磯子区にある鎌倉時代から続く「金蔵院」というお寺があります。 金蔵院はJR根岸線の根岸駅と磯子駅の中間辺りにあります。 磯子駅が近いが歩いて行くのは間違いでしょう。 20分位歩くと、左手に荘厳な門構えが目に入る。 金蔵院の前進は、磯子と岡村の境にあった霊雲山竜錫寺という寺であったらしい。 鎌倉幕府の三代執権北条泰時が京都高雄の明恵上人より薬師如来をもらって本尊として祀り、この寺を開創したといわれている。 本堂は昭和38年(1963)に改築、観音堂は昭和48年(1973)に群馬県の妙義神社の本地堂を移築し、如意輪観音と弁財天を安置しています。 真言宗に属していて、その佇まいは周りの景色より映えてみえます。 物理的に何か変わったわけではないのに、やはりさすがに寺、なんとも身が引き締まります。 この「金蔵院」、横浜・磯子七福神めぐりの弁財天にもなっていて「磯子観音」とも呼ばれています。 そして、ここには「鮭塚」という慰霊碑があります。 鮭とゆかりの深くない?この地になぜその様なモノがあるのだろうと誰でも思うでしょう。 鮭塚は、鮭のみを供養しているわけではないです。 1978年、金蔵院の檀家さんである横浜市中央卸売市場水産部の役員が元々建立されていた妙法寺では、供養する人が途絶えてしまい管理を引き受けたため妙法寺から金蔵院へ移設されました。 人間が生きるためにいただいた魚介類を供養すると言う為のモノで、そこに供養されている魚の代表で名前を冠しただけで、決して鮭だけを供養しているわけではないそうです。 横浜市中央卸売市場が有る事と海沿いに生活している事で慰霊碑が建立されたと言う事です。 今でも十一月十一日(「鮭」の魚偏(さかなへん)をとった圭という文字が十一を重ねた形になっていることから)には、横浜中央市卸売市場水産部幹部の方が訪れて大々的...
Read more道路から見た感じ、普通の町のお寺さんかしら?と思ったら、スットコドッコイすごいお寺でした。 入る前に見えてくる看板に「この中で砂利遊びしないで下さい」と書かれており、ふーん、砂利が敷き詰められとるんか、なーんて軽い気持ちでおったら、寺の本堂前の砂利が超キレイに縦整列にナラされており、「こっ、これは入れん!」となりました。なので、お寺の本堂前のお賽銭箱には何も入れられず。(写真参照) 隣に神社みたいな狛犬が両隣に居る御堂があったので、そちらのお賽銭箱にお賽銭をいれました。 むむ、賽銭箱にピラミッドが三つ並んだ紋があり! ゼルダの伝説! ミツウロコ! いやいや、北条の紋でしょ! だが知ってますよ。鎌倉北条と戦国北条は違うんだよねー。どっちだろう? で、説明看板ありました。この御堂に祀られているのが、北条泰時(北条義時(鎌倉殿の13人で小栗旬が演じていた)の息子)の奥さんがお祈りしていた観音像。北条滅亡後、流れ流れて、この赤い御堂の中にあるそうです。超ハショて言うとこんな感じ。御堂の左には、雨ざらしの観音像がありまして、説明看板はこっちの像を説明しているのか? 違う・・・はず。 話変わって、この御堂の左に2段の階段があり、山があって穴があり、「おーっと防空壕か?!」と思ったら、山の穴の中に仏様がおられました。おー!と驚いてる間も無く、左を向けば、仏様像の群団が! と...
Read more正式な寺名は海向山 金蔵院...
Read more