明治期に建てられた東蔵内で受付を済ませると、大きくて重そうな蔵の扉が開いて資料館に案内されます。そこではスタッフの方による展示品の詳細な解説をしてもらえます。その後屋敷内へ案内され、そこでも解説してもらえます。(土間や中庭、裏庭は立ち入りながら内部の見学ができますが上にはあがれません)
今回はお願いして奥の間の付書院と釘隠しだけ撮影させていただきました。
以下、HPよりです。
大塲家は、江戸時代歴代にわたり水戸藩の「大山守」を務めた家柄であり、時には庄屋や御留川の川守も兼帯していました。
この住宅は、水戸徳川家初代藩主徳川頼房が領内巡視のおり、宿舎兼水戸藩南部の藩政事務所として、寛永年間(1624~44年)に建てられたものとされ、武家邸造りで「御殿」ともよばれました。
建築様式は、主屋が茅葺寄棟造(かやぶきよせむねづく)りで、役宅部・居室部・相の間の三棟から成る規模の大きな住宅です。長屋門は、藩主が来邸の時と元旦以外は開けないことから、「あかずの門」と言われております。街道に面し、一段高く置かれた茅葺寄棟造りは風格があります。
映画「桜田門外ノ変」のロケ地としても使用されました。
■開館日:火・水・木・土曜日(年末年始休館)
■開館時間:午前10時~午後4時(入館は3時まで )
■入館料:小・中・高校生・・・200円(団体20名以上は150円)
一般・・・300円(団体20名以上は250円)
追記(2025年6月28日再訪) 1日のみ開館するというSNSの投稿を見て茨城県行方市の『行方大塲家歴史資料館』へ行ってきました。
2時間近くかけて行ったにしては展示内容がトホホな内容でがっかりでした。が、『大塲家住宅』は変わらずしっかり管理されていて何度行っても見応えがありました。
大塲家住宅は水戸藩と関係が非常に深く、大塲家は江戸時代を通じて水戸藩において重要な役割を担っていました。
水戸徳川家の初代藩主である徳川頼房が領内を巡視する際の宿泊所(本陣)として利用されました。また、水戸藩南部の藩政事務所(代官所)としても機能し、地域の行政の中心的な役割を担っていました。そのため、この住宅は「御殿」とも呼ばれ、その規模や造りから当時の格式の高さがうかがえます。
実際に、水戸光圀公も水戸藩領地であった玉造には何度も来られており、その都度大塲家に宿泊していたそうです。第9代藩主である徳川斉昭も天保5年(1834年)にこの大塲家住宅に宿泊した際に、「朝霧に造れる玉と見るまでに、つらぬきとむるのへのわかくさ」という歌を残しています。
大塲家は代々、水戸藩の「大山守」という役職を務めていました。これは、森林や山林の管理、さらには地域の治水、特に「玉里御留川(たまさとのおとめがわ)」と呼ばれる水戸藩が管理する重要な河川の川守も兼務するなど、地域の資源管理や治安維持に深く関わる重要な役職でした。また、水戸藩において郷士(ごうし)にも列せられていました。郷士とは、農村に居住しながらも武士としての身分を持つ者のことで、地域の名主や有力者として、藩と住民の間の橋渡し役を務めることが...
Read more中に入って右手に事務所兼資料室があり、そこで入場料を払います。大人300円、小中高200円。 休館日は月、金、日曜日、年末年始。
資料は撮影出来ませんが、ここからガイドの方がついて色々お話を聞かせてくれました。ここには徳川斉昭の書いた大きな水墨画があり、感動しました。 裏山の木々の落ち葉が多く掃除が大変だそうで、その落ち葉は竈で燃やし、茅葺き屋根を燻しているとか。 ガイドさん付きで300円では申し訳ないくらい充実した見学となりました。ありがとうございます! 歴史や古いものがお好きな方にオススメです。
大塲家は、代々水戸藩の「大山守」を勤めていて、徳川光圀や斉昭が泊まった事があり、長屋門は藩主が来邸の時と、元旦の数時間以外は開けないそうです。
近いうちに茅葺き屋根の葺替えが始まるようです。
大塲家住宅の裏山には玉造城跡が...
Read more茨城県内でも数少ない郷士(ごうし・在郷武士)屋敷です。水戸藩主として名高い光圀と斉昭や、斉昭の子息なども宿泊しています(玉造地区は水戸藩領だった)。 シンプルながらも開放的な間取りです。つまり風通しが良く、建物の維持にも役立っています。
明治期に建てられた東蔵は資料館になっており、スタッフによる展示品の解説をしてもらえます。また屋敷内も案内してくれます(上にはあがれません)。希望によっては、背後にある中世の玉造城跡も案内可能の事です(曜日の午前と午後毎にスタッフは違いますので、他の方...
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