黒目川沿いの小高い丘にある城跡。空堀など結構遺構も残っており往時を思い巡らすことができる。黒目川側に大きな駐車場がある。
説明看板には、
岡の城山由来記 この城山は今から約八000年〜四五00年位前の縄文時代の遺跡であるとともに、中世の頃に築城された平山城跡と言われている。この当時の城主や築城者は今のところ不詳である。 この城は南北朝期、室町期、戦国期と各時代にわたって多くの武将を育み、応永の乱(一三九九年)や応仁の乱(一四六七年〜一四七七年)等の大きな戦歴の跡を物語っていると言えよう。 また、この城の特徴は自然の物理的要素を活かしたもので、城の北側斜面は低地を流れる黒目川が取り巻くように走り、しかも舌状台地(台地の先端が舌のような形になっているところ)上にあって、まさに天然の要塞を呈している。 そして城内は「折れひずみ」と呼ばれる空壕と土塁によって区分けした郭があり、一ノ郭・ニノ郭・三ノ郭・四ノ郭・その外西側の虎口、堀切、北側の搦手口、南側の腰部、櫓台、犬走り等によって構成されている。このような形の城のつくりは「直線連郭式工法」と呼ばれている。 =朝霞市岡の城山総合調査委員会中間報告=より 昭和...
Read more誰が築城したかはっきりしてませんが太田道灌の話も残っていて、子孫の太田康資ではないかと書かれいています。土類などはわかりますが城の痕跡はまったくわかりません、新河岸川に近く高台の山城って感じです。頂上付近が開けていて2ヶ所に別れていて橋で渡ります、山城と言ってもけっこう広くその時代の事を想像するとワクワクします。話は現代で城山公園になっていて入口がいくつもあり山を回るように登って行きます、木々が生い茂って緑豊かな公園です、夏は涼しく散歩コースになっていて近所の住民の憩いのも場所になってます、頂上から反対側を見ると畑の中に東洋大学があったり見晴らしもいいです、過去があっての現代の城山公園に感慨深いものがあります。ドラマの...
Read more川沿いの丘陵地の頂上を平らにして、城を作っていた。一ノ郭から三の郭まであり、1と2は結構広く3は出丸くらいの規模ではないかと思われる。それぞれ空堀で区切っているが、現在公園なので木造の歩道で行き来できるように繋がっている。麓からは2か3箇所の入り口を、50メートルくらい登って行かなければならない。土地柄、周りが平坦なため50メートルでも眺望は良く、かなり遠くまで見渡せる。ただ長い年月で木が生い茂り360度は見渡せない。麓には屋敷跡だったのだろうか平らのスペースがあり、遊具が並んでいる。公園なので川沿いに無料の駐車場が広くあり川遊びも...
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