HTML SitemapExplore

Katayama Shrine — Local services in Nagoya

Name
Katayama Shrine
Description
Nearby attractions
Amagasaka Park
3 Chome-26 Shirakabe, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0011, Japan
Kyukoku-ji Temple
3 Chome-2-27 Osugi, Kita Ward, Nagoya, Aichi 462-0837, Japan
Cultural Path Futaba Museum
3 Chome-23 Shumokucho, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0014, Japan
Nagoya Ceramics Exhibition Hall
1 Chome-10-3 Tokugawa, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0025, Japan
Cultural Path Hyakka Hyakuso
4 Chome-91 Shirakabe, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0011, Japan
Cultural Path Shumokukan
2 Chome-18 Shumokucho, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0014, Japan
Bunkanomichi Hori Museum
4 Chome-4-2 Chikaramachi, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0018, Japan
Former Tetsujiro Haruta Residence
3 Chome-6-2 Chikaramachi, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0018, Japan
Nearby restaurants
THE LAB NAGOYA
1 Chome-19-10 Osugi, Kita Ward, Nagoya, Aichi 462-0837, Japan
Rokushiki Coffee
2 Chome-4-10 Yoshino, Kita Ward, Nagoya, Aichi 462-0824, Japan
Sanjinmukashiro
3 Chome-26-23 Shirakabe, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0011, Japan
Cafe De Lyon Palette
1 Chome-1901 Osugi, Kita Ward, Nagoya, Aichi 462-0837, Japan
Tsubame Bread & Milk
Japan, 〒462-0837 Aichi, Nagoya, Kita Ward, Osugi, 1 Chome−18−21 SAKUMACHI商店街
Sumiyaki Unafuji Shirakabe Bettei
1 Chome-10-21 Yoshino, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0027, Japan
白壁Hanaco
Japan, 〒461-0011 Aichi, Nagoya, Higashi Ward, Shirakabe, 3 Chome−24−58 日興コーポラス
Amagasaka Salon
Japan, 〒462-0835 Aichi, Nagoya, Kita Ward, Sugimura, 1 Chome−4−4 尼ヶ坂ビル 1F
Tetraconta
Japan, 〒461-0011 Aichi, Nagoya, Higashi Ward, Shirakabe, 3 Chome−24−58 日興コーポラス 202
創作ダイニング真
1 Chome-5-13 Yoshino, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0027, Japan
Nearby local services
Fuko-ji Temple
3 Chome-12-8 Osugi, Kita Ward, Nagoya, Aichi 462-0837, Japan
Akatsukashinmeisha
2 Chome-1 Tokugawa, Nagoya, Aichi 461-0025, Japan
メゾン・ド・マルシェ 名古屋
2 Chome-16-6 Tokugawa, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0025, Japan
Katayama Hachiman Shrine
2 Chome-13-26 Tokugawa, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0025, Japan
Zenryu-ji Temple
36 Iidamachi, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0013, Japan
Yonenji
3 Chome-3-13 Izumi, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0001, Japan
Nearby hotels
HANA hotels
2 Chome-1-8 Ozone, Kita Ward, Nagoya, Aichi 462-0825, Japan
Related posts
Keywords
Katayama Shrine tourism.Katayama Shrine hotels.Katayama Shrine bed and breakfast. flights to Katayama Shrine.Katayama Shrine attractions.Katayama Shrine restaurants.Katayama Shrine local services.Katayama Shrine travel.Katayama Shrine travel guide.Katayama Shrine travel blog.Katayama Shrine pictures.Katayama Shrine photos.Katayama Shrine travel tips.Katayama Shrine maps.Katayama Shrine things to do.
Katayama Shrine things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Katayama Shrine
JapanAichi PrefectureNagoyaKatayama Shrine

Basic Info

Katayama Shrine

2 Chome-4-28 Yoshino, Higashi Ward, Nagoya, Aichi 461-0027, Japan
4.3(41)
Save
spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Scenic
Family friendly
Accessibility
attractions: Amagasaka Park, Kyukoku-ji Temple, Cultural Path Futaba Museum, Nagoya Ceramics Exhibition Hall, Cultural Path Hyakka Hyakuso, Cultural Path Shumokukan, Bunkanomichi Hori Museum, Former Tetsujiro Haruta Residence, restaurants: THE LAB NAGOYA, Rokushiki Coffee, Sanjinmukashiro, Cafe De Lyon Palette, Tsubame Bread & Milk, Sumiyaki Unafuji Shirakabe Bettei, 白壁Hanaco, Amagasaka Salon, Tetraconta, 創作ダイニング真, local businesses: Fuko-ji Temple, Akatsukashinmeisha, メゾン・ド・マルシェ 名古屋, Katayama Hachiman Shrine, Zenryu-ji Temple, Yonenji
logoLearn more insights from Wanderboat AI.
Phone
+81 52-931-0520

Plan your stay

hotel
Pet-friendly Hotels in Nagoya
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Affordable Hotels in Nagoya
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Trending Stays Worth the Hype in Nagoya
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Reviews

Live events

Make nerikiri with a Japanese confectioner
Make nerikiri with a Japanese confectioner
Tue, Jan 27 • 10:00 AM
452-0816, Aichi, Nagoya, Japan
View details
Special Japanese food experience in Nagoya
Special Japanese food experience in Nagoya
Mon, Jan 26 • 11:15 AM
454-0877, Aichi, Nagoya, Japan
View details
Learn to cook Grandma traditional food from Nagoya
Learn to cook Grandma traditional food from Nagoya
Fri, Jan 30 • 10:30 AM
466-0046, Aichi, Nagoya, Japan
View details

Nearby attractions of Katayama Shrine

Amagasaka Park

Kyukoku-ji Temple

Cultural Path Futaba Museum

Nagoya Ceramics Exhibition Hall

Cultural Path Hyakka Hyakuso

Cultural Path Shumokukan

Bunkanomichi Hori Museum

Former Tetsujiro Haruta Residence

Amagasaka Park

Amagasaka Park

3.7

(22)

Open until 12:00 AM
Click for details
Kyukoku-ji Temple

Kyukoku-ji Temple

3.9

(93)

Open 24 hours
Click for details
Cultural Path Futaba Museum

Cultural Path Futaba Museum

4.2

(371)

Closed
Click for details
Nagoya Ceramics Exhibition Hall

Nagoya Ceramics Exhibition Hall

4.2

(57)

Closed
Click for details

Nearby restaurants of Katayama Shrine

THE LAB NAGOYA

Rokushiki Coffee

Sanjinmukashiro

Cafe De Lyon Palette

Tsubame Bread & Milk

Sumiyaki Unafuji Shirakabe Bettei

白壁Hanaco

Amagasaka Salon

Tetraconta

創作ダイニング真

THE LAB NAGOYA

THE LAB NAGOYA

4.8

(525)

Closed
Click for details
Rokushiki Coffee

Rokushiki Coffee

4.5

(58)

Closed
Click for details
Sanjinmukashiro

Sanjinmukashiro

4.3

(45)

Open until 12:00 AM
Click for details
Cafe De Lyon Palette

Cafe De Lyon Palette

3.8

(103)

Closed
Click for details

Nearby local services of Katayama Shrine

Fuko-ji Temple

Akatsukashinmeisha

メゾン・ド・マルシェ 名古屋

Katayama Hachiman Shrine

Zenryu-ji Temple

Yonenji

Fuko-ji Temple

Fuko-ji Temple

4.1

(21)

Click for details
Akatsukashinmeisha

Akatsukashinmeisha

4.2

(46)

Click for details
メゾン・ド・マルシェ 名古屋

メゾン・ド・マルシェ 名古屋

4.2

(10)

Click for details
Katayama Hachiman Shrine

Katayama Hachiman Shrine

4.0

(79)

Click for details
Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
Wanderboat LogoWanderboat

Your everyday Al companion for getaway ideas

CompanyAbout Us
InformationAI Trip PlannerSitemap
SocialXInstagramTiktokLinkedin
LegalTerms of ServicePrivacy Policy

Get the app

© 2025 Wanderboat. All rights reserved.

Posts

フルフラットフルフラット
片山神社は名古屋市東区にある神社で、延喜式神名帳にある「山田郡 小一座 片山神社」に比定されている神社だ。以前はすぐ近くの片山八幡と共に式内社・片山神社の論社だったが、いまは何故か片山神社の方が式内社と称している。 祭神は蔵王権現(ザオウゴンゲン)、安閑天皇(アンカンテンノウ)、国狭槌命(クニサツチ)。 安閑天皇は27代天皇で、尾張出身の尾張目子媛と26代天皇・継体天皇の長子だ。次代の28代宣化天皇は弟にあたる。 継体天皇は元々は皇位を継ぐ立場になく、地方の領主のような立場だったが、先代の武烈天皇に皇太子がおらず、他の親族も他界していたため、遠縁の継体天皇が即位した。しかし、即位すると正妃だった尾張目子媛は正妃から降ろされて武烈天皇の姉を正妃とし、宣化天皇には子供がいたにも関わらず、以後、皇位は武烈天皇の姉との間にできた欽明天皇とその子が継承している。 この時、朝廷と尾張目子媛(尾張氏)の間に跡目争いがあったのは明白であろう。 妄想すれば、継体天皇も宣化天皇も天寿を全うして亡くなったのではないだろう。そんな悲運の孫を悲しんで尾張氏が安閑天皇を祭る社を作ったとしてもおかしくないが、それなら弟の宣化天皇も祭るはずであり、この社の他、安閑天皇を祭る社がないことから、安閑天皇を祭っていたとは思えない。 一般的に安閑天皇は神仏習合の際に蔵王権現と同一視されていたため、明治以降に神仏分離されると、蔵王権現を祀っていた蔵王社は安閑天皇を祭神としている。 従って、蔵王権現を祀っていた社は安閑天皇を祭神に変えている可能性が高いため、恐らく片山神社も当初は蔵王権現を祭り、明治以降に安閑天皇が加えられたのであろう。 なお、安閑天皇を蔵王権現と同一視したというのも蔵王権現の正式名称・金剛蔵王権現の「金」と安閑天皇の諡号である「広国押武金日天皇」の「金」が同じだからというたわいもないものだ。 もう一柱の祭神・国狭槌命(クニサツチ)の方はもっと複雑で謎だ。 尾張志(1844年)では片山神社の祭神をクニサツチとしており、蔵王権現とはしていない。「尾張国式社考」(江戸末期)でも、 「此社、国狭土神を祀る由、神主・森盛之言り、いかにあらむ」 とあり、神主がこの社の祭神は国狭土神だと言っているとしている。 国狭槌命(クニサツチ)は「日本書紀」では天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第二の神となっており、「古事記」では山の神・大山津見神(オオヤマツミ)と野の神・野椎神(ノヅチ)から生まれた神の一人となっており、扱いがかなり違う。 クニサツチを単独で祀る神社はほとんどなく、たいては神代七代の7柱の一つか、山を祀る神の配神とされている。 蔵王社と呼ばれて国狭槌命(クニサツチ)を祀る可能性もないわけではない。 御岳信仰の御嶽三座神の一座、八海山大頭羅神王が神仏分離で神社に祭られる時、祭神として国狭槌命(クニサツチ)を祀ったという。 御岳信仰も当初は蔵王権現を祭っていたというがら、当初は「御嶽山蔵王権現」が祀られ、祭神は御嶽三座神が祀られていたが、いつの間にか「蔵王権現」となり、祭神も蔵王権現となったが、三座の一座、クニサツチだけがなぜか残ったとなれば、蔵王社でありながらクニサツチが祀られていることになる。 社伝では創祀を709年とし、一説では684年に役小角(えんののづぬ)が創建したとも伝わっており、「愛知県神社名鑑」でも同じことが書かれている。 役小角は686年に岡崎の瀧山寺の前身である吉祥寺を開基したと伝わっており、その後にこの地に来て蔵王権現を祀ったということだろうが、岡崎の吉祥寺では薬師如来を祀っている。 岡崎で薬師如来を祀る吉祥寺を建て、名古屋に来て蔵王権現を祀る蔵王社を建てたというのはおかしな話だ。 片山神社は江戸時代以前からから式内社・片山神社と称してしいたようだが、公的には認められていたとは言いがたい。 天野信景による尾張の神社研究書である「本国神名帳集説」(1707年)では「東杉村の蔵王権現が片山神社」と記しているが、天野の死後に完成した「張州府志」(1752年)では、 「片山神社 蔵王祠 式内社というが伝承なく不明」 とされている。つまり、東杉村にある蔵王権現が片山神社だという証拠がなかったのである。 郷土史家の津田正生が尾張藩に献上した「尾張国地名考」(1816年)では、瀧川弘美の説として、 「(式内社の片山神社は)大曽根八幡(いまの片山八幡)の社が是なり、社司は慶徳氏といい、この宮地は往昔の山田郡片山天神(祭神は大伴武日命)で元は大曽根村の産土神である。(中略)杉村の蔵王社が片山神社と名乗って式内社と言い始めたのは情けないことだ」 として片山神社は今の片山八幡だと否定している。 瀧川弘美は尾張志編纂関係者8人のひとり、瀧川又左衛門かその縁者だと思われるが、調べても分からなかった。 さらに藩命によって編纂された「張州府志」の再調査結果である「尾張志」(1844年)でも、 「国狭槌尊を祭る。式内・片山神社といわれているが、何の証拠もなく府志にも伝不明。この社は社家・森氏の遠祖が吉野にある蔵王権現社に参拝して勧請したとある人の家の記録があるとある人が言っていたという話が本当なら式内であるわけがない。既に社があったのを後に吉野から勧請して蔵王権現に変えたのではないか。しかし、地形が片山だからというのであれば片山八幡も同じ地形であるので、それで式内社とは言いがたい」 として、式内の片山神社とは言いがたく、さらに蔵王権現を祭っているのは、宮司の森氏が吉野の蔵王権現を勧請してきたのではないかとしている。 このように公的な史料では東杉村の蔵王権現=片山神社というのは否定されていたが、一般ではやはり東杉村の蔵王権現は片山神社という認識だったようで、尾張藩士・高力猿猴庵(種信)が趣味で作った「尾張名陽図会」(1818年~1828年)では、東杉村の蔵王権現を片山神社として紹介している。 尾張藩士で学者の岡田文園と枇杷島橋の橋守役の野口梅居が販売目的で作った「尾張名所図会」(1844年)でも東杉村の蔵王権現は片山神社だと紹介している。 そして明治になって尾張藩の公的な記録がなくなると、東杉村の蔵王権現が片山神社だという認識が一気に広まる。 式内社を始めとする古社を考証した「神社覈録」(1870年)では 「片山は加多夜萬と訓べし。祭神詳ならず。山田庄東杉村に在す。今蔵王権現と称す」 とし、「延喜式神名帳」の注釈書である「特選神名牒」(1876年)では、 「天文宝永の棟札が共に片山神社となっているので當社が片山神社である証である」 としている。天文(1532年~1555年)は戦国時代中期、宝永(1704年~1711年)は江戸時代中期だ。 さらに、「名古屋市史」(1915年)には、 「文和の棟札には片山神社、応永、文亀、天文、天正等の棟札には片山蔵王権現」 とある。文和(1352年~1356年)は南北朝時代中期、応永(1394年~1428年)は室町時代初期、文亀(1501年~1503年)は戦国時代中期、天正(1573年~1593年)は戦国時代後期だ。 さらに「名古屋神社誌」(不詳明治期か?)では、棟札は「天文三甲午歳十一月五日」の一枚のみで、他には陶製高麗狗(高九寸文和正月片山神社」の銘有り」)とある。 これだけの史料で東杉村の蔵王権現が片山神社と記しているが、逆にこれで矛盾が浮き上がった。 「特選神名牒」「名古屋市史」「名古屋神社誌」で片山神社の根拠としている棟札は各書でバラバラで、共通している天文の棟札も、「特選神名牒」では「片山神社」となっているのに対し、「名古屋市史」では「片山蔵王権現」となっている。(名古屋神社誌では神社名なし)。 決定的なのは、「名古屋寺社記録集」(成立年不明)だ。これは大正時代に神社の棟札を書き記した資料だが、そこには片山神社の棟札として、天文、宝永、宝暦、延享、安永、弘化、天久、明治の8元号10の棟札が記してあり、それら全てが「片山神社」となっている。 これだけ大量の棟札を、当時現地調査していた尾張藩に当代の宮司が言わないはずがない。明治期になっていきなりこれらの棟札が発見されたのは不自然過ぎるし、全ての社名が片山神社というのも不自然過ぎる。 妄想すれば、これらの棟札は全てとは言わないが、ほとんどが偽物であろう。 棟札の根拠がなくなると、尾張志などで記載のあるように、片山神社は東杉村の蔵王権現か、大曽根村の大曽根八幡なのか区別するのは難しい。 妄想すれば、片山神社は吉野の蔵王権現を勧請して創建され、いつの頃からか蔵王権現が国狭槌命(クニサツチ)に変わり、蔵王権現と国狭槌命(クニサツチ)が混同され両方祀られるようになったのではないか。
寺尾典子寺尾典子
愛知県で最初にまつられた神仏習合社。 御手水舎は鳥避け(小鳥は通れる間隔)の竹が吊るされて風流。竹灯籠を楽しめる日もある。夏の大祓、秋の例大祭、初詣の写真を投稿。 2022年未明より、神殿の手前、廃木上に願掛け桶が設けられた。 【初詣】御神札等の授与2022年2日〜5日8:00-17:00/初祈祷ご予約お問い合わせ/不在時は右インターホン押。 【焼納祭(左義長)】2022年1月16日9:00-12:00。古神札、門松、竹、注連縄等を焼納する神事。この炎にあたることにより、その年を健康で無事に過ごすことができる。 【厄除け祈願祭】1月16日10:00-15:00(毎時00分30分開始・人数により変更有り)大厄・厄年の方には厄除特別祈祷。 【夏の大祓】2021年は6月30日17:00から7月15日まで。 【茅野くぐり】2022年6月30日午後5時〜8時。赤丸神事。 半輪は、ヤマタノオロチ神話で知られる素尊(スサノオノミコ ト) がその昔、貧しい生活の中、 善行を施した蘇民将来 (そみんしょ うらい)という男に「世に疫病流行すれば、蘇民将来の子孫といい、 茅の輪をつけておれば免れさせる」と約束された説話に由来し 「茅輪くぐり」をして身体健全疫病退散を祈願する神事です。
Yasuhiro MatsuoYasuhiro Matsuo
神名帳の尾張國山田郡の項に記載のある式内社。 名古屋の中心地、栄から名鉄瀬戸線に乗って、3つ目の尼ケ坂駅で降りてすぐの高台に鎮座。 参拝した日は8月の真夏の真昼時、気温は35度を超える中、参拝開始。 名古屋市教育委員会の案内板によると、 社伝によれば和銅二年(709)の創建という古社。山田郡十九座の筆頭。 御祭神は安閑天皇と国狭槌尊の2柱。 安閑天皇の御生母が尾張連の祖の媛であったところからこの地に祀られた、とのこと。 安閑天皇は継体天皇の皇子で、母は尾張連草香(断夫山古墳の被葬者か?)の子である。 この神社のすぐ近くに尼ケ坂公園があるが、この公園の案内板に次のように記載がある。 出会いの杜 尼ケ坂公園 この付近は、名古屋城から見て北東の位置にあたり、古くは名古屋城の鬼門を守る“鎮守”とされていました。今もなお、片山神社をはじめとして、長久寺、普光寺、久国寺などの神社仏閣が数多く点在しています。 その中で、片山神社はその昔、“片山蔵王権現”と言い、境内一帯の緑は“蔵王の杜”と呼ばれ、名古屋を代表する杜の一つとして有名でした。
See more posts
See more posts
hotel
Find your stay

Pet-friendly Hotels in Nagoya

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

片山神社は名古屋市東区にある神社で、延喜式神名帳にある「山田郡 小一座 片山神社」に比定されている神社だ。以前はすぐ近くの片山八幡と共に式内社・片山神社の論社だったが、いまは何故か片山神社の方が式内社と称している。 祭神は蔵王権現(ザオウゴンゲン)、安閑天皇(アンカンテンノウ)、国狭槌命(クニサツチ)。 安閑天皇は27代天皇で、尾張出身の尾張目子媛と26代天皇・継体天皇の長子だ。次代の28代宣化天皇は弟にあたる。 継体天皇は元々は皇位を継ぐ立場になく、地方の領主のような立場だったが、先代の武烈天皇に皇太子がおらず、他の親族も他界していたため、遠縁の継体天皇が即位した。しかし、即位すると正妃だった尾張目子媛は正妃から降ろされて武烈天皇の姉を正妃とし、宣化天皇には子供がいたにも関わらず、以後、皇位は武烈天皇の姉との間にできた欽明天皇とその子が継承している。 この時、朝廷と尾張目子媛(尾張氏)の間に跡目争いがあったのは明白であろう。 妄想すれば、継体天皇も宣化天皇も天寿を全うして亡くなったのではないだろう。そんな悲運の孫を悲しんで尾張氏が安閑天皇を祭る社を作ったとしてもおかしくないが、それなら弟の宣化天皇も祭るはずであり、この社の他、安閑天皇を祭る社がないことから、安閑天皇を祭っていたとは思えない。 一般的に安閑天皇は神仏習合の際に蔵王権現と同一視されていたため、明治以降に神仏分離されると、蔵王権現を祀っていた蔵王社は安閑天皇を祭神としている。 従って、蔵王権現を祀っていた社は安閑天皇を祭神に変えている可能性が高いため、恐らく片山神社も当初は蔵王権現を祭り、明治以降に安閑天皇が加えられたのであろう。 なお、安閑天皇を蔵王権現と同一視したというのも蔵王権現の正式名称・金剛蔵王権現の「金」と安閑天皇の諡号である「広国押武金日天皇」の「金」が同じだからというたわいもないものだ。 もう一柱の祭神・国狭槌命(クニサツチ)の方はもっと複雑で謎だ。 尾張志(1844年)では片山神社の祭神をクニサツチとしており、蔵王権現とはしていない。「尾張国式社考」(江戸末期)でも、 「此社、国狭土神を祀る由、神主・森盛之言り、いかにあらむ」 とあり、神主がこの社の祭神は国狭土神だと言っているとしている。 国狭槌命(クニサツチ)は「日本書紀」では天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第二の神となっており、「古事記」では山の神・大山津見神(オオヤマツミ)と野の神・野椎神(ノヅチ)から生まれた神の一人となっており、扱いがかなり違う。 クニサツチを単独で祀る神社はほとんどなく、たいては神代七代の7柱の一つか、山を祀る神の配神とされている。 蔵王社と呼ばれて国狭槌命(クニサツチ)を祀る可能性もないわけではない。 御岳信仰の御嶽三座神の一座、八海山大頭羅神王が神仏分離で神社に祭られる時、祭神として国狭槌命(クニサツチ)を祀ったという。 御岳信仰も当初は蔵王権現を祭っていたというがら、当初は「御嶽山蔵王権現」が祀られ、祭神は御嶽三座神が祀られていたが、いつの間にか「蔵王権現」となり、祭神も蔵王権現となったが、三座の一座、クニサツチだけがなぜか残ったとなれば、蔵王社でありながらクニサツチが祀られていることになる。 社伝では創祀を709年とし、一説では684年に役小角(えんののづぬ)が創建したとも伝わっており、「愛知県神社名鑑」でも同じことが書かれている。 役小角は686年に岡崎の瀧山寺の前身である吉祥寺を開基したと伝わっており、その後にこの地に来て蔵王権現を祀ったということだろうが、岡崎の吉祥寺では薬師如来を祀っている。 岡崎で薬師如来を祀る吉祥寺を建て、名古屋に来て蔵王権現を祀る蔵王社を建てたというのはおかしな話だ。 片山神社は江戸時代以前からから式内社・片山神社と称してしいたようだが、公的には認められていたとは言いがたい。 天野信景による尾張の神社研究書である「本国神名帳集説」(1707年)では「東杉村の蔵王権現が片山神社」と記しているが、天野の死後に完成した「張州府志」(1752年)では、 「片山神社 蔵王祠 式内社というが伝承なく不明」 とされている。つまり、東杉村にある蔵王権現が片山神社だという証拠がなかったのである。 郷土史家の津田正生が尾張藩に献上した「尾張国地名考」(1816年)では、瀧川弘美の説として、 「(式内社の片山神社は)大曽根八幡(いまの片山八幡)の社が是なり、社司は慶徳氏といい、この宮地は往昔の山田郡片山天神(祭神は大伴武日命)で元は大曽根村の産土神である。(中略)杉村の蔵王社が片山神社と名乗って式内社と言い始めたのは情けないことだ」 として片山神社は今の片山八幡だと否定している。 瀧川弘美は尾張志編纂関係者8人のひとり、瀧川又左衛門かその縁者だと思われるが、調べても分からなかった。 さらに藩命によって編纂された「張州府志」の再調査結果である「尾張志」(1844年)でも、 「国狭槌尊を祭る。式内・片山神社といわれているが、何の証拠もなく府志にも伝不明。この社は社家・森氏の遠祖が吉野にある蔵王権現社に参拝して勧請したとある人の家の記録があるとある人が言っていたという話が本当なら式内であるわけがない。既に社があったのを後に吉野から勧請して蔵王権現に変えたのではないか。しかし、地形が片山だからというのであれば片山八幡も同じ地形であるので、それで式内社とは言いがたい」 として、式内の片山神社とは言いがたく、さらに蔵王権現を祭っているのは、宮司の森氏が吉野の蔵王権現を勧請してきたのではないかとしている。 このように公的な史料では東杉村の蔵王権現=片山神社というのは否定されていたが、一般ではやはり東杉村の蔵王権現は片山神社という認識だったようで、尾張藩士・高力猿猴庵(種信)が趣味で作った「尾張名陽図会」(1818年~1828年)では、東杉村の蔵王権現を片山神社として紹介している。 尾張藩士で学者の岡田文園と枇杷島橋の橋守役の野口梅居が販売目的で作った「尾張名所図会」(1844年)でも東杉村の蔵王権現は片山神社だと紹介している。 そして明治になって尾張藩の公的な記録がなくなると、東杉村の蔵王権現が片山神社だという認識が一気に広まる。 式内社を始めとする古社を考証した「神社覈録」(1870年)では 「片山は加多夜萬と訓べし。祭神詳ならず。山田庄東杉村に在す。今蔵王権現と称す」 とし、「延喜式神名帳」の注釈書である「特選神名牒」(1876年)では、 「天文宝永の棟札が共に片山神社となっているので當社が片山神社である証である」 としている。天文(1532年~1555年)は戦国時代中期、宝永(1704年~1711年)は江戸時代中期だ。 さらに、「名古屋市史」(1915年)には、 「文和の棟札には片山神社、応永、文亀、天文、天正等の棟札には片山蔵王権現」 とある。文和(1352年~1356年)は南北朝時代中期、応永(1394年~1428年)は室町時代初期、文亀(1501年~1503年)は戦国時代中期、天正(1573年~1593年)は戦国時代後期だ。 さらに「名古屋神社誌」(不詳明治期か?)では、棟札は「天文三甲午歳十一月五日」の一枚のみで、他には陶製高麗狗(高九寸文和正月片山神社」の銘有り」)とある。 これだけの史料で東杉村の蔵王権現が片山神社と記しているが、逆にこれで矛盾が浮き上がった。 「特選神名牒」「名古屋市史」「名古屋神社誌」で片山神社の根拠としている棟札は各書でバラバラで、共通している天文の棟札も、「特選神名牒」では「片山神社」となっているのに対し、「名古屋市史」では「片山蔵王権現」となっている。(名古屋神社誌では神社名なし)。 決定的なのは、「名古屋寺社記録集」(成立年不明)だ。これは大正時代に神社の棟札を書き記した資料だが、そこには片山神社の棟札として、天文、宝永、宝暦、延享、安永、弘化、天久、明治の8元号10の棟札が記してあり、それら全てが「片山神社」となっている。 これだけ大量の棟札を、当時現地調査していた尾張藩に当代の宮司が言わないはずがない。明治期になっていきなりこれらの棟札が発見されたのは不自然過ぎるし、全ての社名が片山神社というのも不自然過ぎる。 妄想すれば、これらの棟札は全てとは言わないが、ほとんどが偽物であろう。 棟札の根拠がなくなると、尾張志などで記載のあるように、片山神社は東杉村の蔵王権現か、大曽根村の大曽根八幡なのか区別するのは難しい。 妄想すれば、片山神社は吉野の蔵王権現を勧請して創建され、いつの頃からか蔵王権現が国狭槌命(クニサツチ)に変わり、蔵王権現と国狭槌命(クニサツチ)が混同され両方祀られるようになったのではないか。
フルフラット

フルフラット

hotel
Find your stay

Affordable Hotels in Nagoya

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
愛知県で最初にまつられた神仏習合社。 御手水舎は鳥避け(小鳥は通れる間隔)の竹が吊るされて風流。竹灯籠を楽しめる日もある。夏の大祓、秋の例大祭、初詣の写真を投稿。 2022年未明より、神殿の手前、廃木上に願掛け桶が設けられた。 【初詣】御神札等の授与2022年2日〜5日8:00-17:00/初祈祷ご予約お問い合わせ/不在時は右インターホン押。 【焼納祭(左義長)】2022年1月16日9:00-12:00。古神札、門松、竹、注連縄等を焼納する神事。この炎にあたることにより、その年を健康で無事に過ごすことができる。 【厄除け祈願祭】1月16日10:00-15:00(毎時00分30分開始・人数により変更有り)大厄・厄年の方には厄除特別祈祷。 【夏の大祓】2021年は6月30日17:00から7月15日まで。 【茅野くぐり】2022年6月30日午後5時〜8時。赤丸神事。 半輪は、ヤマタノオロチ神話で知られる素尊(スサノオノミコ ト) がその昔、貧しい生活の中、 善行を施した蘇民将来 (そみんしょ うらい)という男に「世に疫病流行すれば、蘇民将来の子孫といい、 茅の輪をつけておれば免れさせる」と約束された説話に由来し 「茅輪くぐり」をして身体健全疫病退散を祈願する神事です。
寺尾典子

寺尾典子

hotel
Find your stay

The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

hotel
Find your stay

Trending Stays Worth the Hype in Nagoya

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

神名帳の尾張國山田郡の項に記載のある式内社。 名古屋の中心地、栄から名鉄瀬戸線に乗って、3つ目の尼ケ坂駅で降りてすぐの高台に鎮座。 参拝した日は8月の真夏の真昼時、気温は35度を超える中、参拝開始。 名古屋市教育委員会の案内板によると、 社伝によれば和銅二年(709)の創建という古社。山田郡十九座の筆頭。 御祭神は安閑天皇と国狭槌尊の2柱。 安閑天皇の御生母が尾張連の祖の媛であったところからこの地に祀られた、とのこと。 安閑天皇は継体天皇の皇子で、母は尾張連草香(断夫山古墳の被葬者か?)の子である。 この神社のすぐ近くに尼ケ坂公園があるが、この公園の案内板に次のように記載がある。 出会いの杜 尼ケ坂公園 この付近は、名古屋城から見て北東の位置にあたり、古くは名古屋城の鬼門を守る“鎮守”とされていました。今もなお、片山神社をはじめとして、長久寺、普光寺、久国寺などの神社仏閣が数多く点在しています。 その中で、片山神社はその昔、“片山蔵王権現”と言い、境内一帯の緑は“蔵王の杜”と呼ばれ、名古屋を代表する杜の一つとして有名でした。
Yasuhiro Matsuo

Yasuhiro Matsuo

See more posts
See more posts

Reviews of Katayama Shrine

4.3
(41)
avatar
5.0
1y

片山神社は名古屋市東区にある神社で、延喜式神名帳にある「山田郡 小一座 片山神社」に比定されている神社だ。以前はすぐ近くの片山八幡と共に式内社・片山神社の論社だったが、いまは何故か片山神社の方が式内社と称している。

祭神は蔵王権現(ザオウゴンゲン)、安閑天皇(アンカンテンノウ)、国狭槌命(クニサツチ)。

安閑天皇は27代天皇で、尾張出身の尾張目子媛と26代天皇・継体天皇の長子だ。次代の28代宣化天皇は弟にあたる。 継体天皇は元々は皇位を継ぐ立場になく、地方の領主のような立場だったが、先代の武烈天皇に皇太子がおらず、他の親族も他界していたため、遠縁の継体天皇が即位した。しかし、即位すると正妃だった尾張目子媛は正妃から降ろされて武烈天皇の姉を正妃とし、宣化天皇には子供がいたにも関わらず、以後、皇位は武烈天皇の姉との間にできた欽明天皇とその子が継承している。 この時、朝廷と尾張目子媛(尾張氏)の間に跡目争いがあったのは明白であろう。 妄想すれば、継体天皇も宣化天皇も天寿を全うして亡くなったのではないだろう。そんな悲運の孫を悲しんで尾張氏が安閑天皇を祭る社を作ったとしてもおかしくないが、それなら弟の宣化天皇も祭るはずであり、この社の他、安閑天皇を祭る社がないことから、安閑天皇を祭っていたとは思えない。

一般的に安閑天皇は神仏習合の際に蔵王権現と同一視されていたため、明治以降に神仏分離されると、蔵王権現を祀っていた蔵王社は安閑天皇を祭神としている。 従って、蔵王権現を祀っていた社は安閑天皇を祭神に変えている可能性が高いため、恐らく片山神社も当初は蔵王権現を祭り、明治以降に安閑天皇が加えられたのであろう。

なお、安閑天皇を蔵王権現と同一視したというのも蔵王権現の正式名称・金剛蔵王権現の「金」と安閑天皇の諡号である「広国押武金日天皇」の「金」が同じだからというたわいもないものだ。

もう一柱の祭神・国狭槌命(クニサツチ)の方はもっと複雑で謎だ。 尾張志(1844年)では片山神社の祭神をクニサツチとしており、蔵王権現とはしていない。「尾張国式社考」(江戸末期)でも、

「此社、国狭土神を祀る由、神主・森盛之言り、いかにあらむ」

とあり、神主がこの社の祭神は国狭土神だと言っているとしている。

国狭槌命(クニサツチ)は「日本書紀」では天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第二の神となっており、「古事記」では山の神・大山津見神(オオヤマツミ)と野の神・野椎神(ノヅチ)から生まれた神の一人となっており、扱いがかなり違う。 クニサツチを単独で祀る神社はほとんどなく、たいては神代七代の7柱の一つか、山を祀る神の配神とされている。 蔵王社と呼ばれて国狭槌命(クニサツチ)を祀る可能性もないわけではない。 御岳信仰の御嶽三座神の一座、八海山大頭羅神王が神仏分離で神社に祭られる時、祭神として国狭槌命(クニサツチ)を祀ったという。 御岳信仰も当初は蔵王権現を祭っていたというがら、当初は「御嶽山蔵王権現」が祀られ、祭神は御嶽三座神が祀られていたが、いつの間にか「蔵王権現」となり、祭神も蔵王権現となったが、三座の一座、クニサツチだけがなぜか残ったとなれば、蔵王社でありながらクニサツチが祀られていることになる。

社伝では創祀を709年とし、一説では684年に役小角(えんののづぬ)が創建したとも伝わっており、「愛知県神社名鑑」でも同じことが書かれている。 役小角は686年に岡崎の瀧山寺の前身である吉祥寺を開基したと伝わっており、その後にこの地に来て蔵王権現を祀ったということだろうが、岡崎の吉祥寺では薬師如来を祀っている。 岡崎で薬師如来を祀る吉祥寺を建て、名古屋に来て蔵王権現を祀る蔵王社を建てたというのはおかしな話だ。

片山神社は江戸時代以前からから式内社・片山神社と称してしいたようだが、公的には認められていたとは言いがたい。 天野信景による尾張の神社研究書である「本国神名帳集説」(1707年)では「東杉村の蔵王権現が片山神社」と記しているが、天野の死後に完成した「張州府志」(1752年)では、

「片山神社 蔵王祠 式内社というが伝承なく不明」

とされている。つまり、東杉村にある蔵王権現が片山神社だという証拠がなかったのである。 郷土史家の津田正生が尾張藩に献上した「尾張国地名考」(1816年)では、瀧川弘美の説として、

「(式内社の片山神社は)大曽根八幡(いまの片山八幡)の社が是なり、社司は慶徳氏といい、この宮地は往昔の山田郡片山天神(祭神は大伴武日命)で元は大曽根村の産土神である。(中略)杉村の蔵王社が片山神社と名乗って式内社と言い始めたのは情けないことだ」

として片山神社は今の片山八幡だと否定している。 瀧川弘美は尾張志編纂関係者8人のひとり、瀧川又左衛門かその縁者だと思われるが、調べても分からなかった。 さらに藩命によって編纂された「張州府志」の再調査結果である「尾張志」(1844年)でも、

「国狭槌尊を祭る。式内・片山神社といわれているが、何の証拠もなく府志にも伝不明。この社は社家・森氏の遠祖が吉野にある蔵王権現社に参拝して勧請したとある人の家の記録があるとある人が言っていたという話が本当なら式内であるわけがない。既に社があったのを後に吉野から勧請して蔵王権現に変えたのではないか。しかし、地形が片山だからというのであれば片山八幡も同じ地形であるので、それで式内社とは言いがたい」

として、式内の片山神社とは言いがたく、さらに蔵王権現を祭っているのは、宮司の森氏が吉野の蔵王権現を勧請してきたのではないかとしている。

このように公的な史料では東杉村の蔵王権現=片山神社というのは否定されていたが、一般ではやはり東杉村の蔵王権現は片山神社という認識だったようで、尾張藩士・高力猿猴庵(種信)が趣味で作った「尾張名陽図会」(1818年~1828年)では、東杉村の蔵王権現を片山神社として紹介している。

尾張藩士で学者の岡田文園と枇杷島橋の橋守役の野口梅居が販売目的で作った「尾張名所図会」(1844年)でも東杉村の蔵王権現は片山神社だと紹介している。

そして明治になって尾張藩の公的な記録がなくなると、東杉村の蔵王権現が片山神社だという認識が一気に広まる。 式内社を始めとする古社を考証した「神社覈録」(1870年)では

「片山は加多夜萬と訓べし。祭神詳ならず。山田庄東杉村に在す。今蔵王権現と称す」

とし、「延喜式神名帳」の注釈書である「特選神名牒」(1876年)では、

「天文宝永の棟札が共に片山神社となっているので當社が片山神社である証である」

としている。天文(1532年~1555年)は戦国時代中期、宝永(1704年~1711年)は江戸時代中期だ。

さらに、「名古屋市史」(1915年)には、

「文和の棟札には片山神社、応永、文亀、天文、天正等の棟札には片山蔵王権現」

とある。文和(1352年~1356年)は南北朝時代中期、応永(1394年~1428年)は室町時代初期、文亀(1501年~1503年)は戦国時代中期、天正(1573年~1593年)は戦国時代後期だ。

さらに「名古屋神社誌」(不詳明治期か?)では、棟札は「天文三甲午歳十一月五日」の一枚のみで、他には陶製高麗狗(高九寸文和正月片山神社」の銘有り」)とある。

これだけの史料で東杉村の蔵王権現が片山神社と記しているが、逆にこれで矛盾が浮き上がった。 「特選神名牒」「名古屋市史」「名古屋神社誌」で片山神社の根拠としている棟札は各書でバラバラで、共通している天文の棟札も、「特選神名牒」では「片山神社」となっているのに対し、「名古屋市史」では「片山蔵王権現」となっている。(名古屋神社誌では神社名なし)。

決定的なのは、「名古屋寺社記録集」(成立年不明)だ。これは大正時代に神社の棟札を書き記した資料だが、そこには片山神社の棟札として、天文、宝永、宝暦、延享、安永、弘化、天久、明治の8元号10の棟札が記してあり、それら全てが「片山神社」となっている。

これだけ大量の棟札を、当時現地調査していた尾張藩に当代の宮司が言わないはずがない。明治期になっていきなりこれらの棟札が発見されたのは不自然過ぎるし、全ての社名が片山神社というのも不自然過ぎる。 妄想すれば、これらの棟札は全てとは言わないが、ほとんどが偽物であろう。 棟札の根拠がなくなると、尾張志などで記載のあるように、片山神社は東杉村の蔵王権現か、大曽根村の大曽根八幡なのか区別するのは難しい。

妄想すれば、片山神社は吉野の蔵王権現を勧請して創建され、いつの頃からか蔵王権現が国狭槌命(クニサツチ)に変わり、蔵王権現と国狭槌命(クニサツチ)が混同され両方祀られるよ...

   Read more
avatar
4.0
17w

片山神社(かたやまじんじゃ)。名古屋市東区芳野。

式内社(小)論社、旧郷社。 江戸時代は「片山天神社」「藏王権現」と称していた。

主祭神:藏王大権現 (配祀)安閑天皇...

   Read more
avatar
5.0
9y

Spacious and surrounded by thick trees, this inner-city shrine feels like a different world. Home to Nagoya's most famous ghost story of two lovers who could never be due to their difference in social class, this area is said to still have sightings of the lovers and...

   Read more
Page 1 of 7
Previous
Next