世に偉人を沢山生ませた松陰が、ここに幽囚されていたとは驚きです。然し、この建物の傷みもそれ程では無く、寧ろ、吉田松陰の時代から建物がずっと綺麗に保管されている事にも驚きます。幽囚されて、辛かったでしょうけど、一発発起で門徒生を真面目に教えていた事は、やはり、吉田松陰ならではです。松陰は1830年文政13年に、萩藩士の杉百合之助(すぎゆりのすけ)の次男として生まれました。通称は虎之介。のちに、寅次郎と改めました。それから、叔父の吉田大助の養子となり、大助の死後に山鹿流兵学師範を継ぎました。11歳にして藩主の毛利敬親(もうりたかちか)の面前で兵学を教授し、その優秀さを認められました。九州や関東、東北に遊歴の旅を経験して見聞(けんぶん)を広めて、2度目のペリー来航の際、金子重之助(かねこしげのすけ)とともに密航を企て失敗し、出頭し江戸の獄舎に投じられて、のちに萩の野山獄に収容されました。1855年安政2年に保釈されて、父の杉百合之助の預かりとなり、幽囚室(ゆうしゅうしつ)で講義を始めました。1857年11月には未だ幽囚の身で松下村塾を主宰して、門徒が増えた事から増築して、1858年7月に藩から家学教育の許可を受けました。然し、再び幽閉されて、1859年5月に江戸へ護送されて処刑されました。…たかが密航しただけなのに。って思ってしまいますが、当時からすると...
Read more🏣山口県萩市椿東1537 🅿️🚗…有りました(無料)大型(500円) 🚌...松陰神社前下車3分 ※ 松陰神社境内に。 ※ 旧宅は、木造瓦葺き平屋建て(214㎡)の建物で、8畳3室、6畳3室、4畳、3畳7分、3畳半、3畳、2畳、板の間、物置、土間を有する大きな建物でです。 ※ 幽因室は東側の3畳半一室です。 ※ 吉田松陰は安政元年(1854年)3月27日に伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して江戸伝馬町の牢に捕らえられ、その後萩に送られ野山獄に入れられます。 翌年に釈放と成りましたが、父.杉百合.之助預けとなり、この実家である杉家に帰され、謹慎生活を送る。 読書と著述に専念、松蔭は家族の薦めで幽因室で孟子や武教全書などを講じ、次第に多くの若者が参加するようになり、やがて松蔭は松下村塾を主宰する事となる。 ※ 平成27年7月 松下村塾と共に世界遺産に登録される。 ※ 外観のみの見学でしたが、貴重な歴史を拝見、貴重な体験ができました。 ボランティアガイドさんが丁寧にお話頂き楽しい時間でした。 ガイドさん…...
Read more「吉田松陰の幽囚室を公開」 松陰はペリー艦隊でアメリカへ密航しようとした罪に問われ、投獄の後、杉家旧宅に幽閉されました。その部屋が現存し公開されています。幽閉中の松陰は、旧宅の離れとして建てられた松下村塾で短期間教鞭をふるいながら老中暗殺を企て、意見書を送ったことで最投獄され、死罪となりました。松下村塾で門下生の教師となった根拠の場所です。
【駐車場】松陰神社 【トイレ】松陰神社...
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