【当社】は、古代最大氏族藤原氏の始祖である中臣鎌足、藤原鎌足の生誕地であるとの言い伝えのある社である。 【所在地】は、茨城県鹿嶋市宮中3354(〒314-0031)である。 町名が宮中で鹿島神宮と同じである。やはり神宮との繋がりの濃さを感じる。 【下生】(シモノウ)が冠されているが、これは小字から来ているようだ。ここで気になるのが、「大生神社」(潮来市814(〒311-2402))である。祭神は、健御雷之男神...
Read more鎌足神社は 鹿島神宮の西側にあります。
鎌足の誕生地は 一般的に、奈良県と伝わりますが… 鹿島が誕生地との 言い伝えも多く残っているそうです。
鎌足の父・中臣御食子は 鹿島神宮に仕える神官でした。
御食子は、妻といっしょに 帰郷し 鹿島で鎌足が生まれたそうです。
鎌足が二歳になった頃 お母さんの夢に 白狐があらわれ 【この子は、将来国のために 立派な仕事をする人です… しっかり育てなさい…】と伝え 鎌を授けました。
夫婦は 白狐のお告げを信じ 都で学問をさせてあげたいと 考え… 後に鹿島をあとにして 再び都へ向かったそうです。
白狐が授けた鎌は 神社の御神体として保存 されているそうです。
鎌足の系譜をさかのぼると 鹿島周辺の地名のある お名前の方もいるので 鹿島誕生説もありかな…。
それから… 鎌足の【足】って字が 個人的に気になっていて まだ調べている途中なんだけど…
古代は 【足】【根子】の字が お名前に入る方や 神社の祭神になった方々は 【高句麗国】直系と言われて るみたい。
鎌足出自説で知られているのは 古代 高句麗国を建国するときに 協力した、百済王族で… 高句麗建国後に 分かれて 南下してできたのが百済国。 この百済王族が 鎌足と深い関わりがあるとゆう説です。
藤原とゆう地名や姓は 朝鮮半島南部(昌寧伽耶)の 【比自火】ヒジボル =【藤原】フジバル で 天皇が伽耶の地名を 鎌足に下賜したとゆう説。 もあるんですって。
この神社は 中臣御食子の屋敷があった 場所と伝わります。
創建年は不明。
祭神は 【藤原鎌足】 【菅原道真】 【宇賀御魂命】です。
●古墳の写真は 韓国【昌寧郡】 ...
Read more御祭神は藤原鎌足・藤原道真・宇賀御魂命。境内の説明板を引用しますと「鎌足神社境内地は,古来より藤原鎌足の誕生の地とする伝承が残っているところである。藤原鎌足の生誕地には,当地と奈良県橿原市の二つの説がある。いつごろ建てられたのかは不明であるが,江戸時代から明治時代にかけてまとめられた,常陸国の歴史と地理の大著「新編常陸国誌」の鹿島郡・宮中の項に「鎌足社」があり,当社が鎌足の生誕地であるという説が紹介されており,この地域が江戸時代から鎌足ゆかりの地とされていることがうかがえるところである。境内には明治25年に建てられた「大織冠藤原公古宅址碑」という石碑もある。」中臣鎌足(後に藤原姓を賜る)といえば,中大兄皇子(後の天智天皇)と共に蘇我氏を滅ぼして律令国家を 築いた大化の改新(645年)の主役,後の藤原氏による興隆の祖であり,義務教育を受けた日本人で知らない人はいないでしょう(忘れちゃった人は数多いかもしれませんが)。当社の創建年代など御由緒は不詳ですが,鹿島神宮は元々,中臣氏一族が大宮司職にあって勢力圏内としていた地。当社域が鎌足誕生の地と比定ですが,あって...
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