この河内国稲田村のことは、古文書にも記述されています。『二條宴乗記』の元亀元年(1570)9月8日の記述に、(河内国)稲田へ舟にて参り。稲田寺内古橋合戦に焼け。残る家松永山城守久秀衆陣取り、皆々取り破る。屋根など無きの間、ミをかづき一夜を明し、とあります。 宴乗は、奈良興福寺一乗院門跡坊官の二條宴乗のことで、この時、幕府・織田信長方松永山城守久秀に加担しており、一行は、摂津国中嶋(今の中之島)方面へ向かう途中に稲田村へ宿営しました。記述では、稲田村も合戦の被害を受け、家々が焼けていたようです。焼け残った家も、松永方の軍勢によって、焚き付けにでもするのか、家の部材は引き剥がされ、屋根が無かったと記録しています。 記録の日付は旧暦ですので、今の西暦より40日程季節感覚が遅いので、現在の暦で言うと10月下旬で、初冬にも近い自然環境です。朝晩は寒いはずですので、こういう事が起きたのでしょう。 また、稲田村は本願寺宗派の影響力の強い地域でした。前記の記述にある「稲田寺内」とはそれを指すのでしょう。この記録の直後の9月13日、本願寺宗が幕府・織田信長方へ敵対を表明し、一斉蜂起して後は、一転して敵対関係になります。今も稲田村に残る正行寺や存空寺は、そういった流れを汲むかもしれません。 曲がりくねった道や鍵型の道、道幅などは、旧態の名残りとも思え、ワクワクします。土地の起伏も当時とあまり変わらないのでしょう。もちろんこの八幡宮もその当時から確実にあったはずで、きっと松永久秀などの武将も八幡宮とあっては、武士ならば、きっ...
Read more【稲田八幡神社】(いなだはちまんじんじゃ)東大阪市
大阪府東大阪市稲田本町の住宅地に【稲田八幡神社】(いなだはちまんじんじゃ)は鎮座しています。境内の東大阪市の案内板によると、御祭神:「仲哀天皇」、「神宮皇后」、「応神天皇」。祭礼日:宵宮10月21日、本祭り22日。 由緒について;「稲田桃」で知られている稲田の地は、古くは新開池へ合流していた旧蔆江川の両岸に営まれた集落で、「稲田村由来記」によれば、室町時代の中頃、東方に屋敷割と呼ばれる所があり、観音樋の西側に人家が18軒あったこと、誉田八幡宮を勧請して氏神としたことが記され、現在の八幡神社の沿革を知ることができます。 八幡神社は、字宮の町と呼ばれる所に鎮座し、仲哀天皇、神宮皇后、応神天皇の三神を祭神としています。 稲田は、南町・中町・橋本町・北町・旭町の5町に分かれ、秋祭り(宵宮10月21日、本祭り22日)の宵宮には、各町内から伊勢音頭を歌いながら、長提灯の宮入が盛大に行われます。 境内の一きわ高い神木”いちょうの木”は、樹齢約500年・樹高約35m・幹周5mもある古木で、稲田村と八幡八幡宮の古い歴史を伝える天然記念物して昭和49年3月25日に、市の文化財に指定されています。
住所:大阪府東大阪市稲田本町2-24-36 アクセス:JR片町線...
Read more古いお八幡さんのようです。自転車で通りすがりに撮影しました。地元の方も初詣されるところです。 初詣に行ってきましたので、写真を追加しました。境内には御神木の大きな銀杏の木があります。私たちが訪れた時は、初詣に近所の方々がお参りにきていました。 コロナ禍ですので、参拝は間隔を空けて並びました。日頃参拝する方は、少ないかもしれません。 境内は綺麗です。こういった地元の八幡さんは、これから...
Read more