写真の撮影日時は2025.10.27(月)08:54。方向音痴なので、ドラッグユタカ山科店前の“外環ソトカン三条”バス停から“北花山”で下車し、遍昭(照)僧正の御墓は見逃して、管理施設とされる“藤黒稲荷大明神”はその横を通ったのにもかかわらず、まったく気づかなかった。藤黒稲荷と遍昭僧正御墓を見逃しさらに大石道を直進、“浄土宗福應寺”という案内板を見つけ、なんとなくそのお寺のほうへ右折する。福應寺さんの看板だけ撮影し、さらに進むが、どう考えても御墓らしい施設は見当たらない。そこで、偶々出勤か何かで家の玄関から外へ出て来た女性に遍昭僧正御墓について尋ねると、とても親切に教えてくれた。感謝して、福應寺さんまで戻りここでもお参りし、福應寺さんの墓地によくある墓石店の名前の入ったベンチで休憩して、来た道を戻った。果たしてその道を教えてくれた女性の言うとおり、住宅と住宅の間の小道を入ってすぐ、遍昭僧正の御墓に辿り着いた。確かに住宅街の中にあるが、考えてみれば住宅街はこの御墓のはるか後に造られたもので、迷って困ったと言っても誰にも罪はない。こちらは、最初、京都市営地下鉄御陵駅から徒歩で行こうと思ったが、相当な時間が掛かると考え、NAVITIME、駅探などのアプリで調べて、自宅付近の“外環三条”バス停から京阪バスに乗ったことは大正解だった。遍昭さんのところから藤黒稲荷、再び“北花山”のバス停に戻り、バスを待っていた初老の女性に今度は“元慶寺”の場所を尋ねた。この方もとても親切に教えてくれて、お寺は迷わず到着することができた。以下に、遍昭(遍照)僧正の基本データを記す。参考は Wikipedia の遍昭、良岑安世(遍昭の父)、百済永継クダラナガツグ(安世の母、遍昭の祖母、元藤原内麻呂妻、のち第50代桓武天皇女御)など。すべて敬称略。合掌 遍昭… 弘仁7~寛平2.01.19 (816~890.02.12)享年75 俗名・良岑宗貞ヨシミネノムネサダ 父・大納言良岑安世 最終官位・左近衛少将従五位上 (嘉祥3正月07従五位上となる) 出家前の職・装束司(嘉祥3(850)03.22、第54代仁明天皇崩御により、仁明天皇崩御は前日嘉祥3.03.21) 出家・嘉祥3.03月(恐らく装束司を辞してすぐ) 師・円仁、円珍 僧正位・仁和元(885) 師弟関係(和歌、推定)・第58代光孝天皇 説話の主人公として・『大和物語』『今昔物語集』『十訓抄』など 霊験あらたかな僧として・『今昔物語』『続本朝往生伝』 俗名良峯宗貞として・歌舞伎舞踊『積恋雪関扉』(江戸期)に登場 出家前の和歌・ 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿...
Read more平安時代前期の天台僧。比叡山に登り、円珍や円仁のもとで修行の後、山科の地に住まい元慶寺の座主となりました。歌人として六歌仙、三十六歌仙の一人と称され惟喬親王や小野小町と...
Read more道から少し入った所にひっそりとあります。道にこっちみたいな表示もないので、通りすぎる可能性大です。 六歌仙の1人のお墓ですが、建石にその表示があるだけで特...
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