杷木神社のご祭神 杷木神社は狛兎がいる楽しい神社です。 兎は大国主のお父さんである月読尊のシンボルです。 神社の西側に公園があり子供たちの遊ぶ声がいつも聞こえます。 筑後川もすぐ近くです。
杷木神社は継体天皇の頃、物部麁鹿火が磐井との戦いの時に武運を祈ったという歴史ある神社です。 祭神は、伊弉諾尊、伊弉冊尊、大貴己命、武甕槌命の四柱で、主祭神は10月の神無月に出雲に行かない旨が案内板に書かれています。
江戸時代に歌川豊国が描いた出雲大社縁結図を見ると、四人とも参加しており、この中に主祭神はいないことがわかりました。
江戸後期の太宰管内志をみると地元の伝承が載っており、把伎神社の祭神は四座で、男神が二座、女神が二座で、一神は御母神ということと、この神社が把伎二所大明神と言われたことが記されています。
本殿が目が醒めるような燕脂色であること、千木を見ると主祭神は男神であること等から、杷木神社の本当のご祭神は、天常立尊、月読尊(主祭神)、燕脂姫、金鑚大神 だと思われます。
天常立尊(天御中主)は、久留米の水天宮のご祭神で、月読尊と燕脂姫のお母さんです。 月読尊と燕脂姫は弟姉で、近くの大山祇神社の祭神でもあると思います。 金鑚大神は近くの秋葉宮の祭神で秋葉大明神です。古代における金属のスペシャリストで、別名は金山彦、燕脂姫とは夫婦です。 そして、杷木神社の大明神が月読尊(白兎大明神)です。 月読尊は大国主のお父さんなので10月に出雲に出向くことはありません。 出雲大社縁結図にも月読尊の姿はありません。
奇祭と言われる鎮祭はお祭りなのに、なぜ静かに行われるのでしょうか? これは、月読尊が邪馬壹国と戦って敗れた狗奴国のリーダーだったからでしょう。 狗奴国の乱の後、月読尊は大山祇と呼び名が変わりますが、名前を変えても敗者のお祭りをおおっぴらにすることはできなかったでしょう。 杷木神社のご祭神からも今は消されています。
明治に合祀されたお稲荷さん(豊受大神=伊勢の外宮様)は月読尊のお孫さんです。愛媛の大山祇神社(大三島宮)の創建にも力を注いだそうです。 その甲斐あってか大山祇神社(大三島宮)は多くの方が参拝する伊予国一の宮です。
地元の方が大切に守ってきたから、こんなに艶やかで立派な杷木神社が今もあります。 そろそろ本当のご祭神を表に出しても良いのではないでしょうか? 月読尊という洒落たお名前の白兎大明神は恋愛成就、縁結びの神さまです。 きっと多くの方...
Read more杷木神社は今までに唯一、地名から見つけて行った。駐車場はないけれど、近くに杷木町役場が存在したので、少し歩くだけで済む。
日本書紀の一書に曰く。…次に豐國主尊、亦た曰く豐組野尊、亦た曰く豐香節野尊、亦た曰く浮經野豐買尊、亦た曰く豐國野尊、亦た曰く豐囓野尊、亦た曰く葉木國野尊、亦た曰く見野尊。
この神が、古事記にいう豐日別であり、大國主の原型ではあるまいか。葉木國野尊については「葉木國、此云播舉矩爾」と原註があるため、注釈はみなハコクニと読み、杷木町との関連は誰も言わないのだが、杷木をハコと読んだ可能性はないのか。 杷木に大國主を祀る社が有るならば、答えが出るかも知れない。と思って探すと「杷木神社」と、何の捻りもない名の社が鎮座するのであった。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冉尊(いざなみのみこと) 大己貴命(おおなもみのみこと) 武甕槌命(たけみかつちのみこと) 四柱を祀る。参道には猿田彦大神。 特徴として狛犬の代わりに菟を彫る。稲羽の素菟または菟神であろう。残念ながら由来不明、大己貴命(大國主)の神使として控えるように見える。つまり、ここは「出雲」であったのか?
古社だが式内社ではない。記紀にも記さない。筑前國風土記も社伝も散逸して残らない。 位置からして重要な社だったに違いないのだが、残念ながら上代の情報はもう残っていないようだ。 それでもこの境内には、どこか心惹かれるものがある。社務所が見当たらず御朱印もないらし...
Read more杷木の地名は神社の名から地名になたと言われている。杷木神社は継体天皇5年(511年)の創設といわれ、「筑州上座郡杷木神社縁起」には、天照大神の子天忍骨が大己貴の神に、これより南を豊かにすることを命じて、農器具の土地をならす道具の「馬把(ばは)」を与えたことから、把か来たとの意で「把来」となり、その後、「杷木」に改められたとある。杷木は古くから「日迎の里」と呼ばれ、地元では「ヒムカ」と呼ぶ人も多くある。古事記の「竺柴の日向の橘の小戸のあはき原…」と記されている。草書体で解く邪馬台国の謎...
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