まだ山門脇の南無阿弥陀仏塔横に祀られていた頃 何度となく逢いに伺いました。 90年代なかばに現在の場所に移設されています … 当時は隣に横須賀市の動物慰霊碑が在り… 何故に境内ではなく山門脇路地裏の寂しい場所に祀られて居るのか不思議でした。 幕末明治時代はもっと境内が広かったのかも… 移設は横須賀市の観光客への体面も有った様です。 バブル景気だったから出来たのかとも?
何故に今頃 と おりょうさん も 大平の 眠りを 醒ます…と 驚いた だろうと 有り難迷惑に 思っていなければと 想いを巡らせたものです。
参拝すると 墓前に胡座をかき 両手を合わせて相談事 報告をする…ゆったりとした時を過ごす事が 出来た 場所でした。 山門脇路地裏の利点😉です。
夕暮れ時 相談事をしていると...
Read moreこのお寺は、最寄りの駅は京急大津(京急本線)で駅からは徒歩5分のところにあります。浄土宗の仏教寺院であり山号は宮谷山で、正式名称は宮谷山至心院信楽寺。三浦地蔵尊第27番札所であリます。宮谷山至心院信楽寺。三浦地蔵尊第27番札所である。幕末の志士坂本龍馬の妻、楢崎龍(おりょう)の墓がある事が有名です。明治7年から神奈川宿の料亭・田中家で仲居として働き、明治8年には西村松兵衛と再婚し、西村ツルとなり、横須賀で暮らしました。人生の後半生33年間を横須賀で過ごしたおりょうの墓は、後の長く過ごした地の横須賀市大津の信楽寺(しんぎょうじ)に葬られてました。 この墓は、おりょうの死(明治39年1月15日66歳 )8年後の大正3年8月、妹の中沢光枝が施主、夫の西村松兵衛らが賛助人となり建立されました。墓碑には夫・西村松兵衛の名ではなく「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれています。それは、夫である西村松兵衛の粋なはか...
Read moreしんぎょうじとは読めないですよね。お龍さんも龍馬ファン以外はおりゅうと読んでしまいますよね。お龍は市内の今の米ヶ浜で亡くなったのですが、いろいろないきさつがあってこちらのお寺に葬られたそうです。墓石は横須賀海軍ドックの建設に使われている石だそうです。なので、普通より巨大なわけです。昔は山門の手前にお墓があったと記憶しているのですが、今は境内奥でひときわ目立っています。いつ頃改葬されたのでしょうか。昔からマニアには知られているお寺でしたが、あの「龍馬伝」で一気に有名になりました。真木よう子さんも墓参されていますよね。境内もきれいに整備されて、お天気の良い日などはのんびりとできるお寺です。本堂にも自由に上がれ、龍馬とお龍の木像や月琴なども拝見できます。拝観料などを取らないのはご住職の好意なのでしょう。なので、くれぐれもマナーを守っ...
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