地元では怖がられていた神社ですけれどね!木製のプロペラと女性の髪の毛、千羽鶴が奉納されている神社です。
大願成就をすればお礼参りで絵を奉納する習慣もあったようです。 本殿の軒下には様々な絵が飾られています。 中には東葛飾郡と書かれていたり。。。 ここから何キロ離れているんですか! 日先神社凄い! ちなみに今では聞かなくなりましたが、こちらには清国時代の中国の政治家「李鴻章」による直筆の書が保管されておりました。
まりやま台地の端にある神社なので、右奥に雰囲気の良い階段があります。 階段を下ると住宅街ですが、昔は谷津田でした。 谷津田沿いの斜面には昔は数か所防空壕みたいな洞窟があり、子どもたちが探検で入ると地元の農家の人に凄く叱られた事もあるそうです。 どうやらガスが出ていて人体に影響を及ぼしたらしいです。 過去に一人の子供も亡くなっているという話を近所の人に教わりました。
御祭神:武甕槌命、経津主命、衝立船戸大神 御利益:諸災病難除 創建:1058年 御由緒 天喜5年 源頼義、義家父子の軍団奥州に向かう途中当地に宿営。 夜、霊夢ありて、この地で賊徒平定の大祈願祭を厳修した。 1058年11月其処へ社殿を創建、丸四天権現宮と尊称武甕槌命、経津主命、衝立船戸大神の三神を鎮祭した。 丸四天権現宮は何時しか摩利支天さまと俗称された。 明治4年、日先神社と改称後に日先神社と改める。 ※境内にある由緒より一部抜粋
牛久〜土浦までの幹線道路に看板あります。通り沿いの「アオキまりやま店」の脇道を入って行くと日先神社の鳥居がお出迎えしてくれます。
鳥居の左手が砂利の駐車場になっています。 4台位は停められると思います。 鳥居をくぐると、その先に石畳の整備された参道が続いています。 現在の鳥居の後ろには壊された感じの石の柱があるのでそちらが気になりました。
木々に囲まれた自然に癒される参道です。 参道の途中には大きな石灯籠が建つ場所もあります。
手水舎と拝殿と狛犬 参道の途中に手水舎があります。 竹筒からチョロチョロと流水が出ているので、こちらで手を清めるのでしょうが、水圧が弱すぎ!
手水舎の奥に見えている小屋はトイレで凄く雰囲気が良いです。 下手したら西洋館にありそうな建物です。
御朱印は拝殿の左手にある宮司さんのお宅で頂くことが出来ます。
お参りは24時間営業です。
御朱印受付時間は 9:00〜17:00までです。
最寄り駅はJR常磐線で「荒川沖駅」より 徒歩30分...
Read more御祭神は武甕槌神・経津主神・衝立船戸神。天喜5(1057)年安倍貞任征討の途次、源頼義・義家父子の軍団が当地を陣所とした夜、父子は霊夢を見た。式神三神騎馬で枕元に立ち「汝を待つこと久し。今汝に力を添へん。必ず賊を平らげ名を天下に輝かせん」と。二人共同じ夢を見たため、鹿島神社の神職に事の由を話したところ、神職曰く「鹿島、香取、息栖の三神なり」と。父子大いに喜び、日先峯(茨城県神社誌では、日光の峰の御祖神の傍とある。でも進軍の途中なのに日光でというのは無理があるような)に丸太4本を並べ四方に青竹注連を張り賊徒平定の大祈願祭を厳修す。翌・康平元(1058)年、社殿を創建し「丸四天権現宮」と尊称して三神を祀ったのが当社のはじまりです。当社は中家郷信太庄の鎮守として崇敬され、いつの頃からか「摩利支天権現」「摩利支天神社」と呼ばれるようになった。明治4年「日光神社」と改称、同5年村社列格し「日先神社」と改称。大正3年供進指定。うーむ、丸四天が摩利支天。日光が日先に・・。ストーリーはよく練られていますが、私見としては素直に、元々「摩利支天」のお寺だったが、明治維新の廃仏毀釈の余波をくらって「日光神社」に。しかし家康を祀る東照宮のある日光はダメでしょと、すぐに「日先」に変更したのではと想像するのです。摩利支天は、太陽の前に先立ち進むとされるので、日先としたのは分かります。東京都江東区にも摩利支天を御祭神とする日先神社がありますし。 アクセスは南側、県道48号土浦竜ヶ崎線から北に向かう路地へ。広々として神気馥郁たる境内や典雅な社殿の御様子は先に書かれた皆様の優れたクチコミをご覧ください。しかし一点だけ。北側に裏参道でしょうか、階段を下ると鳥居、道路を渡った反対側に「御手洗池の跡」の石碑があります。手水舎の位置もそちらから来るとちょうどいいですし・・かつては、こちらが正参道...
Read more日先(ひのさき)と読む。 日先神社御祭神は ①武甕槌(たけみかずち)命、②経津主(ふつぬし)命、 ③衝立船戸(つきたつふなと) 大神。
約千年前に奉られた神社、1057年(天喜5年)奥州の阿部貞任討伐に向かう源頼義、頼義はこの地に泊まりました。父の頼義は西峰山、高野寺、息子の義家は志太の長老宅です。その後、義家の枕元に神が現れて「我汝を待つこと久し、今汝に力を添へん、必ず賊を平らげ名を天下に輝かさん」とお告げをしました。翌日、義家が父にその話しをすると父もまた同じ夢を見たと言います。親子はどんな神なのか高野寺と志田の長老に訪ねましたが、よくわかりません。そこで鹿島神宮の給仕を呼んで尋ねたところ、鹿島、香取、息栖の三神と知ります。
早急、親子は神に誓いを立てようと簡易な祈祷所を作って賊徒平定の大祈願を執行。社殿はその翌年に建てられ、丸四天権現宮として三神をお祀りしました。明治5年10月右籾、摩利山新田、中村、中村西根、乙戸、荒川沖、荒川本郷、沖新田以上八か村の村社となり、現在も守り神様として崇められております。平日は静寂さのなかで、ゆっくりお参りが出来ます。正月の三が日はとても賑わいのある神社。
0101...
Read more