The Asaka City Museum is free to visit and consists of three rooms—one of which is larger—along with an outdoor area featuring a pond and a mill wheel. It provides insight into the city’s rich history, highlighting the role of copper manufacturing and the rivers in its early development. Although small, the museum is packed with information. Please note that all signs and descriptions are written in...
Read more見学がてら、幾つか分からないことを教えていただこうと思って入館しました。沢山あったパンフレットを見ているうちに、教えていただきたいことについての簡単な資料がないかを知りたくて、館員に声を掛けました。少しすると、別の、イニシャルがIさんというお名前で、女性の学芸員の方が出て来てくださいました。知りたいことを書いたメモを見ながら、お訊きしました。特に詳しいことをお訊きしたいわけではなく、ヒントになるようなことを教えてくださるだけで十分なつもりでいました。
ところが、質問事項に該当する説明の原文が記載されている書籍を取り出してくださり、どこからどこまでを読んだらよいかを教えてくださいました。更に、その個所をコピーするところまで手助けしてくださったのです。 かつて朝霞市に長い間居住していても、あまりにも知らないことがあり、改めて知ることの面白さを感じ始めている時だけに、とてもありがたいことでした。
優秀な学芸員の方で、ちょっと質問するだけで、サラッと答えてくださいました。 お訊きした中で、東圓寺には、本尊が薬師如来像であり、その作者がかなり名の知れた人だという記述を読んだのですが、本当でしょうかと、お訊きすると、秘仏扱いでご覧になったことがないとのことでした。真偽の程は不明と言うしかないと理解しました。東圓寺はすぐ近くにあり、お寺で訊くか、入り口にある説明文を読むことを勧められました。全て、筆談で応えてくださいました。 わざわざ、外に出てきて東圓寺の場所を示してもくださいました。 楽しい時を過ごすことができました。ありがとうございました。
博物館内の見学には、改めて伺いたいと思っています。
追記 東圓寺の入り口にある説明文には、ご本尊は「大日如来を始めとする曼荼羅諸尊」と書かれてありました。朝霞市文化財案内には、東圓寺所蔵では「木造十一面観音菩薩立像」と「木造女神坐像」の二体が市の指定有形文化財として掲載されていました。 「新編武蔵風土記」の他に、「「朝霞市史」による東圓寺の縁起にも、秘仏の作者名が記されているのを見つけました。ご開帳無し、秘仏扱いにしているのだとしたら、理由は何でしょうか。
2020/1/21記す ご本尊が「大日如来を始めとする曼荼羅諸尊」と書かれていた訳ですが、「諸尊」には薬師如来も含まれると読めます。しかし、このことと作者が誰であるかとか、秘仏であるか否かとは、別の問題であることに気付かされました。現時点では、これ以...
Read more各市町村にある、郷土資料館の朝霞市版です。モダンな建屋に、博物館と銘打った佇まいが、お洒落ですね。
まず入り口を入ると、目の前には吹き抜けの中庭が見え、右手はテーブルと椅子を配したラウンジに、屋外水車の遊歩道があります。
残念ながら訪れた時は、遊歩道への出入りがメンテナンスの関係で叶いませんでした。また屋外水車も水の流れが無く止まっていましたが、展示室における展示の導線や展示量は、気軽に朝霞の歴史を知るうえで丁度良い塩梅に感じました(^^)。
市域新河岸川の河岸が、川越~江戸間の舟運の発着場として大いに賑わっていたことや、水車を用いて伸銅の産業が発展したこと等、近代史に少し時間を割いて見学しました。
展示室の最後、実物大の水車コーナーは、人が近づくと、一定時間動いてくれます(電力ですが)。
余談ですが、私が当博物館で知った、市名(町名)にまつわる衝撃の真実をご紹介します。それは、昭和7(1932)年、旧膝折村から町になる際に、東京ゴルフ倶楽部が当地に移転することにちなみ、「膝折(ひざおり)では縁起が悪い」とのことで、東京ゴルフ倶楽部の名誉総裁「朝香宮殿下(あさかのみやでんか)」の名から「朝霞町」と付けられたのだそうです(^^)。いや、面白い!
更に余談ですが、そんな東京ゴルフ倶楽部朝霞コースは、当時の陸軍省に陸軍学校用地として買い上げられ、日米開戦前年の昭和15(1940)年、わずか8年間の歴史でその姿を消すことになったそうです(同年に狭山市に移転)が、朝霞の名前は残り、市制...
Read more