川から水を引き肥沃な土地にするために、浮羽地区の庄屋五人が久留米藩に工事することを申し入れ、実現した事実に基づく神社のようだ。
1663年に工事を開始し、10年以上に及ぶ難工事を1674年に完成させた。 水路は少し上流の大石と長野の二本を築いた。
地域では五庄屋の功績として、歌や話しで語り継がれているそうだ。 手入れも行き届いており、参道も両脇に並ぶ灯籠が整然としていて見事だった。 お手水には、五庄屋それぞれの名字と家紋が彫られている。 近くに植樹された松は幹がねじれ斜めに伸びており、力強さが感じられた。
無人でそれほど大きくない神社だが、比較的近い年代の史実に基づいた神社と知ると、当時の様子に思いを馳せながら参拝出来るのではないだろうか。 もう一つの水路である大石にも水神社があるので、合わせて訪れられては如何だろうか。
10台程が停められる広場とトイレがあったので...
Read more◆御祭神◆
彌都波能賣神(みずはめのかみ) 栗林次兵衛 山下助左衛門 本松平右衛門 重冨平左衛門 猪山作之丞
◆御由緒◆
創建は1661年~1673年。 江戸時代、寛文3年の大干ばつを機に、山下助左衛門をはじめ五人の庄屋が筑後川が流れる大石地区に堰を造り、...
Read more県道81を北上すると右側県道749との交点前に神社は鎮座している。由緒等については掲示がある。御祭神は彌都波能賣神と記載あり、守護神となった五庄屋の名が記されている。同じような神社は太刀洗町の大堰神社があったと記憶している。地域の発展に貢献した人々を神として祀り、地域を守り続け、より地域が発展を続ける様、後世に繋ぐ。これも神社の役割なんだろう。古事記、日本書紀の神、祟りを恐れて祀られた神、地域に貢献し祀られた神、産土神として地域に古くから引き継がれた神等々神社の御祭神は様々。神社を参拝すればするほど神社の持つ神秘性に引かれる。当社は縦長の神社であり、広い参道が続く。両サイドには奉納品が多いが遮蔽する大木、屋根...
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