この鐘は、盛岡城時鐘として正保3年(1646)に鋳造されましたが、小振りで音量が不足であったため、慶安5年(1652)に大型の鐘と架け替えられました。その後、延宝2年(1674)に、 当時の藩主 南部重直公の許可を得て、花巻城の時鐘として花巻城ニノ丸の四角山と呼ばれる土台に設置され城内に時を告げました。 維新後の明治8年(1875)、花巻町ほか七か村から無償払い下げ渡しの請願が出され、当地に架けられ現在に至っています。 鐘の側面には、「南部盛岡城楼鐘銘」に始まる二十二行二百三十八字の銘文が刻まれ、鋳造の経緯や領内の安寧を記念する文章と共に、藩主 南部重直や家臣の氏名及び藩のお抱え鋳物師で製作にあたった、鈴木忠兵衛・忠左衛門の名が記されています。この銘文を揮毫したのは、江戸時代初頭の朝鮮外交で国書偽造の罪に問われ、当時盛岡へ流配となっていた規伯玄方(方長老)です。 花巻城時鐘は、平成27年11月6日に「時鐘...
Read more2022年7月18日に見学しました。この梵鐘の銘は、「南部盛岡城楼鐘」です。盛岡城の梵鐘が、何故、花巻城にあるのでしょうか? 天保3年1646年に鋳物師鈴木忠兵衛・鈴木忠左衛門(盛岡市にある今の鈴木盛久工房のご先祖様でしょうか。)によって鋳込まれました。小振りで音量が足りなかったために、慶安5年1652年に大型の鐘に架替えられたそうです。使われなくなっていた鐘を延宝2年1674年に藩主重直公の許しを得て、花巻城の時鐘となったそうです。明治維新後、明治8年1875年に花巻町他7村に無償で払い下げられました。 ちなみに、この楼鐘の銘文は、朝鮮外交で国書を偽造したとされ、盛岡に配流された規伯玄...
Read more花巻市役所のそばにあります。花巻城の現存する遺構は、この時鐘と鳥谷崎...
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