河内音頭の発祥地とも言われてる常光寺さん
常光寺の開創は古く、奈良時代の初め、聖武天皇の勅願で、行基菩薩が創建したと伝えられています。
平安時代中期の寛治二年(1088)には、白河法皇が参詣されたとのことです。 その頃は新堂寺と称されていましたが、室町時代の初め康応元年(1389)足利義満が、当寺の住職・通玄和尚に『常光寺』・『初日山』の扁額を奉納されこの時から初日山常光寺と呼ぶようになりました。
それより前、南北朝時代に、楠正成の家臣・八尾別当顕幸が、当寺にあって大いに南朝のために尽したそうです。その顕幸の墓は、現在も本堂横の墓地に残っています。
伽藍はその後荒廃し再建されましたが、この付近は、1615年『大坂夏の陣』の中心地となり、またもや戦乱に巻き込まれました。 しかし、この寺を以心崇伝が抱え寺としていてため、徳川家康が「寺を荒らすな」との制札を発して、心無い雑兵の乱暴を厳重に戒めたため、寺はなんの被害も受けませんでした。 この戦いで藤堂高虎は、当寺の廊下で長曽我部家臣の首改めをしたとのこと。その廊下の板は、そのまま天井板に上げ今も残っていますが、一面に血の跡がしみついており、『常光寺血天井』として来訪者の目を見張らせています。 そのとき討死した藤堂家家臣七一士の墓も、本堂後ろに並んでいます。
(以上。常光寺さんのHPより)
すごいです!ここにはたくさんの歴史があります(((o(゚▽゚)o))) 特に大坂夏の陣が好...
Read more【常光寺】(じょうこうじ)八尾市本町
河内西国三十三箇所3番。おおさか十三仏霊場5番。臨済宗南禅寺派の寺院。南禅寺塔頭金地院の末寺で、山号は初日山。 通称は八尾地蔵尊。本尊は地蔵菩薩で、弘仁年間(810年 - 824年ごろ)、小野篁の作と伝えられている。 山門脇に大坂城の残石と「河内最古之音頭発祥地」の碑がある。また、境内に大坂の役で戦死した藤堂家の戦死者の墓がある。 奈良時代に僧行基が創建したと伝えられている。当初は「新堂寺」と称していた。 南北朝期に戦乱で寺は焼かれ、一旦は荒廃した。至徳2年(1385年)に土豪・藤原盛継により復興、翌年に地蔵尊・阿弥陀堂などを再建した。室町時代に足利義満から、自筆の 「初日山」「常光寺」 の額が納められた。(寺宝として現存。) 大坂の役において、付近は激戦地となったが、本寺は徳川方の保護を受けた。 徳川方の武将・藤堂高虎は本堂の北にある住職の居間(方丈)の縁側に敵方の首級を並べて「首実検」をしたという。その縁板は後に方丈の西廊下の天井として貼り替えられた。...
Read more2025.10.23 若い頃、3年程住んだ懐しい町だ。八尾の歴史の詰まった寺院でもある。
奈良時代、行基によって開かれ、本尊に小野篁作と伝わる地蔵菩薩を祀る臨済宗南禅寺派の寺院、これが”八尾のお地蔵さん"と呼ばれる所以でもある。
更には、徳川家康の右腕として幕府を支えた以心崇伝(いしんすうでん)の南禅寺の金地院の末寺とは‥‥初めて知りました。境内には大阪の陣で亡くなった藤堂家の戦死者の墓、森本行誓宝篋印塔、八尾別当顕幸墓等が見えた。
山門脇には大坂城の残石と"河内最古之音頭発祥地”の碑が建つ。足利将軍3代目義満が、この常光寺再建にご尽力され、大和川から、材木を運搬。その運搬者の掛け声が木造り音頭、やがて従来の念仏踊りと一体となり”河内音頭"となって行くんだ。塩爺さんと呼ばれた塩川正十郎の名前も出て来ます。
8月23~24日は発展した"流し節正調河内音頭”のも...
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