奈良県天理市天理駅の東2Kmほどの布留町に鎮座します天理大学の東側神宮外苑公園の側に境内があります
駐車場から砂利の参道を進み、鳥居をくぐるときに鳥居扁額には「布都御魂大神」と記されています。これは見といてください 手水舎があって鶏が放し飼い🐔
参道を直進し階段を上ると、左手に楼門、右手に出雲建雄神社があり参道を右に進むと山の辺の道があります
楼門をくぐると社殿のある境内。大きな拝殿があり、奥に本殿がありますがよく見えませんね
御祭神 石上振神宮・石上布都御魂神社・石上布都大神社。岩上大明神・布留大明神とフツとイソノカミがたくさんです このフツやイソノは石上神宮の主祭神の歴代のお名前であります
式内社 石上坐布都御魂神社という神社と同じと言われていました
現在の本殿は大正時代に建てられたもので本来は本殿は無く三柱の御祭神は禁足地に埋祀されています
配祀の四柱は中世まで神宮の前の山に祀られていましたが神殿が老朽化したため本社に配祀されています
祭神の布都御魂大神は出雲平定
(聞こえはいいですが実際は大国主命の一族に日本国譲らせる説得)
の折に建甕槌神が帯びていた霊剣「平国之剣」「韴魂」の御霊。神武天皇東征の際に、熊野で高倉下を介して天皇に奉られた剣。この剣に神霊が乗り移ったのが一般的にフツヌシと言われていますが これは藤原神道の創作神話であり
実在した人物であります
神武天皇は即位後、物部氏の祖 宇麻志麻治命(ウマシマジ)に その神剣を授け宮中に奉祀させます。
宇麻志麻治命の父 饒速日尊(ニギハヤヒ)が降臨の時に天津御祖から賜った「十種の神宝」を天皇に献上し、斎き祀った。その神気を、称えて布留御魂大神と称したという。この説明はニギハヤヒとフルミタマは同一神と説明が見えます
「十種の神宝」とは 羸都鏡・辺都鏡・八握剣・生玉・足玉・死反玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼
諸説をご紹介
●一説には昔、布留の川上から一つの剣が流れて来て触れた石や木は皆切り破られていきました。 そこに布を洗う女がいてその剣を布で纏って留めて祀ったので布留というお話もあります
●崇神天皇七年、物部連(モノノベムラジ)の祖・伊香色雄命が勅を奉じて 布都御魂大神と石上御魂大神を石上の高庭に遷し祀り、石上神宮と称したといいます。
●垂仁天皇三十九年十月、五十瓊敷命が茅渟川上宮で剣一千口を作り石上神宮へ納めたが、後に五十瓊敷命が石上神宮の神宝を管理するようになった。あるいは、物部首の始祖、春日臣族の市河が管理したとも伝えられている。
●神代紀によれば、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬った十握剣は布都斯魂大神と称し吉備神部のもとに祀られていたが、市川臣命が勅を奉じて石上神宮の高庭に遷し、布都御魂大神の東に埋葬したという。 まだありそうですが ここまでいろんな呼ばれ方してて混乱しますね これは物部氏には25くらいの分派があり、それぞれ違う土地で伝承が残りそれぞれ違う名前で崇拝していた神様です。なのでいろいろ登場されますので似たようなお話もいろいろありますが全て同一人物です
楼門の向いにある出雲建雄神社は、式内社・出雲建雄神社に比定されている。出雲建雄神とは草薙の神剣の御霊のことです 天武天皇朱雀元年、布留川上日谷に瑞雲とともに出現し鎮座してといいます。
このように当社は剣を祀る神社で、朝廷の兵仗(武器倉庫)をあずかる 物部氏ゆかりの神社で神功皇后が百済より献上された七支刀(七枝刀)などの社宝があります
出雲建雄神社の他にも摂末社がある。高皇産霊神・神皇産霊神を祀る天神社、生産霊神・足産霊神・魂留産霊神・大宮能売神・御膳都神・辞代主神・大直日神が祀られています
出雲建雄神社の脇にも祠があります これも重要ですおそらく猿田彦神社
これからお話することは通説とはかけ離れています上、まず真実であろう歴史を消され全国各地に残る古文書、伝書、口伝はすべて偽書とされ 比定のしようがないというのが歯がゆい。 なのでこうですよ! とは断言はできませんが神社の由緒と圧力で消されている由緒(弾圧があった神社の宮司は公表したくてもできないのでヒントを暗示していたりします)を追っかけてくれば 京都奈良の神社は一目理解できます。
こういうお話もあるので一度触ってみませんか?という程度でお聞きください 正直相当消されてイジられています どうしても神武天皇になりたかった天皇では無い家来の人。その家来の人の末裔は片っ端から消して消しまくり改竄の歴史を今でも必死に押し通しています。
ここに祀られるニギハヤヒは お名前をたくさんお持ちです ですが男版天照大御神と持ち上げられ やたら瀬織津姫とくっつけたがる人もおられますが。違いますよ
お名前は 五十猛神、ニキ、彦火々出見、山幸彦、布津主、伊の大神、猿田彦、ニギハヤヒ、
五十猛神。(イソタケル)この名前は各地に土地名があります
ニキ。これは魏志倭人伝に伊都の長官ニキという表記がございます ニキハエヒというよみから 見えてきます
彦火々出見。古事記日本書紀に登場する名前ですが祭神が並べられるお后から見えてきます
山幸彦。海幸山幸神話
布津主。香取神宮主祭神、山幸彦やニギハヤヒが祀られる地域に付けられる土地名 布津町や富津市など 石上神宮の鳥居の神額に布津の文字から同一人物が見えてきます
伊の大神。伊都国(福岡市伊都)の大神。この伊という字を最後まで護ったのが伊達政宗公
猿田彦。 福岡県熊本県のある地域にニギハヤヒを祀る神社の中に宗教法人がありますこの人たちの祭り方(猿田彦の石塔が49と大きい石塔が1合わせて五十)を見ると五十猛神が出てきます。このことから同一人物かもが見えてきます
ニギハヤヒ。海幸山幸の海幸のことを ○○ハエヒといいます。ここから海幸山幸の山幸とニギハヤヒが同一人物というのが見えてきます
父親は大幡主 母親は不明(側妻)
大幡主は熊野速玉大社の主祭神 八咫烏の父親です
ニギハヤヒは八咫烏の 腹違いの兄弟です
ですが八咫烏とは違い母親の格式が落ちるので猿田彦神社はあまり見かけませんが猿田彦という石塔は全国どこでもあります。伊勢神宮内宮の近くに 猿田彦神社があります摂社に猿女神社という神社がありますがこの猿女(サルメ)は伊勢外宮様。豊受大神(稲荷さん)ですがこの方は猿田彦に格式が勝るのでご自身の格式を落とそう落とそうとして猿女神社ができました
猿田彦の猿は格式が落ちる意味合いもございましょうがもともとこの猿の文字は当て字です 本当の、サルタヒコの文字は伊勢神宮内宮近くの猿田彦神社の本殿のに飾られている神額に難しい漢字の文字 これが本当のサルです
石上神宮のイソノカミはイソタケルから来てるんですよ?
知らんけど(笑)
是非行かれてください🐈 ...
Read moreHello everyone in the world.『konnichiwa』
I would also like to express my sincere gratitude to Taiwan, Saudi Arabia, Japanese Brazil, Spain, India, Poland, Hong Kong, Germany, Nepal, and my home country of Japan for their followers.
It is the oldest shrine in Japan, which was opened in 91 BC, the 7th year of the 10th Emperor Sujin.
By the way, His Majesty the Emperor is now in his 126th generation.
Since about 2200 years ago, we have been in the land of Furu, Nara, as the guardian deity of people. The famous seven-branched sword is the sacred body here. The hall of worship was donated to the 72nd Emperor Shirakawa in 1081. Not only the temple, but also the trees, the torii gate, and even the surrounding air, it is a place where you can feel the dignified Japan. Please come by all means.
Por cierto, Su Majestad el Emperador se encuentra ahora en su 126ª generación. Desde hace unos 2200 años, hemos estado en la tierra de Furutsu, Nara, como la deidad guardiana de las personas. La famosa espada de siete brazos es el cuerpo sagrado aquí. El salón de culto fue donado al 72o emperador Shirakawa en 1081. No solo el templo, sino también los árboles, la puerta torii e incluso el aire circundante, es un lugar donde puedes sentir el Japón digno. Por favor venga por todos los medios.
Witam wszystkich na świecie.
Chciałbym również wyrazić moją szczerą wdzięczność Tajwanowi, Arabii Saudyjskiej, japońskiej Brazylii, Hiszpanii, Indiom, Polsce, Hongkongu, Niemcom, Nepalowi i mojej ojczyźnie Japonii za ich zwolenników.
Jest to najstarsza świątynia w Japonii, która została otwarta w 91 roku p.n.e., w siódmym roku dziesiątego cesarza Sujina.
Nawiasem mówiąc, Jego Królewska Mość Cesarz jest teraz w 126. pokoleniu.
Od około 2200 lat jesteśmy w krainie Furu, Nara, jako bóstwo opiekuńcze ludzi. Słynny siedmioramienny miecz jest tutaj świętym ciałem. Sala kultu została podarowana 72. cesarzowi Shirakawie w 1081 roku. Nie tylko świątynia, ale także drzewa, brama torii, a nawet otaczające powietrze, jest to miejsce, w którym można poczuć dostojną Japonię. Proszę przyjdź na wszelkie sposoby.
世界上的每一個人,大家好。
我還要向台灣、沙特阿拉伯、日本巴西、西班牙、印度、波蘭、香港、德國、尼泊爾和我的祖國日本的追隨者表示衷心的感謝。
它是日本最古老的神社,於公元前 91 年,即素真 10 天皇 7 年開放。
順便說一下,天皇陛下現在已經是他的第 126 代了。
從大約 2200...
Read more「石上神宮」は、奈良県天理市にある神社。 私が参拝したのは12月。鳥居前の地面に松が😮 正月準備と思われます。
桜井識子さんが「神様のためにあなたができること」という本に
「私は神様霊能力をこの神様と、大神神社の神様、熊野三社(私個人の三社で、熊野本宮大社、玉置神社、飛瀧神社です)の神様に鍛えてもらったのです。 P213」
と書いています。
とても優しい神様らしい……ということで、参拝してみたんです。
が。
前回伺った時、鳥居をくぐった途端トイレに行きたくなって💦 そこで「生理になった」ことが発覚😣
これは「今日は遠慮しなさい」ということよね……そのまま帰宅したんです😭
いや、仕方ないです。神様に嫌われてまで、参拝しても仕方ないですから。それにしても……すごいタイミングで「トイレに行きたくなった」。というのも、その1時間前にトイレに行ったばかりで、水も飲んでいなかったのに。
これも「神様試験?」と思いつつ、涙をのんで帰宅したのでした。
そして今回。万全の時期に参拝しましたよ~
私が拝殿に入った時、黒服を着た団体さんが💦 ただ、皆さんすぐお帰りになって……すぐ祈祷が始まりました。
太鼓が叩かれて、鈴が鳴って……清らかでのんびりとした時間が過ぎていきます。
国宝の「拝殿エリア」にも行きました。ココからだと千木が見えます。桜井識子さんは千木を見て「いろんな種類のご神気を見る練習」をしたんだなー
私はまだ、そのレベルではありませんが🤣
で、下の池を見に行きました。
池がまた、キレイなんです~
さらに、この周りは「散歩道」になっていて、石畳の上を歩けるようになっていました。
私はそこを歩きながら、こんな事を考えていたんです…… 「私はなぜ神様とお話ししたいのだろう」
「魂レベル」では、神様とお話ししているはずです。それは分かるんですけど……どうしても「脳レベル」でお話しして「神様と意思疎通したい」と思うのはなぜだろう?と。
桜井識子さんみたいにブログに書きたいから:いや、それは違うんですよね~。桜井識子さんの能力はスゴイですけど、ブログには出てこない「大変な部分」が膨大。同じだけ修行できるかと言われると……それは無理ですね~
お金を稼ぐ:それも違うんですよね~。依存されるの嫌だし。個人情報公開するのも嫌だし。
羨望を集めたい:いや、それも違うんですよね~。初心者でも霊能力は開拓できるって実証したいだけ。けれども、それ以上に「神様と意思疎通したい」んですよね~
……と考えていたら。ふっと「夫と散歩している時間」を思い出しました。
私は夫が大好き。...
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