重要文化財の「楼門」(ろうもん)をくぐる。 参拝は右まわりで行います。まず、小さめのお社が目に入ります。大峰鎮守三十八諸神の一つ、大神社です。大峰奥駈道中にこう言うお社が38あります。修験者は山に入る前に道中の安全祈願をします。特にしんきゃくの守護神という位置付けです。
そして、重要文化財の三殿一棟造りの本殿・拝殿・幣殿があります。三殿一棟造りとは、3つの社が合体している造りで屋根が一つ後ろの壁も一つ。こういう神社建築はここだけで大変珍しいものです。
その向こうの幣殿には子守大名神をお祀りしており、子授けの神、安産の神、こどもの守神、特にお母さんと子供をお守りする。両脇に神輿があるが右手の神輿は1604年慶長9年に豊臣秀頼公が社に奉納したもの。左の神輿はコピーだが江戸時代のもの。 ここの社殿が全部1604年当時の建物で豊臣秀頼公が再建したのは、豊臣秀吉がなかなか子供が授からず吉野へ来て祈願したところ、57歳でようやく淀君との間に産まれたのが秀頼でした。その縁を持って豊臣秀吉が社殿の再建にのりだしました。秀吉が亡き後は申し子である秀頼が社殿を再建した当時の建物である。
これらを取り囲むように向こうには拝殿があり、予祝行事を行う舞台でもある。真ん中の水分の大神に対して4/3...
Read moreYoshino Mikumari Shrine (吉野水分神社, Yoshino Mikumari Jinja) is a small Shinto shrine in the upper Kami Senbon area of Yoshinoyama. The hall's beautiful, layered bark roof was renovated in 2011, and the structure has been designated part of a UNESCO World Heritage Site since 2004. It’s free. In cherries blossom season, visitor must queue in line from the left...
Read more時はアススの170年のネアト(50)の年の事でした。3代目スヘラギのタマテミ(シギヒト/第3代安寧(あんねい)天皇)の即位が執(と)り行われます。シギヒトさんは、33歳でアマツヒツキ(天皇位)を受け継がれます。そしてタマテミのアメのスヘラキミとして3代目スヘラギを名乗られるのでした。 シギヒトさんの誕生の時の話がありました。チチキミ(2代カヌカワミミ)が、ココナ(菊)の花見をしようと、シギのクロハヤのタチ(屋敷)に行幸なさいました。この際に、ミススヨリヒメ(正皇后)とカワ マタヒメ(オオスケキサキ)をお連れになられたのでした。さて、ミススヨリヒメはここで、産気付かれました、が三日間お辛くて病がちになられます。そこに、メヲ【女性と男性、男性はタマテヒコ、夫婦か? 】が尋ねてきて助力を申し出るのでした。キミ(2代カヌカワミミ)はタマテヒコに手助けを頼みます。そうして、無事にミコ(皇子)を出産出来たのでした。タマテヒコの手助けが良かったのでした。キミ(2代カヌカワミミ)もホッとなさいますのでした。ご出産なさいました朝に、シキのクロハヤのタチ(舘)に朝日が輝いていました。そこで、タマテミがイミナ(実名)を「シギヒトさんにしては如何でしょうか?」と薦(すす)めました。キミ(2代カヌカワミミ)も、良しとなさいまして、ミススヨリヒメ(正皇后)のお産みになったミコはシギヒトと名付けられたのでした。また、タマテヒコの事をお褒めになろうとなさいまして、カハネ(姓)を問われになりました。タマテヒコはコモリの子孫だと言います。また、女性のほうはカツテの子孫だと答えました。そこで、ワカミヤのウシ、モリのカミと褒め名を与えになりました。さらに、コモリとカツテの祖先祭りをヨシノ(吉野)にすることになさったのでした。 現在にも、吉野水分神社(子守神社)、勝手神社(焼失中)、として共に吉野山に祭られています。(『延喜式』にも記載の古社)
『ホツマツタヱ』31アヤ-68ページ 「ヲシテ文献 大意」 日本...
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