【かろじんじゃ】因伯開運八社巡り 〈通称 吉備大明神〉 《祭 神》大山祀命 猿田彦命 木花咲耶姫命 吉備眞備命 武甕槌命 《祭 祀》例祭4月29日(二年毎の大祭を…ホーエンヤ祭と称する)秋祭(八朔まつり)9月第一日曜 大祭には 神輿海上行列がある 約300名の供奉行列が台船に乗り 船名旗を飾った数隻の船に曳航される海上渡御で船上で獅子舞・神楽を行う 秋祭に赤ちゃんの泣き相撲奉納 「もみ火神事」は春祭の祭典に使用する「浄火」を 成人を迎えた若人が桧板と枝を素手でこすりあわせ火をおこす神事で 祭りの4〜5日前に行う 200年以前から伝承されている 《社 紋》 葉付桃紋 《主要建物》本殿(明治13年建立)幣殿 拝殿 神饌殿 随神門 手水舎 神社会館 太鼓楼 神輿庫 《境内神社》水戸神社(瀬織津彦神 瀬織津姫神)船玉神社(事代主神) 《境 内》面積2,000㎡ 鳥取港を見下ろす高台に南東に面して鎮座 御神木は クロマツ(樹齢800年以上 高さ20m) 社叢は樹齢500〜800年のクロマツで形成される 《宝物等》神社縁起として 「元徳元年(1329)藤原朝臣高豊前守師直二男秋里玄蕃師永筆」「寛文12年〈1672〉小泉友賢筆」の二点 大太鼓…旧鳥取城三大太鼓の一つ(安永6年(1777)作〉 《各種指定》「黒松社叢」が鳥取市保存林(昭和53年)「麒麟獅子舞」が鳥取県無形文化財(平成10年)「春季まつり行列(ホーエンヤまつり行列)」が鳥取県無形民俗文化財にしてい(平成20年) 《由 緒》奈良朝文武天皇の時(701〜)山野育成の神「大山祇命」を伊予国から勧請し 賀露 秋里 江津 南隈 晩稲の五か村の総守護神として奉祀したという 天平勝宝6年(754)冬 遺唐副使吉備真備公が帰朝の際 風浪の難の為に賀露津に漂着されたという故事により 吉備大臣の分霊を奉祀した 六国史の「三大實録」の貞観3年(861)10月の条に「因幡国正六位上賀露神授従五位下」と記され 以下 貞観16年(874)5月「従五位上」天慶元年(877)6月「正以下」同12月「従四位下」元慶2年(878)11月(従四位上)と5回の神階奉授の記述がある国史現在社である また 承徳3年(1099)2月26日因幡国司・平時範が参拝した様子が「時範記」に記載されている 戦国・江戸時代を通して武門藩主の祟敬が篤く 神田 社領の寄進や社殿の造営 奉幣が行われていた 寛文2年(1662)には現在の状態に神域が整備された 現存の随神門は 藩主池田公が宝暦2年(1762)に寄進したものであり 三つ葉葵 揚羽蝶 祇園守の三紋が取り付けられている 吉備大神 賀露大明神と称され 「稲葉民談記」(1688)には「毎年7月7日祭礼ありて 国中の貴賤群集す…」と記されている 明治17年 18年には元士族105世帯500余人が釧路開拓移民安全祈願をしている 昭和54年神社会館を建設 平成8年敬神婦人会を結成 吉備真備公が帰朝の折 賀露津に漂着されたとの由緒があり それに因む地名が数ヶ所残されている 村人こぞって吉備公を陸地に奉曳したことから「ホーエンヤまつり」の呼称がある 宮司岡村氏は 天徳2年(958)より社家を継続し 現宮司で50代に及ぶ 鳥取市賀露町北1丁目1164 (鳥取縣神社聽...
Read more「賀露神社」に海側賀露三区から130段位の石段と最初の鳥居と途中の鳥居をくぐり境内に入りました。 石段の途中に木製の網ベンチがさりげなく置かれています。 「賀露神社」正面石碑の背面には賀露漁業協同組合の名と所属船舶名が刻印されていて賀露港を拠点に海の漁場での操業の安全と大豊漁を祈願する漁師の心意気が現れています。 神社の由来は奈良朝の天武天皇の7世紀後半頃になるそうですから1300年以上になりますか。古文書(三代実録)では貞観3年(861年)に大山祇命を御祭神にして創立との事です。 境内は御神木の黒松が神社に鎮座しています。樹齢540年以上の黒松が拝殿や本殿に覆い被さるが如くに十数本生育し、中には自身を支えきれなくて逆V字の鉄骨柱に補助をさせています。厳粛かつ神聖な空気が境内に静かに漂って「賀露神社」はますます多くの人々の崇拝を集めています。 20200406...
Read moreA place to visit if you have the time, its hidden around a corner where you have to climb a flight of stairs. An ancient well preserved shrine unlike those...
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