2024.8 大井俣窪八幡神社(おおいまたくぼはちまんじんじゃ)。通称窪八幡神社。 本殿、拝殿、鳥居、神門など9棟11件が重要文化財に登録されています。 本殿は十一間流造であり、現存する国内最長の流造の本殿で、鳥居は武田信虎の厄年である天文4年(1535)に作られたもので、現存する国内最古の木造鳥居です。 桧皮葺屋根の本殿や拝殿は関東近郊にはあまりありません。 境内は荒れているとは言いませんが、もう少し整備されても良いのかなと感じました。 【御祭神】 応神天皇(第15代天皇) 仲哀天皇(第14代天皇) 神功皇后(仲哀天皇の皇后) 【由緒】 清和天皇の勅願により、貞観元年(859年)に宇佐八幡宮を音取川(ねとりがわ、今の笛吹川)の中島の地へ勧請し、その地を大井俣といったことから神社の名称を大井俣大明神と称しました勧請されたのが始まりといわれている。その後、何回か水害で流されて現在の窪の地へ遷座して窪八幡宮となりました。 戦国期には甲斐国守護武田氏の崇敬を集め、現在の本殿は応永17年(1410年)に甲斐守護武田信満が再建したものである。永正13年(1516年)には駿河国の今川氏が甲斐西郡の国衆大井氏に加担し甲斐国内に侵攻し、この際の兵火により社殿の多くを消失し、現存する建造物の多くはこの後に再建されたものが多い。 窪八幡神社本殿は永正16年(1519年)に甲斐守護・武田信虎により造営された。これは大永2年(1522年)に造営された山梨市大工の天神社本殿と一連のもので、両社は古代条里制を利用した東西中軸線によって結ばれ、建築様式にも共通性が見られる。 窪八幡は八幡信仰の型を整えた山梨県では最古の八幡宮であり、甲斐源氏、特に本流武田家代々...
Read more異論があるのは承知の上であえて言います。 山梨で二番目の神社です。 一番の北口本宮冨士浅間神社に比べれば知名度とにぎわいで大きく劣るものの、見ごたえにそこまでの差ははありません。知名度ばかりの武田神社、社格ばかりの一宮浅間神社よりはだいぶ上です。 国指定の重要文化財建築物は北口本宮冨士浅間神社の一一棟に対して窪八幡神社は九棟、国宝こそないものの東国の社寺としてはいずれも破格と言っていい水準です。武田氏代々の寄進による中世の社殿が保存されている点と、国重文の本殿と拝殿が共に十一間という、他に類例のない様式である点がとりわけ見事です。日本最古とされる木製鳥居も一見の価値があります。 北口本宮冨士浅間神社のような分かりやすい見どころはなくとも、じっくり見るほどに味わいが増すいぶし銀の魅力です。
最寄の東山梨駅からは歩いて二〇分ほど、門前町はおろかコンビニも飲食店もない辺鄙なところですが、東山梨駅近くには国宝の清白寺、窪八幡神社から小一時間ほど歩けば放光寺と恵林寺があります。放光寺は国重文の仏像三躯を蔵し、恵林寺は武田不動尊と「心頭滅却すれば火もまた涼し」の言をもって知られます。そこから塩山駅方面に四〇分ほど歩く途中には、臨済宗向嶽寺派大本山の向嶽寺、非公開ながらも源氏八領がひとつで国宝の「楯無」を蔵する菅田天神社、国重文の旧高野家住宅があります。この辺りだけでじっくり一日楽しめるので、アクセスの制約もさほど不便とは感じません。恵林寺と塩山駅周辺には飲食店も土産物屋もそこそこあって、塩山駅は特急が停車...
Read moreLarge and beautiful though rustic shrine. Some unusual architecture and cherry blossoms in spring, autumn leaves in fall. Usually quiet and with friendly...
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