What a beautiful place!! I can’t believe it took me so long to go. The winds took most of the fall leaves off of the trees, but it was still beautiful. The ginkgo leaves created a beautiful yellow carpet around the tree, and there were a couple of maple trees that still had some beautiful red leaves left. I do recommend going early because it’s quite popular. Especially on the weekends. I arrived a little before 1000 on a Saturday and managed to grab one of the last spots available. When I left, about what hour later, there was a line for parking. I took these...
Read more大寧寺は、応永17年 (1410年)、石屋真梁禅師により開創された曹洞宗屈指の名刹であり、かつては、西の高野といわれるほどの隆盛を誇った。
室町時代、山口を中心に中国地方西部一帯から九州北部にかけて大きな力を持っていた山内氏は、天文20年 (1551年)、重臣の陶晴賢の謀反に遭い、第16代当主(大内家31代) 大内義隆は仙崎から海路九州へと逃れようとするも叶わず、大内氏の香華寺である大寧寺で重臣と共に自刃した (大寧寺の変)。
大寧寺本堂の裏山の頂上付近に、大内義隆・義尊父子の墓と、最後まで付き従った家臣の墓、この謀反の際に山口に滞在して命を落とした三条公頼の墓がある。当時の大寧寺の壮麗な伽藍はこの乱によって焼失するが、後にこの地を支配した毛利氏によって再興され、引き続き崇敬を受けている。
大内氏のはじまりは、百済国聖明王の第3王子・琳聖太子と伝えられ、推古天皇の19年 (611年)、周防国 (現在の防府市) に着岸し、聖徳太子より周防国大内県を賜り、多々良を氏としたと言われている。
「大内」と称しはじめたのは平安時代、16代盛房のころ、本拠としていた所が「大内」という地名だったことが由来とされている。 代々周防権介として働き、源平合戦では源氏に味方して戦況を有利に導いた。
長門・周防国の守護に任じられた24代大内弘世は、延文5年 (1360年) 頃、 政庁を山口に移し、京に模した街づくりをはじめたと言われている。
将軍 足利義詮に会うため京に上った大内弘世は、京の高い文化や情緒に感銘を受け、山口の一の坂川を京の鴨川にみたて、以後約200年間、大内家歴代当主も弘世に倣った街づくりを行ない、山口に大内文化が根付いて、「西の京」と呼ばれる文化都市となった。
大内弘世は、公家たちを山口に迎えて厚遇し、京都の学問芸能を移植した。また、朝鮮と明の高級文物を輸入し、天文20年 (1551年) にはフランシスコ・ザビエルの一行に宣教の自由を与えた。
大内義隆の代になって、その文事と奢侈は、重臣の陶晴賢ら武断派の家臣団と、領民一般の反感を買って謀反に遭うことになった。
陶晴賢は大内家の実質的なトップとして実権を握るようになるが、毛利氏と対立することになり、天文24年 (1555年) 、厳島の戦いで毛利氏に敗れて自刃し、大内家中は統率がとれずに内側から崩壊した。そして最終的には、毛利氏の手により、弘治3年 (1557年)、大内家は滅亡した。大寧寺の変から6年ほど後のことである。
昭和36年...
Read moreYou can see beautiful autumn leaves in various places within the spacious grounds, including in front of the main hall and along the Kiya River, so it might be fun to walk around and find your favorite spot. There are also plans for the area to be lit up during the autumn foliage season
Best time to see
Mid-November to...
Read more