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Arikoyama Castle Ruins — Attraction in Toyooka

Name
Arikoyama Castle Ruins
Description
Arikoyama Castle was a Sengoku period Japanese castle located in the Izushi neighborhood of the city of Toyooka, Hyōgo Prefecture, Japan. Its ruins, along with the ruins of nearby Konosumiyama Castle have been protected as a National Historic Site since 1934 under the designation "Yamana clan castle ruins"
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98 Izushicho Uchimachi, Toyooka, Hyogo 668-0214, Japan
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78 Izushicho Yoida, Toyooka, Hyogo 668-0232, Japan
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Yoshimi
21-1 Izushicho Honmachi, Toyooka, Hyogo 668-0224, Japan
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Arikoyama Castle Ruins
JapanHyogo PrefectureToyookaArikoyama Castle Ruins

Basic Info

Arikoyama Castle Ruins

1 Izushicho Kobito, Toyooka, Hyogo 668-0256, Japan
4.3(89)
Open until 12:00 AM
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spot

Ratings & Description

Info

Arikoyama Castle was a Sengoku period Japanese castle located in the Izushi neighborhood of the city of Toyooka, Hyōgo Prefecture, Japan. Its ruins, along with the ruins of nearby Konosumiyama Castle have been protected as a National Historic Site since 1934 under the designation "Yamana clan castle ruins"

Cultural
Outdoor
Scenic
Off the beaten path
attractions: Izushi Castle Ruins, Shinkorō Clock Tower, Toyooka City Art Museum, Itoh Kiyonaga Memorial Hall, Izushi History Museum, restaurants: Yoshimi
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(44)

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Yoshimi

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Reviews of Arikoyama Castle Ruins

4.3
(89)
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5.0
20w

竹田城から続けて出石城に来ました。 バイクだと移動しやすくて良いです。 出石城は交通の便が悪いのでなかなか行くことが出来ないと思っていたのですが、非常に良い機会となりました。 こちらのお城は仙石家が一時期収めていたお城で、仙石権兵衛の頃は長野の小諸城でしたが、その後この出石に国替えとなったそうです。 その時に小諸のそば職人が一緒に移ってこの出石にそばが流行ったとか。 漫画のセンゴクシリーズが大好きなので一度は来たいと思っていました。

到着してすぐにおそばを食べます。 出石そばを出す店はかなりありましたが、非常に景色が良いお店で食べることにしました。 14時30分を過ぎていたのでお店は空いており、良い席に座らせて貰えました。 出石そばを注文します。1100円です。 少しずつの量のそばが小分けにされていて、とろろや卵などと一緒に味変をしながら楽しみます。 いや、美味しいですね。5皿だと足りないのですが、これから山登りを控えているので抑えめにしました。 観光案内所に立ち寄り、続100名城スタンプを押印し、御城印を購入します。 さらに、荷物を300円で預かってくれるとのことでしたので、預かってもらいました。 有子山城は結構大変らしいです。 17時までで、登りは1時間かかるので無理そうだったら引き返してきてねとのこと。 あと熊が有子山城で出没はしていないけど、近くの山で目撃されており尾根づたいに来るかもしれないとのことでした。

さっそく出石城から見学。 ここなら見学は容易ですね。 神社に祀られているのは仙石権兵衛とのことです。 出石に来ていないと思いますが、出石ではかなり慕われているそうです。

赤い鳥居が連なっている階段を上っていくといよいよ有子山城へ。 下からみると結構高い位置に本丸があるのが見えましたが、上ってみると予想通り大変でした。 いや、それほど大変じゃないだろうと思って上ったので余計大変でした。 さすがに1時間はかからなかったですが、30分強かかったかな。 山道は結構整備されているのですが、この山道の階段が苦手でゆっくり登ればよいのに頑張ってしまうので疲れました。 土は砂状になっているところもあり、結構滑ります。 木の根の階段はどこに足をつこうか悩みます。 だからトレランは好きになれないんだよなぁと思いながら上っていました。 階段を上りきったら、やっと普通の上り坂になります。 ホッとしました。この階段がずっと続いていたらどうしようかと思いました。 そこからは曲輪が連なっています。 やっとのことで上り切ると絶景が広がっています。 素晴らしいですね。 一瞬登るか迷い出石城だけ見て帰ろうかとも思いましたが、登って本当に良かったです。 10分ほど休憩しつつ景色を楽しみ、帰りは20分で降りれたので、往復1時間ほどでした。 大変でしたが、...

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4.0
1y

2024年12月1日(日)に久しぶりに有子山城跡に行って来ました。多分3回目ですね。小生の足で登りが35分、下山が30分でしたよ。今日は天気が良く紅葉の季節やったので登山客に10人ぐらいすれ違ったわ(14時頃)こちらの城は戦国時代末期の山名祐豊が築城しました。そもそも但馬山名家の本城は此隅山城(このすみやま)にあって『応仁の乱』の時に山名宗全がそこから京都の西陣に出陣してます。『応仁の乱』初期の山名家の領土は石見、伯耆、因幡、備後、備中、美作、播磨、但馬と保有してました。『応仁の乱』の最中に播磨、美作、備前は赤松家に取られました(嘉吉の乱の時に山名宗全がこの三カ国を褒美でもらう。元々は赤松家の領土)『応仁の乱』の最後に西軍の山名家が勝手に東軍に寝返って西軍の大内家を攻撃。『応仁の乱』終結後に大内家に報復で石見を切り取られる。出雲で下剋上した尼子経久・尼子晴久に伯耆・備中・備後北部を切り取られる。毛利元就に備後南部を切り取られる。戦国時代にどんどん領土を失って山名祐豊の時代は但馬、因幡の二カ国になってました。播磨を平定した羽柴秀吉が但馬に攻め込んで来た時に此隅山城で籠城するが鉄砲隊にびびって織田信長に降伏。隣国の丹波は足利義昭派(毛利側)だったのですぐに織田信長に降伏した但馬に丹波の赤鬼赤井直正が攻め込んで来て天空城竹田城を取られ降伏し毛利家側に付く。山名祐豊は織田家が攻め込んで来るのが分かってたのでこの有子山城を築城するが2026年大河ドラマ『豊臣兄弟』の主人公羽柴秀長に但馬は平定されます。因幡は羽柴秀吉に平定されます(2回目があの有名な鳥取餓○しのやつです)そもそも織田家は兵農分離してたのでどんな山城だろうが何年でも囲んで兵糧攻めしてくるので意味が無いんだよな。とりあえず大河ドラマで羽柴秀長が主人公やし但馬平定戦、因幡平定戦でめっちゃ取り上げられるやろね。江戸時代出石城(山城は不便なので有子山城の下に建設)の城主は蕎麦の伝道師仙石秀久の子孫です。今から仙石秀久・藤堂高虎の配役が楽しみやわ。羽柴秀長が主人公ならこの両名...

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5.0
10w

Takes about 50 minutes to hike to the top with the first 30-40 at a very steep incline. View at the top is spectacular and worth the effort. No toilets/vending machines/ food outlets along the way or at the top but there is a modest shopping district...

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ご機嫌おやじご機嫌おやじ
竹田城から続けて出石城に来ました。 バイクだと移動しやすくて良いです。 出石城は交通の便が悪いのでなかなか行くことが出来ないと思っていたのですが、非常に良い機会となりました。 こちらのお城は仙石家が一時期収めていたお城で、仙石権兵衛の頃は長野の小諸城でしたが、その後この出石に国替えとなったそうです。 その時に小諸のそば職人が一緒に移ってこの出石にそばが流行ったとか。 漫画のセンゴクシリーズが大好きなので一度は来たいと思っていました。 到着してすぐにおそばを食べます。 出石そばを出す店はかなりありましたが、非常に景色が良いお店で食べることにしました。 14時30分を過ぎていたのでお店は空いており、良い席に座らせて貰えました。 出石そばを注文します。1100円です。 少しずつの量のそばが小分けにされていて、とろろや卵などと一緒に味変をしながら楽しみます。 いや、美味しいですね。5皿だと足りないのですが、これから山登りを控えているので抑えめにしました。 観光案内所に立ち寄り、続100名城スタンプを押印し、御城印を購入します。 さらに、荷物を300円で預かってくれるとのことでしたので、預かってもらいました。 有子山城は結構大変らしいです。 17時までで、登りは1時間かかるので無理そうだったら引き返してきてねとのこと。 あと熊が有子山城で出没はしていないけど、近くの山で目撃されており尾根づたいに来るかもしれないとのことでした。 さっそく出石城から見学。 ここなら見学は容易ですね。 神社に祀られているのは仙石権兵衛とのことです。 出石に来ていないと思いますが、出石ではかなり慕われているそうです。 赤い鳥居が連なっている階段を上っていくといよいよ有子山城へ。 下からみると結構高い位置に本丸があるのが見えましたが、上ってみると予想通り大変でした。 いや、それほど大変じゃないだろうと思って上ったので余計大変でした。 さすがに1時間はかからなかったですが、30分強かかったかな。 山道は結構整備されているのですが、この山道の階段が苦手でゆっくり登ればよいのに頑張ってしまうので疲れました。 土は砂状になっているところもあり、結構滑ります。 木の根の階段はどこに足をつこうか悩みます。 だからトレランは好きになれないんだよなぁと思いながら上っていました。 階段を上りきったら、やっと普通の上り坂になります。 ホッとしました。この階段がずっと続いていたらどうしようかと思いました。 そこからは曲輪が連なっています。 やっとのことで上り切ると絶景が広がっています。 素晴らしいですね。 一瞬登るか迷い出石城だけ見て帰ろうかとも思いましたが、登って本当に良かったです。 10分ほど休憩しつつ景色を楽しみ、帰りは20分で降りれたので、往復1時間ほどでした。 大変でしたが、満足感のある山城でした。
kamiru bidankamiru bidan
2024年12月1日(日)に久しぶりに有子山城跡に行って来ました。多分3回目ですね。小生の足で登りが35分、下山が30分でしたよ。今日は天気が良く紅葉の季節やったので登山客に10人ぐらいすれ違ったわ(14時頃)こちらの城は戦国時代末期の山名祐豊が築城しました。そもそも但馬山名家の本城は此隅山城(このすみやま)にあって『応仁の乱』の時に山名宗全がそこから京都の西陣に出陣してます。『応仁の乱』初期の山名家の領土は石見、伯耆、因幡、備後、備中、美作、播磨、但馬と保有してました。『応仁の乱』の最中に播磨、美作、備前は赤松家に取られました(嘉吉の乱の時に山名宗全がこの三カ国を褒美でもらう。元々は赤松家の領土)『応仁の乱』の最後に西軍の山名家が勝手に東軍に寝返って西軍の大内家を攻撃。『応仁の乱』終結後に大内家に報復で石見を切り取られる。出雲で下剋上した尼子経久・尼子晴久に伯耆・備中・備後北部を切り取られる。毛利元就に備後南部を切り取られる。戦国時代にどんどん領土を失って山名祐豊の時代は但馬、因幡の二カ国になってました。播磨を平定した羽柴秀吉が但馬に攻め込んで来た時に此隅山城で籠城するが鉄砲隊にびびって織田信長に降伏。隣国の丹波は足利義昭派(毛利側)だったのですぐに織田信長に降伏した但馬に丹波の赤鬼赤井直正が攻め込んで来て天空城竹田城を取られ降伏し毛利家側に付く。山名祐豊は織田家が攻め込んで来るのが分かってたのでこの有子山城を築城するが2026年大河ドラマ『豊臣兄弟』の主人公羽柴秀長に但馬は平定されます。因幡は羽柴秀吉に平定されます(2回目があの有名な鳥取餓○しのやつです)そもそも織田家は兵農分離してたのでどんな山城だろうが何年でも囲んで兵糧攻めしてくるので意味が無いんだよな。とりあえず大河ドラマで羽柴秀長が主人公やし但馬平定戦、因幡平定戦でめっちゃ取り上げられるやろね。江戸時代出石城(山城は不便なので有子山城の下に建設)の城主は蕎麦の伝道師仙石秀久の子孫です。今から仙石秀久・藤堂高虎の配役が楽しみやわ。羽柴秀長が主人公ならこの両名が出ないとおかしいからね
ももはるももはる
続・百名城にも選ばれた但馬最大の城 1574年、但馬守護山名祐豊が有子山山頂(標高321m)に築いた東西740m、南北780mもある大城郭である。主郭を中心に三方向に延びる尾根に放射状に曲輪及び堅堀・堀切を配置した、堅固な山城となっており、まさに但馬の王者(但馬守護)の居城に相応しい「獅子の山城」であったといえよう。 山名時代は土の城だった有子山城だが、1580年に羽柴秀吉により落城した後、城主となった羽柴秀長により石垣の城へ改修される(野面積み)。この野面積みの有子山城築城をした人物は藤堂高虎である。以後、1615年に一国一城の令により廃城となるまで使用されたようである。 鳥居郡のある階段を登り、そこから登山道へ入ります。 登頂までは980メートル 標高321mの決して高い山では無いが、残雪があり、登り切るのが結構大変でした。標高が同じなら普通の登山の倍きついと思った方が良いでしょう。 残980mの標識→残850mの標識→残720mの標識→残500mの標識→残240mの標識→第七八九十曲輪があった場所の横手→侍屋敷があった第五曲輪→矢倉丸があった第四曲輪→蔵屋敷があった第三曲輪→矢倉二つあった第二曲輪→主郭の順に進む。 第五曲輪辺りから雪が積もっており、厳しい登山となりました。登山靴がびちゃびちゃです。 東西135m、南北50mにも広がる千畳敷は素晴らしい。但馬地域では最大の曲輪だそうです。本丸と千畳敷を隔てる大堀切も但馬地域最大の堀切。 有子山城址から出石の町を一望出来、天気も良かったので最高でした。 出石川を観られるのもまた一興ですね。 下りは雪で滑る分、登りよりきつい下山となりました。それでも登る価値ありです。出石城址だけ観に行くのは非常に勿体ない
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竹田城から続けて出石城に来ました。 バイクだと移動しやすくて良いです。 出石城は交通の便が悪いのでなかなか行くことが出来ないと思っていたのですが、非常に良い機会となりました。 こちらのお城は仙石家が一時期収めていたお城で、仙石権兵衛の頃は長野の小諸城でしたが、その後この出石に国替えとなったそうです。 その時に小諸のそば職人が一緒に移ってこの出石にそばが流行ったとか。 漫画のセンゴクシリーズが大好きなので一度は来たいと思っていました。 到着してすぐにおそばを食べます。 出石そばを出す店はかなりありましたが、非常に景色が良いお店で食べることにしました。 14時30分を過ぎていたのでお店は空いており、良い席に座らせて貰えました。 出石そばを注文します。1100円です。 少しずつの量のそばが小分けにされていて、とろろや卵などと一緒に味変をしながら楽しみます。 いや、美味しいですね。5皿だと足りないのですが、これから山登りを控えているので抑えめにしました。 観光案内所に立ち寄り、続100名城スタンプを押印し、御城印を購入します。 さらに、荷物を300円で預かってくれるとのことでしたので、預かってもらいました。 有子山城は結構大変らしいです。 17時までで、登りは1時間かかるので無理そうだったら引き返してきてねとのこと。 あと熊が有子山城で出没はしていないけど、近くの山で目撃されており尾根づたいに来るかもしれないとのことでした。 さっそく出石城から見学。 ここなら見学は容易ですね。 神社に祀られているのは仙石権兵衛とのことです。 出石に来ていないと思いますが、出石ではかなり慕われているそうです。 赤い鳥居が連なっている階段を上っていくといよいよ有子山城へ。 下からみると結構高い位置に本丸があるのが見えましたが、上ってみると予想通り大変でした。 いや、それほど大変じゃないだろうと思って上ったので余計大変でした。 さすがに1時間はかからなかったですが、30分強かかったかな。 山道は結構整備されているのですが、この山道の階段が苦手でゆっくり登ればよいのに頑張ってしまうので疲れました。 土は砂状になっているところもあり、結構滑ります。 木の根の階段はどこに足をつこうか悩みます。 だからトレランは好きになれないんだよなぁと思いながら上っていました。 階段を上りきったら、やっと普通の上り坂になります。 ホッとしました。この階段がずっと続いていたらどうしようかと思いました。 そこからは曲輪が連なっています。 やっとのことで上り切ると絶景が広がっています。 素晴らしいですね。 一瞬登るか迷い出石城だけ見て帰ろうかとも思いましたが、登って本当に良かったです。 10分ほど休憩しつつ景色を楽しみ、帰りは20分で降りれたので、往復1時間ほどでした。 大変でしたが、満足感のある山城でした。
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2024年12月1日(日)に久しぶりに有子山城跡に行って来ました。多分3回目ですね。小生の足で登りが35分、下山が30分でしたよ。今日は天気が良く紅葉の季節やったので登山客に10人ぐらいすれ違ったわ(14時頃)こちらの城は戦国時代末期の山名祐豊が築城しました。そもそも但馬山名家の本城は此隅山城(このすみやま)にあって『応仁の乱』の時に山名宗全がそこから京都の西陣に出陣してます。『応仁の乱』初期の山名家の領土は石見、伯耆、因幡、備後、備中、美作、播磨、但馬と保有してました。『応仁の乱』の最中に播磨、美作、備前は赤松家に取られました(嘉吉の乱の時に山名宗全がこの三カ国を褒美でもらう。元々は赤松家の領土)『応仁の乱』の最後に西軍の山名家が勝手に東軍に寝返って西軍の大内家を攻撃。『応仁の乱』終結後に大内家に報復で石見を切り取られる。出雲で下剋上した尼子経久・尼子晴久に伯耆・備中・備後北部を切り取られる。毛利元就に備後南部を切り取られる。戦国時代にどんどん領土を失って山名祐豊の時代は但馬、因幡の二カ国になってました。播磨を平定した羽柴秀吉が但馬に攻め込んで来た時に此隅山城で籠城するが鉄砲隊にびびって織田信長に降伏。隣国の丹波は足利義昭派(毛利側)だったのですぐに織田信長に降伏した但馬に丹波の赤鬼赤井直正が攻め込んで来て天空城竹田城を取られ降伏し毛利家側に付く。山名祐豊は織田家が攻め込んで来るのが分かってたのでこの有子山城を築城するが2026年大河ドラマ『豊臣兄弟』の主人公羽柴秀長に但馬は平定されます。因幡は羽柴秀吉に平定されます(2回目があの有名な鳥取餓○しのやつです)そもそも織田家は兵農分離してたのでどんな山城だろうが何年でも囲んで兵糧攻めしてくるので意味が無いんだよな。とりあえず大河ドラマで羽柴秀長が主人公やし但馬平定戦、因幡平定戦でめっちゃ取り上げられるやろね。江戸時代出石城(山城は不便なので有子山城の下に建設)の城主は蕎麦の伝道師仙石秀久の子孫です。今から仙石秀久・藤堂高虎の配役が楽しみやわ。羽柴秀長が主人公ならこの両名が出ないとおかしいからね
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続・百名城にも選ばれた但馬最大の城 1574年、但馬守護山名祐豊が有子山山頂(標高321m)に築いた東西740m、南北780mもある大城郭である。主郭を中心に三方向に延びる尾根に放射状に曲輪及び堅堀・堀切を配置した、堅固な山城となっており、まさに但馬の王者(但馬守護)の居城に相応しい「獅子の山城」であったといえよう。 山名時代は土の城だった有子山城だが、1580年に羽柴秀吉により落城した後、城主となった羽柴秀長により石垣の城へ改修される(野面積み)。この野面積みの有子山城築城をした人物は藤堂高虎である。以後、1615年に一国一城の令により廃城となるまで使用されたようである。 鳥居郡のある階段を登り、そこから登山道へ入ります。 登頂までは980メートル 標高321mの決して高い山では無いが、残雪があり、登り切るのが結構大変でした。標高が同じなら普通の登山の倍きついと思った方が良いでしょう。 残980mの標識→残850mの標識→残720mの標識→残500mの標識→残240mの標識→第七八九十曲輪があった場所の横手→侍屋敷があった第五曲輪→矢倉丸があった第四曲輪→蔵屋敷があった第三曲輪→矢倉二つあった第二曲輪→主郭の順に進む。 第五曲輪辺りから雪が積もっており、厳しい登山となりました。登山靴がびちゃびちゃです。 東西135m、南北50mにも広がる千畳敷は素晴らしい。但馬地域では最大の曲輪だそうです。本丸と千畳敷を隔てる大堀切も但馬地域最大の堀切。 有子山城址から出石の町を一望出来、天気も良かったので最高でした。 出石川を観られるのもまた一興ですね。 下りは雪で滑る分、登りよりきつい下山となりました。それでも登る価値ありです。出石城址だけ観に行くのは非常に勿体ない
ももはる

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