[参拝の栞] 座間神社略誌 一、鎮座地 神奈川県座間市一丁目三四三七番地、境内には湧水の豊富な座間市民の飲料水の源を有して、遠く大山、丹沢連峰の山並みを仰ぎ、近くは相模の母とたとえられる、相模川の流れを一望でき、また四季を通して草花の咲き乱れる座間公園に隣接する風光明媚な名勝であります。 二、御祭神 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)景行天皇の皇子。古事記に「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」とあるように凱旋の士で、東国征伐の途中、伊勢神宮へ参拝し、倭姫命より叢雲剱を得られ、その威霊によって駿河国に於いて野火の難を免れました。そしてその賊を滅ぼされ、相模国より走水の海を渡られ、上総国に入られ東国蝦夷を平定するなど、歴戦のロマンを秘められた尊の御神徳と御治績をお慕い奉っております。 三、由緒 「相模の飯綱さま」と親しまれている当神社の創祀は神代と云われていますが、一つは欽明天皇の御代(五三九~五七一)に、坐摩郷(座間の古名)に悪疫が流行した折に飯綱権現の化身である白衣の老人が現われ、崖下の森の中に湧く清水を使うようにすすめたので、村人がそのすすめに従ったところ、悪疫はやみました。そこで飯綱権現を祀ったというのです。 別の説(明治十二年編成皇国地誌)では、約八百年前の源頼朝が鎌倉へ幕府を開いたところ、悪疫が流行した時に白衣の老人が来て、日本武尊を祀れば悪疫が治まると教えたので、日本武尊を祀ったといいますが、その時代は正和二年(一三一三)で、祭神は飯綱権現だという説もあります。 飯綱権現は、江戸時代には防火の神として信仰されていて(本来は伊勢の豊受大神と同じ食物の神様)、長野県の飯綱権現社が本社でした。座間神社と改めましたのは、明治九年で、日本武尊が野火で攻撃された時、剱で草を刈って防いで勝ったという神話にもとづき、後世防火の神様ともされていましたので、明治時代になって村社とされるとき、同じくご利益のある日本武尊に祭神が改められました。正和二年、社殿を再建します。 この頃より武家の参詣が相次ぎまして、慶長七年(一六〇二)には領主内藤修理亮清成(ないとうすりのすけきよなり)が一統を率いて参拝して武運長久、氏子の繁栄を祈られたという記録もあります。また、古くからこの地は、八王子街道の宿場街として栄え、ここを往来する人々、また生糸を運ぶ車両の安全を祈念した人々で社頭が賑わいをみせたとも伝えられています。 四、境内地 六千坪 五、建造物 本殿(木造流れ造)、幣殿、神饌所、神楽殿、手水舎授与所、鐘楼、社務所他 元禄十一年八月、本殿改築。明治十三年八月、幣殿並びに拝殿を新築。明治四十二年五月、村内各所に鎮座する、天神社、蚕神社、浅間社、明王社、山王社、道神社を境内に奉遷し寄宮として奉鎮した。昭和十五年十一月、紀元二千六百年を記念し向拝を増築。昭和二十一年十二月、第二鳥居建立。昭和三十年八月、第一鳥居再建。昭和三十三年八月、玉垣改修。昭和四十六年八月、石段を改修。同時に境内整備事業の一環として神楽殿を新築。同年十一月、戦争中に釣鐘を供出したため氏子中の要望により鐘楼を竣工。昭和五十一年四月、第二次整備事業による第三鳥居再建。社号碑、由緒碑の建立、手水舎、授与所を新築。昭和五十八年四月、社殿屋根老朽化に伴い、本殿、幣殿の新築、拝殿の一部改修。昭和六十年四月、天皇陛下御在位六十年を記念し寄宮の改修、鳥居を建立し現在に至る。
毎年ひな祭りが開催されていて、今年は3月2・3・4に境内に続く階段にたくさんのお雛様が並ぶようですが、まだ数日早いため、拝殿の階段に一部飾られていました❤ 社殿は権現造だね♪ 奥の本殿は外削ぎ千木が見えるから御祭神が男神(日本武尊)というのは目安ですぐにわかるけど、神明造ってことよね? 流造りと神明造の組み合わせってあるもの???私の中途半端なにわか神社知識じ...
Read more神奈川県座間市座間に鎮座する座間神社の直書き御朱印を頂きに参拝。 御祭神は日本武尊。
「相模の飯綱さま」と呼ばれ、創建は神代まで遡る古社。 と言っても、神代まで遡るのは幾つかある説の一つ。 その一つが欽明帝の御代(539年〜571年)の頃。坐摩郷(現代の座間のこと)で悪疫が蔓延った際に、飯縄権現の化身として白い装束を纏った老人が現れ、現在この座間神社が建つ崖地から湧く水を使うように村人にすすめた。 村人たちは言われた通りその湧水を使ったところ、無事悪疫が治まったので、感謝の意を込めてお社をその湧水が湧く地に建てた…という説。 他には、源頼朝が鎌倉に幕府を建てた頃、悪疫が流行して困っていたところに白装束の翁が現れ「日本武尊をお祀りすれば治まる」と言われたので日本武尊を祀るお社を建てたのがはじまりとする説、あとはその時代が異なる正和2年(1313年)に飯縄権現を祀った説があります。
この座間神社のある地は熊谷方面から大山の麓の上粕屋まで通る大山街道(八王子街道)沿いということで、古墳もちらほらとあったりしてかなり歴史のある土地となっています。 神社は古代の相模川が作った低地から、座間丘陵上へ参道の階段を登ったところにあります。 その神社の真裏は陸上自衛隊の座間駐屯地、米軍のキャンプ座間となっており、なかなか当時の風景を偲ぶのは難しい感じとなっている。
しかしその崖地沿いには日蓮聖人由来の番神水など現在でも綺麗な水の湧く場所は多く、遺跡や史跡、歴史のある神社仏閣も多くあります。
現在の相模川は座間神社のある崖地からは2キロちょっと西を流れていますが、かつてはその座間神社の建つ座間丘陵下近辺まで流路が変わった時期もあった筈なので、古代からかなり定住のしやすい土地ではあったと思います。
御朱印は拝殿向かって右手の奥の方に社務所があるので、そちらで授与頂けます。 因みに境内社の伊奴寝子神社のものも授与いただけます。 御朱印は季節限定のものなどもありますが、それらは書き置きのものしかありませんので、直書きに拘る方はお気をつけを。
最寄り駅は小田急小田原線の座間駅…よりは相武台前駅のほうが近いかと思います。それでも2・3キロくらいの距離はあります(相武台前駅〜原当麻駅間のバスで神社近くまで来られますが、1時間に1本くらいの頻...
Read more今回は、悪運を遠ざける為に座間にあるパワースポット座間神社に参拝に立ち寄りました!座間神社は、古くから「相模の飯綱様」と呼び親しまれている座間の代表的な神社です!伝承によると、この地に昔疫病が流行り「飯縄権現」の化身の白衣を着た老人が現れて崖下に湧く清水を使う様に村人に勧め、村人は、老人の勧めに素直に従った所で疫病がやみました!その事で「飯縄権現」を祀ったと言う事です!なるほど!「飯綱権現」の化身なる老人が座間地区の人々の生命を救ったのが、「飯縄権現」との繋がりの始まりなのですね!因みに「...
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