It was a pretty neat museum with interesting displays! But is small and has little english (?- see below). •Bottom line: if you have extra time in Abashiri (I'd say 90 minutes to include getting there), you should go. If you have to choose between this museum or the other 3 on the bus route (prison, northern peoples, drift ice), I'd say go to the other 3 (especially if you'll go to the northern peoples museum, the content is fairly similar and there's more to see there). I spent about 30 minutes in this museum (not including getting there). 🌐Another reviewer said there was an English audio guide included, but it was not offered to me, I only got the pamphlet with a small bit of information. That said, it was a pretty visual museum, so I think it would still be enjoyable to someone who doesn't understand Japanese, but being able to read some Japanese does help. 📖I was able to gather: the Moyoro people inhabited this area before the Ainu many centuries ago. They worshipped bears as gods, and buried their deceased with pots on their head. ❄️The archaeological grounds outside (free) are covered in snow in winter, so you can't walk...
Read moreモヨロとはアイヌ語で「入江の内」「入江内の場所」の意味で、貝塚の発見された場所をアイヌの人達がモヨロ・コタン(集落)と呼んでいました。
でも暮らしていたのは、 アイヌの人達ではなく…… 「オホーツク人」(モヨロ人)。
「オホーツク人」とは…… 調べてみると、5~6世紀に サハリンから北海道のオホーツク海沿岸にやってきた海洋漁猟民族との事。 その外来民族が網走川河口に ムラを構えて、縄文文化やアイヌ文化とは全く異なる独自の文化「オホーツク文化」を発展させてきたのだとか。
1913年に発見されたこのモヨロ貝塚遺跡は、オホーツク文化の存在を証明する大発見で、歴史が覆されたと言われています。
約1300年前に忽然と現れ、 約1000年前までオホーツク海沿岸で暮らし、忽然と姿を消した 北方の民「オホーツク人」。 アイヌ文化に大きな影響を与えたとみられる「オホーツク文化」。 とても興味深く、詳しく知りたいと思ってこの施設を訪れました。
施設はコンパクトなんですが、 展示内容、展示方法、解説に 工夫があって、分かりやすく惹き付けられました。
・発掘された貝塚に実際にあった骨や貝殻に直接触る事ができたり、
・屈葬の状態で頭に土器をのせる独特の埋葬法は、床一面に展示してあって、思わず畏怖の念を抱かずにはいられませんでした。
・竪穴住居は一辺が10mもある大型だったらしいのですが、 (大家族で住んでいた) 再現した住居は鏡を使って奥行きを演出しているという、手の込みよう。 照明は薄暗く、ヒグマの頭骨を積み重ねた祭壇があったり、と 、再現がとてもリアルなので どこからかモヨロ人が出てきそうで長居はしたくなかったです(笑)
一点一点丁寧に見てまわったら思いのほか時間が経ってしまい、しかも遅い時間の訪問だったのであっという間に閉館時間に。 もっと見ていたかった。 ...
Read more教科書に載るほど有名でなく、出土品も総じて地味でコンテンツ不足の感は否めませんが、日本史の本流からはずれた未解明のオホーツク文化の史跡ゆえ興味は尽きません。 オホーツク文化は三世紀から十三世紀にかけて繁栄したオホーツク海沿岸に暮らす北方系海洋民族の文化で、人類学上の源流は現在の中露国境を流れるアムール川流域にあるとされています。南方系の縄文文化は北海道まで伝播、本州から九州においては弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉と時代はうつろい、北海道では続縄文、擦文を経てアイヌ文化の時代に至ります。人類学上、アイヌは縄文人の近縁と見なされていますが、文化的には北方民族の影響が看取されます。北海道全域に活動域を広げた縄文人の子孫による擦文文化が、外来のオホーツク文化と融合した結果がアイヌ文化とする説もあります。 オホーツク文化の遺跡は日本以外に中露にも点在しているため、体系的な研究がなかなか進んでいません。日本史上の位置付けも確立されておらず、ゆえに歴史的文脈を把握しづらい面はあるものの、個別の展示そのものは丁寧でわかりやすく、見るほどに考察ないしは妄想がはかどります。 遺跡と展示館があるのは網走川の河口近くで、対岸には観光砕氷船おーろら号の乗場があります。冬の網走観光と言えば一に...
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