花巻城の城内の鎮守社としてそれなりに由緒のある神社らしい。 文学的には、宮沢賢治が死ぬ直前に鳥谷崎神社の例祭の様子を詠んだ短歌が、絶筆となり、世に伝わっている。 ちょうどその年は農作物も豊作で、農業の指導をしてきた宮沢賢治はとても嬉しかったのだろう。
「方十里、稗貫の甕(みか)も稲熟(う)れて、み祭り三日、空晴れ渡る」(宮沢賢治)
稗貫郡の十里四方の稲は豊作で、そして鳥谷崎神社の祭典は三日間晴れ渡った、云々、という意味。(稗貫郡は岩手県にあった郡)
宮沢賢治の生家は花巻市にあり、体調が悪化してからは生家で療養生活を送っていた。祭典の最終日の夜、神輿が神社に還御するのを自宅から眺めている。
鳥谷崎神社の祭りであるが、現在では「花巻まつり」といって、地元では有名な年中行事らしい。 100基を超える神輿が三日間にわたって町中を練り歩き、多くの見物客が訪れるという。
(現地案内板より) 「領内鎮護・荒土開発の守護神として祀りしたことに始まりその年代は詳らかではない。その後、鳥谷崎城(後の花巻城)の守護神として城主や城代に信仰され、慶長7年(1602)には、南部家臣花巻郡代北松斉公が新たな社殿を造営し、文禄年間の花巻開町以来続いていた例祭には、ご城内を御用留め(休日)とし盛大な祭典を開いた。これが、今日まで”花巻まつり”と...
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円城寺門等が文化財に指定されている神社
旧村社
創建は不明だが鎌倉時代末期の1313年に社殿が再建された記録がある。 室町時代末期の1536年に当時の花巻城主・稗貫氏が城内に鎮座していた当社、稲荷神社、八幡神社(源義家が勧請)の三社を合祀し「鳥谷崎座三柱神社」に改称した。 1591年に行われた奥州仕置により稗貫氏が改易となり、代わって当地は南部氏領となって花巻城代に就任した北信愛(松斎)・秀愛親子が引き続き当社を崇敬し、社殿の造営や様々な奉納物が寄進された。 1600年の関ヶ原の戦いの際には伊達政宗が煽動し旧領主和賀忠親が発生させた一揆(岩崎一揆)により、花巻城も戦場となり(花巻城の夜討ち)大きな被害があったが直ちに社殿が再建された。 1613年に松斎が死去した後は盛岡藩主南部家の一族が花巻城主を歴任し、当社を引き続き庇護した。 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、同末期に周辺の鎮守だった八幡神社、金刀比羅神社、神明社が合祀されて現在の社号である「鳥谷崎神社」に改称した。
かなりの歴史がある神社。 岩手県や花巻市の指定文化財がいくつかあるので見に行くとよい。
おすすめ度:★☆☆☆☆...
Read more花巻城🏯跡の近くにある由緒ある神社です。駐車場もあり。御朱印は、300円❗城門は、復元されていました。石垣も少し残っています。花巻城のパンフレットは、近くにある武…殿の事務所にていただくことができます。事務所のかたに説明もしていただきました😭ちかくには、ショッピングモールもあります。南部藩の城代、家臣の北氏が守っていたお城でした。幕末は、幕府軍として戦い敗れました。近くには、関連の神社や関連ものもあるそうです。花巻で、有名な食堂に行ってみましたが凄く混んでいて帰って来ました😱凄く大きいソフトクリーム🍦が有名だそうです。食べたかったです😢今度来たときには、早い時間に行って昭和ポイ食堂で食事をしてソフトクリームを食べたいと思います�...
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