武田八幡宮の本殿の左に細い山道があり、歩いて2~3分で行ける。途中「熊に注意」の看板があるが、規制地域には入らないから大丈夫である。 ここも端整で静寂な場所である。為朝神社は鎮西八郎源為朝を祀った神社で、元暦元年(1184)武田太郎信義が社殿を建立し、為朝の画像と大長刀を納め神霊を祀ったとされている。為朝は父為義の八男で、為義の長子は頼朝の父義朝である。為朝と信義はそれぞれ四代遡った頼義で血が繋がる。信義がなぜ晩年(1184年)に為朝神社を建立したのか、私にはよく分からないが、為朝は父為義と共に保元の乱(1156年)において崇徳上皇方に就き、後白河天皇方に就いた頼朝の父義朝等(平清盛など)と戦い敗れたのである。為朝神社を建立した1184年は、信義が駿河守を解任された年であり、また長男の忠頼が鎌倉で暗殺された年でもある。何か因縁がありそうである。 為朝神社本宮は覆堂(おおいどう)の中にあり、その右脇に力強くも可愛らしい...
Read more源為朝公を祀った神社です。 1185年に武田信義公(信玄公の15代前の先祖)が建立し、為朝公の画像と大長刀を納め祀ったそうです。
武田八幡宮の拝殿から細い道を通って2,3分ほどで到着します。無人の本当に小さな神社です。
源為朝公は源頼朝公の叔父にあたる武将で、保元の乱で活躍しました。 身長2mを越す大男で弓を得意とし、数々の信じられないような逸話が残っています。
崇徳上皇と後白河天皇が争った1156年の保元の乱でも活躍しますが、最終的には数で勝る源義朝公や平清盛公の軍に敗れました。
逃亡中に風呂に入っているところを捕まりますが、助命されて伊豆大島に島流しとなります。 しかし島で乱暴狼藉を働いたことから派遣された軍に囲まれ、1170年に自害しました。
伝説の1つとして、伊豆大島に流された後に鬼二匹を連れて武田信義公のもとに身を寄せて「武田為朝」を名乗...
Read more為朝神社 為朝神社は鎮西八郎源為朝を祀った神社で、元暦元年甲辰年武田太郎信義が社殿を建立し、為朝の画像と大長刀を納め神霊を祀った。後文化十三丙子年三月源氏の直系深沢文兵衛源直房等がその衰頽を憂い、昔日の面影を再現したものである。古来、疱瘡除けの神として四方民の信仰厚く、遠近より賽する者多かりしが明治維新後種痘の実施と共に参詣者も跡を絶つにいたった。戦後再び人文地史美術研究のため詣う人が日をおって増加している。 昭和五十...
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