東京都墨田区墨田に鎮座する隅田稲荷神社の直書き御朱印を頂きました。 1月1日の午後3時すぎ、境内には参拝客以外居らず、拝殿向かって右手にある社務所兼宮司宅の呼び鈴を押したら出てきて下さり快くお受け頂きました。 正月1日の午後という、社務に付く方にとってはやっと一息つけると思われるタイミングでのお願いでなかなか恐縮しました。感謝申し上げます。
御由緒としては。天文年間(室町時代・1532年〜1555年)、伊豆より逃れてこの地を開拓した堀越公方・足利政知の家臣江川善左衛門雅門が、伏見稲荷大神を勧請し氏神として祀ったのが始まり。 ちなみに荒川放水路の開削で、鎮座地は創建時の場所から移ってはいる。
この堀越公方とは、京の室町(足利)幕府が東国を政治的に治める為に作られた筈の鎌倉府の足利家が、本家である幕府側に対し独立志向を持って対立するようになり、永享の乱、結城合戦、嘉吉の乱を経て、最終的に享徳の乱により、時の鎌倉公方・足利成氏は幕府と関東管領・上杉家の追討を受けたことで現在の茨城県古河市に逃れ、古河御所を拠点に古河公方・古河府として立つことになった。 その後、幕府側は空白となった鎌倉府に将軍御一門であった足利政知を送り込もうとした。 しかし、足利政知には幕府側から実権は与えられず、そのまま鎌倉府に入り、東国諸侯に令をかけるだけの力は無かったので、足利政知は身の安全を考え鎌倉には入らず、現在の静岡県伊豆の国市にあった堀越御所に入り、伊豆国一国のみの勢力しか保てなかったが堀越公方として立つことになった。
堀越公方の崩壊は2代目である茶々丸のときに起き、それが1495年から1498年。 原因は、駿河と遠江の守護大名今川家の外戚であった、後北条氏初代・伊勢宗瑞による伊豆討ち入りによるものであった。
なので、この江川善左衛門雅門という人物が伊豆から逃れたのは、多分この伊勢宗瑞による伊豆討ち入りが原因で、その後紆余曲折を経てやっとこの墨田の地に根を下ろす事が出来た…という感じなのかな…と想像。
最寄り駅は東武伊勢崎...
Read more七五三で使わせていただきました。 宮司の方に関しては良いのですが、 電話対応のお母様?に関しては兎にも角にも電話対応が酷い!
七五三なんてそうそう経験する事ないし、こちらは不安だし、神社に電話する事だって限りなくゼロに近いのに
電話して繋がったんですが
【名乗らない】
「墨田稲荷神社」って言ってくれるだけで少し安心するのに、苗字すら名乗らない。なんなのこの方、家族間の電話じゃないんですけど(・_・;
こちらから恐る恐る話し始めて、しばらくして「あ、ちゃんと墨田稲荷神社に繋がったんだな」と安心する始末。
言葉遣いも本当酷いし、右も左も知らない私を明らかに呆れながら馬鹿にして上から言ってくる。 人が話してるのに被せてくるし、本当イライラしかなかったです。
氏神様が墨田稲荷神社なのでお願いしましたが、次の七五三は別にお願いする事にしました。
いやー久しぶりにここまで酷...
Read more住宅密集地の中に鎮座する神社。入り乱れる細い路地とともにこの地域を魅力的にしている。 神社自体は荒川の開削の際に大正時代にこの場所に移ってきたようだ。明治の迅速測図をみると、この辺りは善左衛門新田と呼ばれていたようだ。神社の縁起にも「天文の頃、江川善左衛門がこの隅田町に江川善左衛門新田を拓き…」とある。 鐘ヶ淵駅にジョギングで向かっている途中に偶然見つけた。初詣でをさせていただいた。 こんな神社が近所にあって、子供の頃からお祭りや遊びの場としていたら、郷土意識も強くなるだろう。...
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