綾瀬川のほとりにある小さな公園。土地区画整理組合の解散記念と書かれた大きな石碑があります。隣の桑袋記念公園とセットで土地改良、区画整理の完成を記念したものでしょう。それほど大きな公園ではありませんが、春は桜が咲き、それなりに美しいです。 「元蛇橋公園」という名前は、ここに蛇橋という橋があったことを記念したものです。 昔、綾瀬川が大雨で氾濫しそうになった時、このあたりの名主で新八という者が、対岸の堤防を切って村を救いました。しかし対岸の住人に捕まり、袋だたきにされて死んだと言われています。このことは幕府にも知られ、新八の家名はお取潰しとなり、残された新八の母親は嘆き悲しみ、「新八よ、蛇になれ、親子ともども祟ってくれよう」と言いながら綾瀬川に身を投げました。それからというもの、このあたりに大蛇が出て人を襲うようになったとの伝説があり、ここにかけられた橋も蛇橋と呼ばれるようになりました。なお、大蛇は供養されて現在は出ないそうです。(参考資料:足立区公式サイト「名主新八と蛇橋」・八潮市公式サイト「八潮のむか...
Read more遊具等はありませんが、こちらの近くに元々蛇橋が有ったそうです。 花又村と大曽根村の間に流れる綾瀬川に8代将軍徳川吉宗の時代に作られた小菅御殿が作られた時、花又村の岸に堤防が作られました。その際対岸の大曽根村が洪水の被害が多くなり、何とかしなければと、大曽根村の名主である新八は堤防を切って水を小菅側に流そうと計画しました。それを知った花又村の住民は新八を堤防の上で死に至らしめました。それを知った新八の母は激しい怒りと悲しみを持ちました。そして新八に『新八や、蛇になれ』と残して綾瀬川に入水しました。そらからと言うもの、この川を通ると大木が突然大蛇になり村人を襲いました。村人は『これは新八親子の怨念だ。供養しよう。』と石碑を建てました。その橋がいつしか『蛇橋』と呼ばれ、平成2年まで蛇橋はあったといいます。近くの桑袋大橋にその物...
Read moreこちらも、区画整理で出た土を盛った感のある、公園です。 全面的に土で、芝/雑草で覆われていて、気持ちが良いです。 子供のころ、蛇橋があって、言い伝えに怖かった印象がありましたが、いつの間にか、...
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