・城跡までのアクセス 城跡は色々と見てきましたが、ここの城跡は草刈や伐採などの整備がよくされており、良いと思います。山頂や中腹からの眺めも良く、山口市内がよく見えます。晴れた日に行くと良いでしょう。 城跡に続く道は途中まで舗装されており車でも行けます。ただし、城跡の入り口、放送局の電波塔がある場所まで行くことができます。ただし、入口付近に駐車場はなく、ほんの少しだけ広くなった場所に駐車することになるので、当然、多くはとめられないでしょう。多人数で行く場合は麓の駐車場に止めて、道路を歩いて登るようにしましょう。車で行く場合も、地元の人がよく登っているので(良い運動になります)、歩行者には気を付けてください。道は狭いのですれ違いにも注意です。 ・城跡の環境 冒頭にも書いた通り、草刈などがされており見晴らしも良いです。とはいえ、そこは城跡なのでおせじにも歩きやすいとはいえません。サンダルなどで気軽に行くのはやめたほうがいいと思います。できれば軽登山用の登山靴、最悪でもスニーカーの方がいいでしょう。滑りやすい場所もあります。草木も多いので夏場でも長袖をオススメします。 ・少しマニアックな解説 高嶺城は周防大内氏最後の当主、大内義長が築いた城です。毛利元就の防長侵攻に備えて急遽整備されましたが、毛利軍の侵攻があまりにも早く、完成できなかったと言われています。また山口の町そのものが防御には向かないということで戦わず放棄されました。その後、新しく支配者となった毛利氏がこの城を整備し、使用しました。永禄12年(1569)、山口奪還を狙う弘大内輝弘によって攻撃されましたが、わずかな城兵にも関わらず落城せず、輝弘軍は撤退したようです。 本城跡は大内氏所縁のものではありますが、その遺構の多く、特に石垣などは毛利氏の時代に作られたものと言われております。中世から近世に至る過渡期に作られた山城なので、二つの時代の特徴を残している城と言えるのではないでしょうか。とはいえ、他の城跡に見られるような空堀などはありません。大内氏時代に未完成だったため、完全には作れなかったのかもしれません。 城跡の各所には解説文が書かれた板が設置されており、知識無しでも十分楽しめる場所です。眺めも良く、少しだけ山口の殿様になった気分も味わえるかもしれません。 本城は徳川幕府による一国一城令で破却されたので、400年以上前の遺構です。それでも、一部壊された石垣や瓦の欠片などが残っており、在りし日の姿に思いを巡らせるのも面白いかもしれません。 最後に、本城跡の麓には公園もあり、地元の人たちの憩いの場所にもなっているので、くれぐれもその人たちの迷惑をか...
Read moreThere did not used to be a view from the top. Now there is a great view. It took 20 minutes for my 87 year old father in law to get to the top from Yamaguchi Daijinguu Shrine. There is a road to the summit from Mt. Ododoi...
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