仙鶴山松蔭寺(せんかくさん_しょういんじ)は臨済宗建長寺派の草庵として建武元年(1334年)開創され、寺号は正統庵とした。由来は鎌倉建長寺の第三十世佛壽禅師退隠の後、幽棲の地(いわゆる隠居)として庵を結んだものです。文和3年(1354年)2月18日示寂(逝去)との記述がされています。***西暦では3月13日です*** 寺号は当初「松音寺」と書していましたが後に今の「松蔭寺」に改まりました。本堂は14mに11mの大きさで南向き。本尊は釈迦牟尼(しゃかむに)立像で高さは約70cmを安置。古器宝物は多くを数度の回祿(火災)で失ったとの言い伝え。東側にあった本堂を現在地に移したとされています。徳川時代の境内は4000㎡弱で後背の山林は3.3haとなっていました。大正12年9月1日の関東大震災で本堂が大破となり川上誠宗住職が修復復興に向けて尽力されました。 通常、山門は閉じられていますからもう一つの入口から入ります。境内には鐘楼がありますが、鐘を撞く機会はほとんどなく、略式で1回撞きになっています。重低音に対する機微が影響しているのでしょう。奥に進みますと庫裡(くり)前に「布袋尊像(本堂内にも祀れています)」があり、山門側には「慈母観音立像」と「水子地蔵尊」、本堂は木鼻が阿吽の獅子の他、蟇股(かえるまた)の部分には鳥の彫刻が見事です。本堂前庭園を通り奥に進むと観音様・庚申塔に達します。となりに祠があり、左には「里見義高公」を祀った「義堯入道尊堂」と観音堂があります。左右には阿吽(あうん)の仁王木像が立ちます。仁王像の足もとには小石が置かれていますが、これは駒形明神の言い伝えである「小児疱瘡(ほうそう)の類い他、何れの病にても悩める者はここに祈れば必験あり」と伝わり、「祈願する者は側石を取り、悩む所を撫でると自ら平癒(治る)せり。平癒の後は石を二つ納めよ。」つまり、小石をひとつ借りて撫で、結果が出たら石は二つにして返す事になります。里見入道の霊験あらたかという事で現在は松蔭寺の義堯入道尊堂に小石が置かれるようになったものです。明治20年に現在の駒形天満宮より当地に移されたと生見尾村誌に記述されています。 観音堂は駒形天満宮の「慈眼堂」を移したもので十一面観音(高さ30cmほど)立像が安置とされる。真言は「オンマカキャロニキャソワカ」等です。病にかからない、災害・事故・犯罪にあわない、食べ物に困らない、財産運などの御利益があるとされています。 更に奥の位置に東司(とうす:トイレ)があり、中は洋式便器や小便器が備わっています。また、閉鎖された松蔭寺幼稚園がそのまま残っています。
松蔭寺の寺宝は阿弥陀如来坐像があり、上野の国立博物館に寄託(預けること)されています。1987年に横浜市の指定文化財に。高さ25.3cm飛鳥時代後期の金銅仏で松蔭寺別当の八幡宮(現在の駒形天満宮)に祀られていたものを明治の神仏分離で松蔭寺に移したものです。当時は天皇の権威を高める為を口実に破棄された仏像も多数あったなかで危難を乗り越えたのです。全国には手首や腕のないもの、さらに顔を削られたもの等が多数残っています。 樹木については横浜市の名木古木指定された「サルスベリ」と「タラヨウ」があります。 境内の躑躅(つつじ)が手入れされていませんでしたので剪定についてレクチャーしました。躑躅は適度に剪定しないと枝葉が大きくなり古い葉が残る事で新芽が出にくくなります。剪定により新しい枝葉が伸び、密生しながらも花芽は増えますから美しくなります。仏教的には輪廻した事になります。
***里見義高墓と義堯入道の表記については、どちらも「よしたか」となりますが間違いではありません。伝わる文書記述にはどちらもの文字もあります。「生見尾」は生麦・鶴見・寺尾の地名です。当初は「なまみお」でしたが発音しにくいので明治24年(1891年)「うみお」になりました。(東)寺尾の由来は松蔭寺に続く尾根と伝わっています。松蔭寺への道しるべとして横浜商大付近に庚...
Read moreお墓参りの時いつも思う事ですか 高齢者になると足元が不自由になるので転んだりしたら大惨事になります この今の環境では危ないです お墓の周りの整備は昔と今と全然変わっていません 私が小学生の頃におばあちゃんのお墓まいりに行った頃から50年以上経っていると思いますが 松陰寺のお墓に行く何箇所かある階段やお墓の前を通る道はほぼ改善されてないように思えます
本堂や一目につく場所は綺麗にしているのにとても残念に思います
ご先祖様のお墓の周りこそ綺麗にする事が一番だと思いますが…
年に何回かお寺に納めているお金はどういうふうに使っているのか計画書みたいの出して明確にしてほしいですよ ...
Read more臨済宗建長寺派のお寺で仙鶴山松蔭寺といいます。 御本尊は釈迦如来です。 松蔭寺は鎌倉建長寺第三十世の世勅諡佛壽樞翁妙環禪師が隠居寺として正統庵と号して建武元年(1334年)に創建したといいます、その後寺を中興した廣山という僧の時代に寺号を松音寺と定めたが後に現在の寺号の松蔭寺に改めたという。 寺宝に阿弥陀如来坐像があり奈良時代の優作として認定されていて現在東京上野の国立博物館に寄託されています。 横浜市史稿仏寺編には「鎌倉建長寺の末寺格は一等...
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