山梨岡神社(やまなしおかじんじゃ)。山梨県笛吹市春日居町鎮目(しずめ)。
式内社(小)論社、旧郷社。 近世以降、「日光権現」や「山梨権現」、「山梨明神」と呼ばれて来たが、明治元年(1868年)に現社名「山梨岡神社」に改称した。
主祭神:大山祇神(おおやまつみのかみ)、高龗神(たかおかみのかみ)、別雷神(わけいかずちのかみ)
資料によると、 発祥は御室山を神体とする古い信仰に遡ると考えられているが、「御室山」の山名は大和国の「御諸山(みもろやま)」(三輪山のこと)に同じく、「神霊の籠もる山」を意味するものと推測されている。なお、文化11年(1814年)の『甲斐国志』(以下『国志』と略記)に、かつて御室山は国に異変のある際に、その前兆として鳴動したという記載がある。
社伝によれば、崇神天皇の時代、疫病が蔓延したため勅命によって日光山高千穂の峰(当神社背後の御室山と見られている)に3柱の祭神を祀って近郷の鎮守とし、成務天皇の時代に郡境を定めるにあたり、山麓の現社地にあった梨の木数株を伐採して遷座、鎮座地を「甲斐嶺(かいがね)山梨岡」と名付けたという。現在も境内には郡境の標示石であったと伝える「郡石(こおりいし)」があるが、鎮目の地は令制下の甲斐国山梨郡山梨郷に比定されるので、この社伝に従えば、当時の郡名の、そして現在の県名の発祥の神社ということになる。
古代甲斐国の山梨郡域にあたる春日居地域には古墳時代後期から古代に至る後期古墳や渡来人墓制であると考えられている積石塚などの考古遺跡が分布し、甲斐4郡(山梨・八代・巨麻・都留郡)の成立後には甲斐の初期国府や山梨郡の郡家の所在地であったと考えられており、周辺には奈良・平安時代の集落遺跡や古代豪族の氏寺であると考えられている寺本廃寺(寺本古代寺院)など官衙施設も分布している。また、『延喜式神名帳』に記されている甲斐国の式内社は20社であるが、およそ半数の9社は山梨郡に所在した。更に、鎮座地の東方に残る「国府(こう)」という地名(笛吹市春日居町国府)は、甲斐国の初期の国府の所在地とも目されており、能因法師に「甲斐が嶺(ね)に咲きにけらしな足引きのやまなしの岡の山奈しの花」(『夫木集』)と詠まれたのは当神社一帯の景色で、当神社が国府に近いことから古来有名であったためとも見られている。 とあります。
参考として、摂社吾妻屋(あづまや)宮: 山梨岡神社(以下、本社と記す)の北方約1km、北山の中腹に鎮座し、日本武尊と弟橘姫命を祀る。社伝によれば、日本武尊が東征の折に当地の山路で休息したことに因み、その旧跡を「四阿山(あづまやさん)権現」と称して尊を祀ったのに創まるというが、本社の古社地(日光山高千穂の峰)であるとの伝えもあり(『社記』)、また、式内社の「甲斐奈神社」に比定する...
Read more山梨岡神社
【参考 甲斐志料集成より 昭和8年】
山梨祠 鎮目村
社領8石餘。社記に山梨岡神社なり、
オオヤマツミノカミ ワケイカヅチノカミ タカオカミノカミ 三座を合わせ祀る。
※昭和8年の記事のため現在は行われているのかそうでないのかはわかりませんが、甲斐志料集成には次のような行事が紹介されている。
毎年3月始め午日午時三室山へ神幸(※1)あり。 7月7日平等川へ神幸(※1)あり。これを七夕(シチセキ)祭という。 正月14日の夜 筒粥(ツツガユ)祭ありて、年の豊歉(豊作と不作)を占う事あり。
宮殿は飛騨の匠の造立(つく)り。 扉前に木をもって彫りたる、独足(ひとりあし)の獣の像を置いてある。是を夔神(キノカミ)(※2)と称している。
云々・・省略
あからびく朝日たとさす山梨の岡の神垣神さびにけり
云々・・省略
【※】 神幸(※1)・・・神のお出まし。特に、遷宮や祭礼で、みこしなどに移した神体の、新宮や旅所(たびしょ)への渡御(とぎょ)。
夔神(キノカミ)(※2)・・・中国神話における神、動物、人物、または妖怪のこと。 夔牛 ( きぎゅう )...
Read more第十代崇神天皇の御代、各地に疫病が流行し、その災いを祓い鎮めるために、御室山中に祀られた神社(みやしろ)が起源とされています。 その後、十三代成務天皇の御代に現在の地に遷座され、山梨岡神社と号した。 以後この郷一帯の鎮守として信仰をあつめ、創祀以来二千余年の歴史をもち、また、延喜式内社として、古くは日光権現・山梨権現とも称され、『山梨』の語源発祥の地と伝えられている。山梨旅行 どこか花💠でも咲いて無いかなって検索 今年は藤が早く咲いているので藤狙いで探すとこちらの神社さんが ナビをセット最悪😖💦💨狭い道をぐるぐる 地図を見て神社さんから真っ直ぐの道を来れば良かった。境内に車を停めると藤のいい臭い 見事な藤棚 こちらの藤は真っ直ぐ上に伸びていて見応えあり ちょうど神主さんがいて御朱印頂けました😺拝殿...
Read more