墨坂神社(すみさかじんじゃ)。奈良県宇陀市榛原萩原字天野。
旧県社。
主祭神:墨坂大神 (天御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 伊邪那岐神 伊邪那美神 大物主神)
資料によると、 崇神天皇の御代、悪病流行し、人民死に絶えようとした時、大物主神が(『日本書紀』では神人が)、天皇の夢に現れ、墨坂の神に赤色の盾矛を、大阪の神に黒色の盾矛を以て祀れとの神託あり。 教えに従ったところ、悪病が止んで民平穏となったとある。(大阪の神とは、大坂山口神社だと思う)
また、『日本書紀』雄略天皇七年七月三日、三諸の神は「此の山の神をば大物主神と為ふといふ。 或いは云はく菟田の墨坂の神なりといふ」とある。
「新抄勅格符抄」に、天応元年(781)信濃国に神戸一戸を賜うとあり信濃国に同名社が存在する。
もとは、伊勢街道の西峠付近の天の森に鎮座していたが、文安六年(1445)、当地へ遷座し六所大権現と称した。(社伝では推古天皇十五年の遷座)
旧地に小祠が祀られ、上の宮と称していたが、天保十年(1839)、数町上に遷して天神神社と改称された。
当社ホームページでは:(日本最古の健康の神) 古事記・日本書記では、崇神天皇が即位して9年、大和国内には疫病が蔓延し、多くの人々が死に絶えようとしていた事を、大いに歎き悲しんだとあります。同9年3月15日のある夜には、天皇の夢のなかに神人が現われて、「赤盾八枚・赤矛八竿(さお)を以て、墨坂神(すみさかのかみ)を祠れ。亦(また)黒盾八枚・黒矛八竿を以て、大坂神(おおさかのかみ)を祠れ。」と告げたのです。天皇は、さっそく墨坂神と大坂神に盾と矛を奉献(貢物)し、祀ったところ、疫病や災いが無くなり国内がやすらかになりました。...
Read more墨坂神社 日本最古の健康の神 墨坂神社の創建は、第10代崇神天皇の時代にさかのぼります。『古事記』や『日本書紀』によれば、崇神天皇の御代に国内で疫病が蔓延し、多くの人々が苦しんでいました。天皇はこれを憂い、夢に現れた神のお告げに従い、「赤い盾8枚、赤い矛8本」をもって墨坂の神を祀ったところ、疫病が鎮まったと伝えられています。このことから、墨坂神社は「日本最古の健康の神」として崇敬を集めてきました。 神武天皇との関わりについては、神社の由緒書や伝承に「神武天皇の東征の際に合戦地となった墨坂の地に祭祀されていた神々」という記述が見られます。現在の地に遷座する以前の旧社地が、神武天皇ゆかりの地とされていたようです。 鳥見山霊畤 「鳥見山霊畤(とみのれいいち)」とは、神武天皇が即位後に祭祀を行ったとされる場所です。『日本書紀』には、神武天皇が鳥見山中に霊畤(まつりのにわ)を設けて、皇祖天神を祀ったと記されています。この鳥見山は、複数の候補地がありますが、その一つが現在の墨坂神社の近く、もしくは旧社地一帯であったという説があります。この地域が「上小野榛原(かみつおののハリハラ)」、「下小野榛原(しもつおののハリハラ)」と呼ばれたという記述もあり、墨坂の地と鳥見山霊畤との関連性がうかがえます。 ※鳥見山霊畤は近鉄桜井駅南口より徒歩30分の等彌神社境内より登って行くことができます。 波動水 墨坂神社の境内には、古くから湧き出るご神水があります。これは「波動水」と呼ばれ、参拝者は自由に汲んで持ち帰ることができます。この水は、2008年(平成20年)に奈良県の「やまとの水」に認定された名水でもあります。霊験あらたかな水として、多くの人々に親しまれています。 墨坂神社の歴史は、崇神天皇による疫病鎮静の故事が最も有名ですが、それ以前の神武天皇の時代からこの地で神々が祀られていたことがうかがえます。歴史的な伝承と、現代でも親しまれているご神水は、墨坂神社の大きな魅力となっています。 ※近鉄榛原駅下車徒歩10分程度で墨坂...
Read more古事記の崇神天皇の条に「又於宇陀墨坂神、祭赤色楯矛、又於大坂神、祭黑色楯矛、又於坂之御尾神及河瀬神、悉無遺忘以奉幣帛也。因此而伇氣悉息、國家安平也。」とある。
日本書紀の神武天皇紀には、「又於女坂置女軍、男坂置男軍、墨坂置焃炭。其女坂・男坂・墨坂之號、由此而起也。復有兄磯城軍、布滿於磐余邑。」
崇神天皇紀には「以赤盾八枚・赤矛八竿、祠墨坂神。亦以黑盾八枚・黑矛八竿、祠大坂神。」
雄略天皇紀には「七年秋七月甲戌朔丙子、天皇詔少子部連蜾蠃曰「朕、欲見三諸岳神之形。或云「此山之神爲大物主神也。」或云「菟田墨坂神也。」汝、膂力過人、自行捉來。」蜾蠃答曰「試往捉之。」乃登三諸岳、捉取大蛇、奉示天皇。天皇不齋戒、其雷虺々、目精赫々。天皇畏、蔽目不見、却入殿中、使放於岳、仍改賜名爲雷。」
墨坂神は記紀に記載のある古社であるが、式内社ではなく、式外社。
当社は元々は国道165号線の西峠付近にあったという。この地の北には鳥見山があり、その中腹には鳥見神社があり、鳥見山中霊畤跡(複数あるうちのひとつ)がある。 上記、神武天皇紀にあるように、この地は交通の要衝の地。この場所は桜井市の初瀬から伊勢に向かう伊勢街道沿いになる。
気になるのは、日本書紀の雄略天皇紀の記載である。 これを読むと「朕、三諸岳(みむろのおか)の神の形を見むと欲(おも)ふ。あるいは曰く、この山の神をば大物主神と為(い)ふといふ。あるいは曰く、菟田の墨坂神なりといふ」とあり、三輪山の大物主神と墨坂神は同一ということになる。そしてその神は雷神であるということになる。
また、一説には崇神天皇紀にある「黒い」盾と矛は黒雲を表し、「赤い」盾と矛の「赤」は黒い雲から生まれる雷を表しているという説がある。
そういえば、平安神宮で行われる追儺で方相氏が持っているのも黒い盾だったが、何...
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