第12代景行天皇の御子日本武尊が東征した際、伊勢から海を渡り、船をつけたという地です。縄で船を松の木に繋いだといわれ、これに由来し、名和と船津の地名がつけられたとされています。
第15代応神天皇の御代(400)に社が建造され、船渡大明神の号が下賜されました。平安時代の天慶2年(939)、第61代朱雀天皇は勅し、社殿を造営し、神領となりました。
平将門が謀反を起した際、藤原忠文征夷大将軍が武運と交通無難を祈願したことで、国司や地頭の崇敬がより厚くなったといわれています。
平治元年(1159)、野間の住人長田忠致は左馬守源義朝に入浴をすすめ、だまし討ちで殺しました。家来の渋谷金王丸は義朝の首を奪い返そうと長田の後を追って当神社の前を過ぎ橋を渡ろうとしました。しかし、馬がわなないてどうしても進まなかったため、渋谷金王丸は船津大神の神威と恐れ、神前に引き返して、一心に祈願をこめ、銘刀三条小鍛治宗近を奉納すると漸く進むことが出来だと、伝えられています。(下馬代の宝刀) この銘刀は永禄3年(1560)、今川義元が桶狭間に陣をしいた時、正宗と取りかえられてしまいました。
この刀を達磨正宗といい、現在も保存されているといいます。元禄8年6月(1659)、二代尾張藩で大納言徳川光友が参拝し、宝刀正宗を見て感動し、大自筆の松の画並びに鶉の画の二軸を贈ったほか、...
Read more日本武尊東征の伝承地に鎮座する神社です。 東征に向かうため日本武尊が伊勢より船で尾張に渡った際、この地に着岸し縄で船を繋ぎとめたそうで、その故事は当地の地名である名和町船津の由来にもなっています。
現代では海から2km以上離れた場所にありますが、古代は現在より数メートルほど海抜が高く、当時の船津神社一帯は海岸線そばの丘だったようです。 海からは視認しやすかったはずで、上陸地の目安とするのにちょうど良かったのかもしれません。
日本武尊は実在が確実視されていませんが、その伝説にはそれなりのリアリテ...
Read more船津神社は、御前を航海する船はご神威を恐れて常に敬意を表し、白帆を下げて過ぎ、陸では必ず馬を下りて一拝しない者はなし。又甕の宝物があって、氏子一同かめを不浄物に用いない風習があるそうで、由緒は、ヤマトタケルが東征の時、伊勢から船でこの地に着岸したと伝わり、船津神社周辺の地は、第12代景行天皇の御子日本武尊ご東征の時、伊勢より海を渡られて、ここに御船をおつけになり、なわで船を松の木につながれたことによって、名和と船津の地名が出来たと言われてますよ。神主さんが詳しく教えてくださいました...
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