目黄不動尊は江戸五不動尊です😄 他方の目黄不動尊は何処に有ったでしょうか❔どなたか教え👋
追伸(最勝寺寺伝) 『不動明王像は、天平年間(729~766)に良弁僧都(東大寺初代別当)が東国巡錫の折り、隅田川のほとりで不動明王を感得され、自らその御姿をきざまれたものであり、同時に一宇の堂舎を建立された。その後最勝寺の末寺で本所表町にあった東栄寺の本尊として祀られ、徳川氏の入府により将軍家の崇拝するところとなった。殊に家光公の崇拝は篤く、仏教の大意に基づいて江戸府内に五色不動の霊場が設けられたが、この時に目黄不動と称され、江戸の町を守護する不動尊として広く信仰された。明治の神仏分離により東栄寺は廃寺となり、本尊不動明王像は本寺の最勝寺に遷座され、これより当寺は「明王院」と号するようになった。 明治末に隅田川に駒形橋が架かることで区画整理があり、現在地に移転し今日に至る。』だそうです😊
まとめ ①不動明王は良弁僧都が刻んだ ②本所表町にあった東栄寺の本尊として祀られた ③明治の神仏分離で東栄寺は廃寺、本尊不動明王像は本寺の最勝寺に遷座された ④明治末に隅田川に駒形橋が架かることによる区画整理があり、現在地に移転し今日に至る
まとめのまとめ ⑤✳他方の目黄不動とは永久寺(台東区三ノ輪)の事 ✳今回の目黄不動は元々あった本所表町東栄寺の事でそこに良弁僧都お刻みの尊像があったのですね�...
Read more最寄り駅 JR総武線 平井駅 徒歩20分 拝観料は無料 トイレ無し
山号 牛宝山 宗旨 天台宗 本尊 釈迦如来 正式名 牛寶山明王院最勝寺 別称 目黄不動尊
寺伝によれば、貞観2年(860年)、円仁(慈覚大師)により隅田川畔(現在の墨田区東駒形)に草創され、元慶元年(877年)、円仁の高弟良本阿闍梨により開山されたという。近世には牛島神社(牛嶋神社、牛御前社、牛ノ御前、墨田区向島一丁目)の別当寺を務めた。なお、牛島神社も貞観2年、円仁の草創伝承をもっている。 明治初年、神仏分離により別当をつとめていた牛島神社の本地仏であった大日如来像が最勝寺に遷座された。 大正2年(1912年)、寺は駒形橋の架橋工事による区画整理で本所表町の旧地から南葛飾郡下平井(現在地)へ移転した。との事です。
駅から結構歩きます。 新しい形の仁王門があり整然とされた境内で左手に石仏ピラミッドみたいな物があり他でも見た事ありますがどのような意味があるのでしょか? 新しい物と古い物が混在し、融合しているようで素晴しいですね。 この近辺はこちらのお寺の他にも数件集まっていますが集められたのでしょうか? どのような理...
Read more江戸の五色不動は、目黒・目白は格別でも、目赤(本駒込)・目青(太子堂)・目黄となると、とたんに知名度が下がる。目黄に至っては、候補地がいくつかある。ここ最勝寺も、目黄不動尊を称しているので訪ねてきたが、明治期の地図を見ても、近辺に寺の記号すらない。どういうことか。 失礼ながら、住職さんに呼び鈴でお出ましいただき、お話を伺うと、もとは北本所にあったものを、大正初期に駒形橋の架橋工事に際し、区画整理で敷地がおかしな三角形になってしまうので、こちらへ移転したのだという。それで納得した。目黄不動尊がこちらであったことの証拠にはならないけれども。
不動様の撮影は叶わなかったが、立派なお寺。墓地内には江戸期の戯作者・狂歌師・落語家であった...
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