2022年7月18日に北信愛(松斎)公のお墓参りにうかがいました。このお寺には、信愛公の甲冑「桶側二枚胴具足」や羽織、直筆の古文書などが残されています。豊臣秀吉による奥州仕置により、天正19年1591年から花巻は、南部信直の所領となりました。花巻城の初代城代は、信愛の息子である北秀愛が仰せつかり、鳥谷ケ崎城と言われていたこの城は、花巻城と改称されました。慶長3年1598年に秀愛が病没してしまいます。父親である北信愛が、2代目の城代となりました。慶長5年1600年に和賀氏や稗貫氏の残党が花巻夜討ちを起こします。この反乱を少数で守り抜き、「花巻開町の祖」と言われるようになりました。慶長18年1613年に91歳で亡くなりました。山門をくぐり、寺の正面を左に進むと、階段があります。この階段を登り終えた所に墓所があります。北信愛は、花巻城に入る前は、剣吉城にあったと思います。伊達氏の藩領に近い花巻城は、地政学的に重要な拠点であったために、南部信直公を藩主の座に押し上げた北信愛(松斎)が入ることになったのだと思います。 お寺の裏手に新渡戸痴翁(維民)の御墓もあります。彼は、明和7年1770年に花巻御給人の長男として生まれました。後に兵学の塾祖となり、盛岡藩士に取り立てられます。弘化2年1845年に亡くなり、この寺に墓碑が建てられました。彼の長男である新渡戸伝は、三本木原を開拓したことで有名です。また、彼の曽孫にあたるのが、国際連盟事務局次長になった新渡戸稲造です。新渡戸氏は、元々は、葛西氏の配下であった柏山氏の家臣の家柄だったと聞いています。葛西氏滅亡後、柏山氏と共に南部氏の配下...
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Read more歴史あるお寺。 ただし、現住職は心に寄り添ってくれない。 遺族を勝手に葬儀屋さんと勘違いし色々と指図する。 頼んでもいない事を勝手にして間違いを認めずキレる。 な...
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