歴史ロマンを感じる場所です。ここにはかつて国家の太平を祈るための相模國国分寺がありました。 近くにある資料館の職員の話によると法隆寺の建築方式を真似た壮大な建物があったそうです。 巨大な七重塔や金堂や講堂、そして僧侶が生活をしていた僧坊がありました。 また近隣には尼さんが暮らす国分尼寺もあり、そちらも壮麗な建物だったそうです。 何度も火災に見舞われ再建されたそうですが、平安時代の末ごろには衰微し資料からは確認できなくなります。 職員の話によると武士の世の中になり収入源の荘園などが確保できなくなり活動を維持できなくなったのでは。とのこと。 なんだかロマンを感じます。 現在は写真のように広大な広場として整備されています。 五重塔の基礎部分が一部高くなっていますが子供たちの遊び場になっていました。 夕日が綺麗な素敵な公園です。
ちなみに観光名所として、この場所に国分寺を再建する計画があったのですが目の前にある資料館の職員の方によると五重塔を再建すると陽当たりが悪くなるという近所の住民の反対により計画は凍結しているそうです。
再建された相模國国分寺、きっと素晴らしい名所になる!と期待していたのですが本当に残念。 奈良の平城京跡みたいに凄い観光名所として誇りになると思いますのでなんとか、住民の方も納得できる形で計画が進んで欲しいと願っています。
ちなみに豆知識ですが国分寺には天台宗や真言宗のような宗派はなかったそうです。 総国分寺の東大寺は華厳宗なのですが後世になってから宗派を名乗るよ...
Read more最近近代化が激しく進む海老名市街地・店舗群から至近の位置でこれだけ広大な緑地帯に驚いてしまう! 流石に全国でも屈指の相模国分寺跡です。この国分寺は741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」⇒現在地、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」⇒現在地から北方500m。
ここで面白いのが「国府」と「国分寺」の立地関係の不思議があります。普通国府の近くに国分寺がつくられますが、何ゆえか「相模の国府大住郡(平塚市)」からははるかに遠い「高座郡海名市」につくられたかです。 これには諸説あるようですが、海老名市の見解では「・・・関東地方の寺院建築に深く関わった壬生氏が高座郡周辺を拠点にしていたためという見方もあります。」となっていました。 とても興味深い内容です!!
今判っている国府の所在郡は「相模国大住郡」にあったようですがその所在地も現在3ヶ所が該当しており ①.神奈川県海老名市国分北・国分南 ②.(推定)神奈川県伊勢原市笠窪三ノ輪 ③.神奈川県中郡大磯町国府本郷 の3箇所となっておりまして、さてこの中の何処がが未だ判然としておりません。 最近、ニュースで話題になっている外...
Read more8世紀頃の奈良時代に相模国の国分寺が海老名の地に建立されました 建物の配置など全体の造りが奈良の法隆寺と似ていて全国的にも珍しく 当時は中央から遠く離れ 辺境の地だった東国にも立派な建築物が存在していたようです 建築史学的にみて当時の七重の塔は基檀の大きさや礎石の数から推測すると高さが65メートルで20階建ての建物の高さに相当するそうです 今から1300年も昔に本当にそのような高層建築物があったのか、にわかには信じがたいですが 例えば横浜ドリームランド(2002年閉園)に併設され五重塔をモチーフにしたホテルエンパイア(1995年廃業)の高さが68メートルです 現在は横浜薬科大学の図書館棟になっていて(写真添付) 遠くからでもポツンと建っているのが見えたりするので、昔の人々は...
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