遠山美都男著の『蘇我氏四代の冤罪を晴らす』を読んでいたらこちらのお寺を訪ねてみたくなったので来ました。それに自分でもなぜか分かりませんが、ずっと以前から蘇我・物部の戦いである丁未の役に興味があったのも訪ねた理由の一つです。かつてこの辺りは物部氏の根拠地であり、お寺でもらったパンフレットによると、この場所は守屋の『渋河の館』のあった場所だそうです。 世間では丁未の役は崇仏派の蘇我氏が廃仏派の物部氏に勝利した戦いと認識されていますが、遠山美都男さんは丁未の役とは敏達天皇と連携していた守屋が敏達天皇の急死によって劣勢に立たされたことに焦って暴走した結果、周囲から完全に孤立してしまい最後は謀反人として討伐されたいくさと述べています。つまり物部氏や守屋は廃仏派だったから滅ぼされたわけではないということです。より詳しく知りたい方は遠山美都男著の『蘇我氏四代の冤罪を晴らす』をお読み下さい。 神妙椋樹や守屋池など、このお寺にも丁未の役にまつわる史跡がいくつかありますが、このお寺の周辺にもそれにまつわる史跡がいくつもあったので刺戟的な一時を...
Read more大阪府八尾市太子堂の寺。神妙椋樹山。本尊は、植髪太子。太子堂と呼ばれる。聖徳太子建立三太子、叡福寺が上の太子、野中寺が中の太子、大聖勝軍寺が下の太子。聖徳太子による開基。推古天皇2年(594)、推古天皇より現在の山号と寺号が贈られ、創建年とした。
用明天皇2年(587)、聖徳太子が排仏派の物部守屋と戦で勝ち、四天王を祭るための寺院として、四天王寺とともに太子堂を建立した。「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」と日本書紀にある。
現地は、JR八尾駅の南西900m。国道25線沿いにあり、太子堂信号の西170m。駐車場は、専用が国道25号線沿いにあるものの、鎖がされていて入れない。山門前にくるまを入れるか、そばに歩道橋があり、寺の東側にあたる入口側から入り、門前に駐車してから寺で尋ねたい。
付近には、物部氏に関連して、物部守屋の墓...
Read more聖徳太子御遺跡霊場第2番「下の太子」。 聖徳太子が物部守屋と戦った古戦場で、戦後、聖徳太子は平和の祈願と、戦死した物部守屋を弔うために、この寺を建立しました。 境内には、物部守屋の軍に包囲された時に聖徳太子が隠れたとされる大木が遺っています。
そして、聖徳太子が信貴山で2体彫った毘沙門天像のうちの1体が祀られています(もう1体は信貴山の朝護孫子寺にあります)。
境内はあまりに広くはありませんが、古代のロマンに思いを馳せるのもよいかと思います。 なお近くには物部守屋のお墓があります。
御朱印は寺務所で頂けます。 寺務所の入口には小さな釣鐘があり、これをハンマーで叩いて職員さんを呼びます。 なおハンマーは木製と鉄製のふたつが置いてありますが、必ず木製の方で叩いて下さい。 鉄製で叩くと音がデカすぎて、耳に響い...
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