てられる心配もなくなり、全国からお守り求めに崇敬者が訪れています。キャラもんのお守りラインナップは、北摂京阪間ではトップ。神社経営としては秀逸で、護持はこうやってやるんだ,とゆうお手本を示す好例な神社です。 確実に授与品を求めたいのなら、お買い物に出かけてたり、いつやってて、いつだれがいるのかよくわかんないところがありますから、遠くからお金かけてくる人は、手紙か電話でチャージしておくのが無難です。高槻駅でTELして誰も出なかったら、用心。 摂津...
Read more阿久刀神社(あくとじんじゃ)。大阪府高槻市清福寺町。
式内社(小)、旧村社。
主祭神:住吉大神(すみよしのおおかみ、住吉三神)
【関係氏族】阿久刀連 古代阿久刀連の居住地で、その始祖を奉齋した社であつたのであろう。
資料によると、 本殿の背後が河川の土堤となつており、氾濫の際には被害をまぬがれなかつたと思われるが、鎭座地の移動の記録はない。
この地は阿久刀連の居住地で、その始祖を奉斎した社であったと思われる。
当社に伝わる旧記によると、祭神を羽山戸神と大菊都比売との間に生まれた御子秋比売神としている。
一説には当社は百済系の渡来人である「調氏」と関係があるとも言われています。『新撰姓氏録』左京諸蕃に百済国の努理使主の後裔であるという「調連」が登載されており、応神天皇の御代に帰化し、一族に「阿久太」という者がおり、顕宗天皇の御代に絁絹を献じたとあります。
調氏の祖「努理使主」は『古事記』仁徳天皇の段に「奴理能美」と見える人物で、蚕を紹介して皇后に献上したことが描かれています。
当社の北方1.2kmほど、宮之川原元町に式内社の「神服神社」が鎮座しており、当地付近で機織りが盛んに行われていたことが推測されています。これに関連し、養蚕と機織りの技術を持っていた調氏が当地に居住し、彼らが祖の「阿久太」を祀ったと考えることは説得力があります。
古くは神服神社から当社に神輿の渡御があったと伝えられており、神服神社と当社の間で深い関係があったことが示唆...
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